目国内岳(1220m)
パンケメクンナイ川

 ニセコ連峰西の雄の目国内岳、「北海道の山と谷」グレードで「!!」の中級の沢だが、どの滝もヤブから巻けないことはないので、正確で最新の巻き重視の遡行図があれば初級者でも・・・?。面白い沢だった。チシマザサのヤブの発達著しいニセコでは、どの沢でも詰めは猛烈なヤブ漕ぎとなるが、この沢は登山道の横切る湿原を水源とするので源頭のヤブ漕ぎはない。


パンケメクンナイ地図1
パンケメクンナイ地図2

 林道の終点で幕営。林道終点から名物7連堰堤の入り口までが、函地形で朝で光が射さず暗く、水底が見えないので歩きにくかった。沢はくねくねとよく曲がり、幾つか低いが大きな釜を持った滝があって、へつったり巻いたりして越えていく。岩はフェルト底では滑らないがスパイク足袋ではやや歩きにくい岩質。下二股のすぐ上には大きな滝があって右股がらみで巻く。巻き終わった所から名物の7連堰堤。堰堤は全部低くて簡単に越えられる。もっと大変なのかと思っていた。昭和51年に災害復旧の為に作られたとのこと。

 堰堤が終わると550m上二股までは暗い廊下で、廊下に免疫の無い自分はドキドキしっぱなしだったが、たいしたものはなかった。砲台のような岩をくぐる所が面白かった。

 550m上二股のすぐ先、三段釜持ちのF5。「山と谷」の「2段目から巻いてしまうと簡単だ」に従って2段目まで滝壷の右岸から上がるも、そこから巻き上がるのは自分には不可能。本が書かれた後、登れそうな小尾根が崩れたのではないかと思ったのだが、その前の「通過にはロープを出すことにな」った上で簡単だと言うことだったのかもしれないとも思う。シオシオ(実はヒヤヒヤ)下りて、結局全部巻く。ここを含めて入渓すぐの滝から、最後のF13まで巻き道、踏み跡、目印テープは殆ど見当たらない。ガイドブックにお薦めの沢として出ているが、入渓者数はあまり多くないようだ。

 次のF7、F8あたりは何となく流れから左から巻いて失敗した。下りる時ちょっと飛び降りて恐かった。残置シュリンゲが幾つかあった。ここだけは右から巻いた方が楽と知っていると得すると思われる。しかし右は左より長い巻きになる。ここも登れる人は登れるのだろう・・・。


砲台状の岩

F5 三段釜持ちの下二段

埋もれた滝

 次の大滝はすぐ横の崖の崩壊で八割方埋まっていた。楽しそうな登りやすそうな滝だけに惜しい。

パンケメクンナイ川の地図3 この後、次第に傾斜がゆるくなり、岩が大きくなる。北海道の山と谷に載っている写真の滝は、飛沫が多くて順層だったけど巻いた。終盤、F12は裏見の放物線の滝。滝の飛沫で虹も出る非常に美しい滝で、ここで昼飯にした。

 この滝とすぐ上の最後のF13をまとめて巻くのが巻きの中で最も根曲がり竹の密度が高くて、太い竹にビシビシ叩かれて痛かった。でも巻いてる途中で目国内岳の山頂が見えて感動的。

 滝が出なくなってから縦走路までは意外に長い。湿原ではなくて笹原の中の流れだ。しかし穏やかで独特の雰囲気はとても良い。縦走路に達したらすぐ遡行はやめて縦走路に上がりたい。湿原でぬかっていると言うことではないが、湿原の中は川底にも大型の植生があり、これを荒らすことになる。湿原脇を歩いても地上の植生を荒らすことには変わらないが、限られた面積と柔らかい水底への影響から考えて程度問題として水面下の植生の方が大事な気がする。

 縦走路を岩内岳から岩内温泉に下山すれば、岩内市街行きのバスが1日数本あり、岩内からは札幌行きのバスがある。


北海道の山と谷(上巻)」に
載っている滝
順層で夏ならシャワーで直登だが

F12
放物線の滝
滝壷をくぐれる

★山名考

 メクンナイという川の源頭の岳の意であろう。パンケ目国内川と、ペンケ目国内川支流の新見の沢の源頭にあたっている。

 山田秀三(1984)はメクンナイを「後人の研究に待ちたい」としている。

 榊原正文(1997)はパンケ目国内川について「"山の奥へ回り込む形で遡っている" と見なすことが出来ることから、"mak-un-nay((山の)後ろに・ある・川)" が転訛したもの」と考えるとしている。ペンケ目国内川についても河道の形状からパンケ目国内と同様に解したいとする。

 パンケ目国内川とペンケ目国内川の尻別川落ち口付近での流れ方は明治期の地形図でも今の流れ方と大差なく、緩く低い尾根で直線的に仕切られた尻別川の後ろにパンケ目国内川とペンケ目国内川の河谷があるように見える。

 だが、池田実(2002)がアイヌ語地名の各地のマクンペッとマコマナィの違いを検討しており、マクンペッは「本川に対する分流川であることを確かめることができた」とする。ここでいう「分流川」は上流側で本川から枝分かれして本川との間に中州などを挟んで下り、下流側でまた本川と合流する川である。ペッとナィの違いはあるが、パンケ目国内川もペンケ目国内川も上流側で本川にあたる尻別川から分流してはいない。川の水流でなく河谷の谷筋として見ても尻別川の河谷から分かれてはいない。

 永田地名解はメクンナイを「暗川」と訳し、「『メクン』ハ『暗キ』ノ義」とする。後志国磯谷郡の永田方正のアイヌ語地名調査は明治16年でアイヌの古老に聞いた調査である。山田秀三(1984)は永田地名解の説明に対して「メクンという言葉を他で見たことがないので判断がつかない」とする。

 アイヌ語で暗いことは kunne というようである。メクンが訛音で、元の言葉か言い換えた同義の言葉は kunne と訛る言葉で、メクンの指していた意味は kunne ということと明治16年のアイヌ古老が覚えていて永田方正に伝えたのを、永田方正が少し端折って地名解に記したと考えてみる。

 パンケ目国内川はパンケメクンナイ湿原でニセコ連山の稜線間近に上がり、短い藪漕ぎで岩内平野に出る。ペンケ目国内川も新見峠から稜線を越えて短い藪漕ぎで岩内平野に出る。下りるのはいずれも野束川と考える。他の尻別川右岸支流からニセコ連山稜線に上がろうとすると、谷筋が稜線直下まで届いておらず、ヤブ漕ぎが長く山越えするのは現実的でない。旧記にノプカベツやヌプカとある野束川の名は ru-put -ke[道の出口・の所(川)]の転で山越えして下りてくる所の川であったことを示していたと考える。

 この夏場に山越えする谷筋ということの、rikun nay[高い所の・河谷]或いは rik-ru ne -i[高い所の道・である・もの(谷)]の転がメクンナイと考えてみる。松浦武四郎の安政4年の記録では奥蝦夷へ向かう春先の尻別川筋遡行の記録でバンメクンナイ、ヘンケメクンナイとあるのが、晩夏の本州に戻りつつある記録ではベンケメクン、バン(ケ)メクンとナイが付いていないことから、 rik-ru ne -i の方がメクンナイの語源としてありうると思う。メクンで切れている晩夏の記録は rik-ru だけで谷筋を言っていたと考える。永田地名解の「暗川」は、rik-ru ne -i の訛ったのを kunne -i[暗い・もの(谷)]、或いは ru kunne -i[その道・暗い・もの(谷)]と聞いたものではなかったか。パンケ目国内川の一部に暗い所はあったが、それで暗い川というほど大きな特徴であったとは思わない。

参考文献
北海道の山と谷再刊委員会,北海道の山と谷 上,北海道撮影社,1998.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
榊原正文,データベースアイヌ語地名1 後志,北海道出版企画センター,1997.
北海道庁地理課,北海道実測切図「寿都」図幅,北海道庁,1891.
池田実,マクンベツとマコマナイを歩く,pp29-42,5,アイヌ語地名研究,アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター(発売),2002.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1982.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1982.



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(2003年11月8日上梓 2021年11月29日地図書き直し 12月8日山名考追加)