北海道の山の本〜〜ウチの本棚から


知床半島の山と沢
伊藤正博/共同文化社/2005.9.28

 知床半島の山をその山名の由来から紹介し、登頂した記録を載せている。登山道のある山は知床では限られているのでバリエーションルートが主体である。ユネスコ世界自然遺産にも登録され秘境の呼び声高い知床だが、観光で巡るなら整備された日本のどこにでもある観光地と変わらない建造物群であり、登山道から羅臼岳に登っても確かに美しい自然山岳景観ではあるが日本中の他の美しい山々の中で特別に抜きん出ているというわけでもなく、秘境を感じるのは本人の気の持ちよう次第のような面もある。しかしこの本の著者のように隈なく歩けば分布していないとされる花を発見したり、地図に現れない温泉を見つけたりということがあるのだ。なかなか本の内容を追体験するのは難しいが、今だ知床に秘境の一面が残っていたことを客観的に知らされる思いがした。「日本国中から既存リスト制覇」と言うようなことが挑戦しやすく行なわれ続け、発表され続けているけれど、知床に限らずこうした地域に密着した記録こそが貴重で役に立ち、残す甲斐があるのは間違いない。
(2006/1/13)

北海道夏山ガイド1〜6巻
菅原靖彦・梅沢俊/北海道新聞社

 北海道の夏山登山入門者のバイブル的存在。写真がきれいで文章もわかりやすい。全巻揃えてはなんか悔しい!と思いながらも最後にあまり行かないエリアの5巻まで買ってしまった。改訂されるたびに新しい山の情報が加えられ、その度に値上がりしているがそれだけ作者に「この山も載せてくれ」というリクエストがあり、親しまれている証拠だろう。2巻の「表大雪の山々」は写真が特に大きく美しく、十分写真集としても通用する。

北海道の山と谷(上下巻)
「北海道の山と谷」再刊委員会/北海道撮影社/1998.12.15(上巻)、1999.3.27(下巻)

 自力登山を前提に沢や積雪期コースを詳し過ぎず、粗過ぎずの微妙な記述で説明している。山域ごとにまとめた扉の文章がどれも名文で感動的だ。難易度表現もあいまいでブレが大きく、出たとこ勝負のスリルがある。ということは自分のレベル以上だったら引き返せる判断が出来る人向き。現在売られているのは再刊版だが、初版にあった山名由来がなくなったのは残念だ。またルート数も若干減ったようである。ルートがガイド文として取り上げられてなくても独自の山域の概念図があり、その中から自分でコースを探し出せる楽しみもある。Amazonは左のが上巻、右が下巻。


気軽に北の山
百々瀬満/文芸社/2001.11.15

 「気軽」などとうたっているが掲載されている記録は決して気軽ではない。むしろ玄人向きな、読んでも行きたいと感じないマイナーな山や沢が載っていたりする。後芦別(当HPで言う所の後芦別山列)の記録が載っている本として買ってみたが、全編文章だけでどの山をどのように登ったのかわかりにくい。また、登った山が主に編年体で書かれていて、山の名前の載った目次がないのが残念。
 文章はハイテンションな状態で書かれた感じがする。後半の山で感じたことなどに関する記述ではやや落ち着きの戻りが感じられた。「つかみ」の文章が趣味の違いかもしれないが、山の情報を求めて読み始めるには引いてしまうものがあった。しかしながら、著者の山の登り方は確かに独創的で、勉強になる面は多い。
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ガイドブックにない北海道の山50〜私の雪山ハイキング情報〜

八谷和彦/八谷和彦/2002.2.15

 冬末期もしくは残雪登山の、ガイドブックでは取り上げられないマイナーな山に登る指南書。副題にある「ハイキング」だとしたら、かなりハードなハイキングだ。取り上げられた山はいずれもかなりマイナーだが、導入でその山に至るまでの「中間的な」マイナーな山の残雪期以外の情報などもちりばめられている。自費出版らしさを感じる、個人的に感じていることの記述も多くあるが、穏やかな書き方で、慎重で正論である。自費出版にとどまる必要のない「説」であると感じる。著者はこの本を読んだだけで冬山に入りたいと思うのは軽率というような事を書いているが、冬山入門者が心構えを作るために読むことは良いことだと思う。

※50山から80山に増えた増補改訂版「ガイドブックにない北海道の山々」が出ました(2006年12月)。付属の北海道の1000m以上の山リストがウリだそうです。

日本登山大系1巻 北海道と東北の山
白水社/1997.6

 バリエーションルートガイドの最高峰。近年復刊した。本州四国九州のバリエーションガイドが主に登攀を目的とするのに対し、北海道では道なき山を登る案内となる。ターゲットを同じくする「北海道の山と谷」の文章には筆者の思い入れなどが感じられるが、この本は山岳会などのレポの事実の部分だけを抽出している冷徹な書のイメージである。掲載ルートや山の数は「山と谷」より多いか。

北海道の百名山
道新スポーツ編/北海道新聞社/2000.5.27

 地方スポーツ紙の連載をまとめたもの。先行の「北海道百名山(山渓)」が登山道のある山に限られているのに対して、存在感があれば沢登りや残雪期でなければ登れない山や、車道のついて登山とは言い難くなった山も取り上げられている。執筆は地元の登山界の名士などが担当している。それぞれ個性があって、気持ちの良い文章が多い。登頂方法はごく簡単にしか書かれておらず、この本の説明だけで登るのは殆ど不可能だ。登山道のある山に登ることが登山だと思っている人には、新たな山の見方を開き広げることになる。

とっておき北海道の山
三和裕佶/東京新聞/1995.6.10

 「岳人」に連載された道産子現役ガイド(当時)のオススメのバリエーションルートをまとめたもの。数人の執筆。紹介されるコースは夏道以外では、いずれもちょっとバリエーションなピリリとしたコース。ボッカもお願いしたいロングコースもある。ルートガイドであると同時に「山行記」である。道中の様子も書かれている。当サイトの山岳資料室にも、参考にさせていただいたのでかぶっているコースや山が幾つかある。

さっぽろ文庫48 札幌の山々
札幌市教育委員会編/北海道新聞社/1989.3.27

 札幌市のローカル隠れたベストセラー、さっぽろ文庫の一冊。札幌市内と市界の山の紹介や札幌から見える山などの紹介、山小屋の思い出などのエッセイ。子供の教育用というには凝った内容で大人が読んでも楽しめる。近年、この中の「札幌50山」完登を目指している人をよく聞く。毒矢峰や南岳、大二股山のように山とは言い難い、ただの尾根上の三角点の名前でしかないものも入っているというのに。

北の山 記録と案内
滝本幸夫/岳書房/1983.6.15

 北海道のマイナーでない山のレビュー的紹介集。薀蓄的知識をよく集めてあって楽しい。既に古典である伊藤秀五郎の「北の山」と題名が同じことには批判もあり、著者もその批判を自覚しているようだが、内容はわかりやすく、「北の山」という題名にふさわしいものになっていると思う。深田久弥の日本百名山万歳だが、百名山に選ばれてなくたっていいじゃない、と問いたい箇所はある。楽天的な登山界の見通しにちょっと引いてしまうものもあった。しかし、趣味活動はこのくらいのスタンスの方がいいのかも知れないとも考えてみたりする。

札幌から見える山
朝比奈英三・鮫島惇一郎/北海道大学図書刊行会/1981.5.10

 札幌から見える山々を絵と写真と簡単な思い出文で紹介している。「夕張マッターホルン」という夕張山地1415m峰の通称が広まったのはこの本の影響か。絵は個性的なものが多く面白いのだが、文章はやや内輪的なものがある。この本に取り上げられていなくても札幌から見える道内の有名山岳はいろいろと存在し、そういう山を見つけてしまうようになると少しこの本の内容に物足りなさを感じてしまうが、北海道に初めて移住してきた頃は石狩平野の展望の教科書だった。札幌出身の人でも、山登りを始めたばかりの人なら同様の感慨は持ちうるだろう。

北の山・北の山続編 伊藤秀五郎
 北海道の山岳書の古典。あとがきを読んだらちょっと権威的な面のあった人かと感じた。古典とは言っても日本の近代登山の黎明期に発行された他の著者のものに比べれば少し遅れての発行であり、地理的要因も含めて戦国武将としての伊達政宗のような存在な本だと感じた。「権威的」と感じてしまったことも含め、上高地の描写がすっかり過去のものとなってしまっている小島烏水の「日本アルプス」などに比べて、まだ現在の自分の登山と「同時代」を感じられるという意味では北海道の登山の歴史の新しさと登山人口の少なさを改めて感じさせるものがある。山の姿は彼の頃と大きく変わってしまったが北国の旺盛な自然が雰囲気だけでも取り繕ってくれているのを自分が今、感じているわけだ。

 「静観的登山」がこの人の山登り、そしてこの本のキーワードだ。この本を読むまでこの言葉は知らなかったが、自分の目指している登山の結論がこれに近かったので、ある程度評価の高い古典の裏づけのあるものと知った時、少し誇らしく感じた。意味は「静」の文字から受けるイメージと若干異なり、簡単に言えば、自ら動き自然全体としての山を見、理解しながら登るというような感じだが、詳しくはこの本をお読みください。左のサムネイルに使っている通り、文庫版も出ているが函入りのものが正本。函入りは古本屋によっては旧仮名遣いのものも置いている。

    アイヌ語正典 真義への研究
藤原聖明/北方文化科学研究所:新泉社/1994.8.25

 アイヌ語の説明と言うよりは知里真志保批判の面が強い。知里真志保もその著作の中で先人のバチラー、永田方正らを激しく批判しているが、そっくりな批判を後世の人にされるとは、それほど考えていなかったのではないか。

 この本は過剰な知里真志保に対する対抗意識で余計な記述が多く、いいところを突いているように思える箇所もあるのに、言いたいことがわかりにくいし、読んでいて進まないのでまどろっこしい。過剰な対抗意識の記述を削って、シンプルな書にして欲しかった。その時代錯誤な文体と過剰な知里真志保批判から「トンデモ本」のように捉えそうになるが、内容は知里真志保などの説の曖昧な部分、弱そうな部分を突いており、うなづける部分もないわけではない。しかし余計な対抗意識の部分が随所に挟まり、素直にうなづけない。いい点も突いていると思える部分があるのに、もったいない気がした。「学術」「学術」と繰り返している割りには根拠の乏しい感のある説も入っている。

 「まとめ」を自分で替わりに作りたいぐらいだが、あとがきに一切の引用を禁ずると一昔前の本のようなことが書かれている。その記述だけはここでも引用しておく。知識の蓄積の意義と言う点で疑問を感じる。この本自体は知里真志保をはじめ、萱野茂などの多くの他の文献を引用しており、。アイヌ語の研究はゆっくりだけど着実に進んでいると思う。その中で先人を過大にライバル視したり、罵倒したりせずに冷静に批判するところだけを批判するようになって欲しいと思う。この本の内容も合理的に受け入れられる部分は受け入れられている。しかし一切の引用を禁止すると書かれているので彼の業績と言いにくいし、引用自体も憚られる。このような形で書かれたことが残念である。
(2005/3/28)

北海道河川一覧
北海道建設部土木局河川課・(社)北海道土木協会編

 北海道の川の名を改変している。川や沢の名なら例えば豊平川・ペテトク沢のように水流をあらわす接尾語として「川」や「沢」の字は一つ付けば十分な日本語になるのに、「ペテガリ沢川」のように最後に「川」と言う字をつけることに拘って、日本語として不適当な地名を新たに作り出している。これでは公的機関をして「重い重税」と表現しているも同様である。北海道内の地方自治体は北海道庁関連で発行された本書を至上として、本書に記された表現を国土地理院に「正しい地名」として地形図に表記するように上申(地名調書に記載して提出)している。こうして日本語として怪しい日本語地名が再生産されている。また、この本の記載された川の名は地方自治体からの申告で載せられたとのことだが、情報が集められた当時の地方自治体内の偏りがそのままで、当時の地形図に記載されていた川の名と異なる営林署関連など住人ではない官公庁としての通称や、機械的に名づけられた川の名(例:ニセイチャロマップ第一川・ポキアップ支流川)が「正式名称」として一人歩きし始めている。単純な編集ミスも多く見られ、地図と一覧表の川の名、指している位置が一致していない例や取り違えている例が多数ある。そうしたミスも含めて正式名称化されつつある。取り上げられた河川の選択基準が各河川課出張所ごとに異なっており、ごく小さな川でも名称その他の情報が把握されていることは良いことなのかもしれないが、ほどほどに大きな支流であっても全く支流扱いされず無視されていたりもする。それぞれの河川出張所内における河川としてのIDを付けての把握の仕方も、地形図から河川を見る印象とは一致せず、恣意的に感じる。本書で道内の河川本数の分布などを比較しようとすることはできない。

 この本のような大規模な地名の改悪例は北海道でしか見られない現象という。北海道庁河川課には早急に「この本が北海道の河川の名を正式に認定したものではない」ことを地方自治体に知らしめる必要が、古来から伝わる地名を守る為にある。しかし、一度発行してしまったら取り消すことはお役所仕事としてなかなか難しいのであろう。地名と日本語を守ると言うコンセプトでこの本の作られた経緯を反省し、旧国鉄が有識者の参画を請うて「駅名の起源」を再編集したように新しく情報を収集しなおして、アイヌ語の河川名なども入れて、全く新しく「新北海道河川一覧」を編纂する必要があるのではないか。
(2006/11/25)

北海道蝦夷語地名解 永田方正/北海道庁(明治24年)・草風館(昭和59年)

 明治になって集められた北海道のアイヌ語地名とその解の一覧だが、地図が無いのでその地名がどこを指しているのかハッキリしないという難点がある。解だけでなくアイヌ語の地名そのものにも強引な感じのするものが見られる。この点は知里真志保が痛烈に批判している。しかし、知里真志保にも言い過ぎに過ぎる点もあった。必要以上に貶めてはいけない。他に明治期のしっかりしたそれなりにアイヌ語の分かる学者の採取記録で並ぶものが無いのだ。それに使える解はもちろん多く見られる。そして解がシンプルにまとめられているからこそ、読んで受け入れやすかったのだと思う。

 戦後の復刻版では国書刊行会のものと草風館のものがあるが、草風館のものは初版の復刻で巻末に索引が付いていてとても使いやすい。国書刊行会のものは索引が無く重版された後(第四版・昭和2年)のもので誤植が多いという山田秀三の指摘がある。索引があるということだけでも草風館版をお勧めする。

 この本を永田方正は北海道庁関連の仕事としてまとめたので、北海道の市町村史などの中にはこの本にある古く誤った解・彼独特の解をそのまま引いている例がみられる。そうした利用法は問題がある。アイヌ語の文法についてよく解っていなかった明治時代のものなので、この地名解の記述を元にするにしても新しい知見を加えた上で発表すべきである。
(2007/12/17)

アイヌ人物誌 松浦武四郎著 更科源蔵・吉田豊訳 平凡社

 松浦武四郎の「近世蝦夷人物誌」を現代語訳して注釈をつけたもの。辛かった旅行でしたなーと言う思いを禁じえない。ナチスに迫害される中の人間心理を観察し、それでも人間は「良く」生きるように出来ていると主張したフランクルの「夜と霧」日本版ではないだろうか。書かれた時期はこちらの方がずっと先だ。日本人には近代の歴史でも自分たちが為した醜い面を自覚出来ない恥の上塗りな人がいるが、その前の近世ではもっと忘れている。アイヌ民族は近代以降も抑圧を受けてきたが、日本人は近世にも近代に朝鮮半島や大陸の人たちにしたのと同様の醜いことを当時の日本の辺境でやっていた。政治的な抑圧も伴ってはいたが主に経済的な支配と抑圧、そして暴力であった。迫害や搾取をするのは発散だから記憶に残りにくい。受ける方は抑圧だから記憶に残りやすい。学校でイジメた方は忘れていてもイジメられた方は同窓会まで覚えているのと、日本人が原爆と大空襲とシベリア抑留は忘れないのと、アメリカ人が真珠湾を忘れないのはそういうことである。しかし、この搾取は記憶を語る言葉も奪い、人々の口そのものも大きく減らすほどの激しい抑圧であった。醜い側で記録するしか無いではないか。抑制された書き方で迫害はそれほど直接的に書かれていないけれど、行間からその苛烈さは立ち上ってくる。詳しい事実を書くことは心理的拒否反応として読んでもらえまいと考えてのこの程度の記述だろう。この本が一度は発禁になったということを忘れてはならない。
(2008/2/1)




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