シートートシメヌ山(799m)
ウツナイ川本流東面直登沢

 幌加内町と遠別町の境に位置する、地図上ではそれほど目立たないピークだが、名前の長さと珍しさが際立っている。ピークとしてはすぐ北東隣の三角点「椴虫山」のコブの方がやや高い(854.7m)が、「椴虫」の語源もシートートシメヌ山の「トートムシ」の部分に当て字しただけであろう。机上で、地形図上であまり目立つような山とも思えないがどうして名前がついているのかと思っていたが、実際に現地に行って見ると、名前がついていてもおかしくない、それなりに立派な山だった。



何となく不安げな森

 道路ゲートから立派な工事中の未舗装道路を行く。正面には既に本日の目標であるシートートシメヌ山のツンと尖った山頂が見えている。ダケカンバの疎林とネマガリタケの緑の絨毯が広がりとても800m程度の山とは思えない。この辺りの森の姿は何となく独特でアフリカのサバンナのような印象を持つ。そのわりに落ち着かない、某かの不安を与える森林風景だ。ミズナラの木が多い。

 1.3q先のコブナ橋から沢に入るが、この沢は地形図に名前がなく、コブナ橋には「ウツナイ川」と書いてあり、周囲の他の沢には全て別の名前がつけられているので、この沢がウツナイ川本流とする見方も出来ないことはない。実際には支流のカルウシナイ川やルヤンペナイ川の方が大きいが、この沢をウツナイ川本流と言うことにしておく。

 ウツナイ川本流は平坦で広い谷地形からヨシなどの茂る湿原状態も想像されたが、清冽な流れであった。時折深みもあり、イトウをはじめとする大型魚類がいても良さそうな雰囲気だが、魚影は全くなかった。流れは細かく曲がり、直線距離で見るよりかなり時間がかかる。途中の支流は殆どどこで合流したのか確認できない。

 下流部には黄土色の粘土でなる河床があった。河原の石はフェルト底の渓流足袋でもやや滑りやすい。

 標高430-440mにかけての右岸の崖記号は明瞭な粘土の崖で、変化のない沢の中で現在位置確認に良い。この崖の下には幾つかゴミが落ちていた。人が入っている証拠にはなるがいただけない。これからこの山を目指す人とて秘境ムードを楽しみたくてここに来るはずだ。


下流の様子
(写真提供:同行Og氏)

 標高480mの二股はわかりにくかった。はじめに右岸に水がごく細く、草ボーボーで狭いルンゼ状の出合があり、はじめはこれを480mの二股かと考えたが、水が少なすぎる気がする。そのすぐ上流で右岸は5mほどの崖(?)になっているが西側の空が大きく開けて明るいエリアがあり、ここも480m二股のような気がしないでもない。水は出ていなかったが扇状地状になっているのを本流が浸食して5mの崖となり、水は地下で合流しているのかもしれない。

 そのようなこともあって次の左からの出合は直登沢なのか、480m二股なのか迷った。事前にGPSで直登沢出合のウェイポイントを取っていたので結局この沢を直登沢と決めた。登り始めると沢の流れの形は地形図通りの直登沢の形なので安心した。

 480m二股付近から河原に20cm四方の真っ黒な亜炭が見られるようになる。持ってみると石炭よりかなり軽い。

 直登沢はグシャグシャと土砂があり、草が茂ってむさくるしい沢であった。滝というほどのものはない。次第に後方に三角点「椴虫山」の堂々とした姿が望めるようになる。660m辺りの二股で水流は右の方が多かったが、右がほぼ真北を向いているので水流の少ないものの西寄りの左に入った。左に入ってもわりと長く水流はあったが、ネマガリタケのヤブ漕ぎに突入すると比較的短時間で山頂の東の尾根に出てしまった。この後は山頂まで太い猛烈なネマガリタケのヤブを山頂直下まで漕ぐことになった。左に入っても稜線直下まで沢型があって悪くなかったが、山頂から振り返ると660m二股では右を入った方が若干楽かもしれないかと思えた。ネマガリタケは密度はほどほどだが太さが半端でなかった。積雪量を反映しているのだろう。

 山頂は膝下の低木ブッシュで非常に展望が良い。西側は切れ落ちており、渡る風が心地よい。三角点も置かれず、隣の三角点の置かれた椴虫山の方が標高も高いし、地図で見る限りではこれほど尖った山頂とも思えず、ネマガリタケが腰ほどの高さに茂ったそれほど展望の良くない山頂を予想していたので意外であった。

 天気が良かったこともあり、富良野岳から表大雪、北大雪、天塩、ウェンシリの山塊まで指呼できた。北方は利尻山をはじめ、北海道本島最北の登山道のある山である敏音知岳、天塩山地が天塩川に落ちる手前の鋭峰鬼刺山、函岳、そして椴虫山の北方につながる緩やかな高原が広々としている。南にそびえるピッシリ山から北に伸びる稜線はこちら側がすっぱりと切れ落ちてケスタ地形を示している。朱鞠内湖の広大な姿と、アプローチの無人の一直線の道路も印象的である。



730mのコブから見た
シートートムシメヌ山
★下り

参考時間・・・シートートムシメヌ山-1:30-730mコブ-1:20-工事中道路

 山頂に到達した時間も早かったので若干の縦走を楽しむ為に730mコブまで南へ縦走し、下りの沢は遠別町内まで通じていると見られる工事中の道路に下りて時間の短縮を図ることにした。

 稜線はほとんどネマガリタケの激しいヤブである。途中、ハナシノブの葉やバラ科の葉の多くあるエリアがあった。6月などに登ればそれなりに花が楽しめる山なのであろう。730mコブは背丈ほどの樹木とネマガリタケに覆われた展望の悪いピークであった。


地図に載ってなくても
こんなに立派な道
(写真提供:同行Og氏)

 730mコブから南方を俯瞰すると標高480m付近で沢筋が目的としている下山点に下る沢なのか、その一本東側の遠回りになる沢なのかがはっきりしない。地形図を見ても標高差がほとんどなくてはっきりしない。あまり遠回りはしたくなかったが時間に余裕もあるので、なる様になれという判断で下山することにした。結果としてはじめの目的の道路への最短ルートで下りてくることが出来た。

 この沢は中流では苔むした小さなナメ滝が連続し感じの良い沢であったが、下流部は細かく曲がっていつまでもはかどらず、3週間ほど前の風の強かった台風18号の影響で倒木が多く、歩きにくかった。また、登った沢同様、下流では河床が黄土色の粘土でなっている部分があった。

 最後はコブナ橋まで1.6qほど伸びた工事中の道を歩いて車に戻った。


★山名考

 地形図(2004年現在)ではシートートシメヌ山となっているが、明治23(1890)年頃までに完成していた北海道実測切図にはShitotomshimenupuriシートートシメヌプリとある。「ム」はこの時から既に小文字である。

 アイヌ語のsi tu-tom-us-pe nupuri[[大きな・尾根の上に更にポコっと出ているもの・山]からpe nupuriのつながりが鼻音化してme nupuriとなった後、日本語で最後に「山」をつけることになって山を意味するnupuriを削る際に、なぜかヌが残ってしまった、あたりではなかろうか。しかしムが小文字になっている理由が分からない。アプローチのコブナ橋あたりから見ると尾根上にポコッと出ているこの山の姿と合っている。知里真志保の.地名アイヌ語小辞典ではtu-tom-us-peはナヨロで採集された言葉として挙げられている。

 また、si-tuは「山の走り根」という解釈が地名アイヌ語小辞典にある。tomは位置名詞の概念形で、「面の中ほど、ぶつかってたたいたりめがけて向かって行ったりする対象の位置」という意味が田村すず子著アイヌ語沙流方言辞典にある。


★アイヌ語地名の専門家、浜田隆史氏(「オタルナイ・レコードのホームページ」)にご意見を伺ってみました

--------以下メールより部分的に引用------

 「situ-tom-us-mem 山の尾根・〜に向かう所・〜に付いている・古い小川」→山の尾根に向かって付いている古い小川。つまり、これはもともと山ではなく、ホームページで見られる「無名の沢」(登るルートとして採った沢)を指した言葉で、それを山の名に転用したのではないかと思いました。

 「tom」は、「ぶつかったりたたいたりめがけて向かって行ったりする対象の位置」(音声資料語彙より)で、千歳辞典には「〜の胴中。〜の側面。」とありますが、いろいろに意訳できる言葉です。地名として「ム」が小文字で残っているというのは非常に貴重な情報で、この語が使われたことを決定的に示しています。

 例:「tom osma …にぶつかる」

 アイヌ語はこういう「位置名詞」が日本語よりも豊富で、止まっているものと動いているものの位置は別の言葉で表すことが多いです。この語も、静止的な位置関係ではなく、動きが感じられる言葉と言えるでしょう。おそらく、全体の位置関係(例えば川の水源がどこにあるかなど)が明らかでないまま、「川があの尾根へ向かっている」という感覚で名付けたのでは、と想像できます。

 最後の「メヌ」ですが、このままでは正直言ってわかりません。しかし、消去法で考えると、「pe」が「me」になるということはなかなか考えにくいです。「p」が変化しやすい子音は「t」か「k」で、しかも閉音節の時が多いのです。

 例:「marep マレプ(銛)」→「marek

 さらに、「nupuri 山」のヌだけが省略されずに残るというのは、どうにも解せない話です。私はそういう例を他に知りません。全部省略されているのならまだ話は分かりますが、こんな中途半端な形で地名になる道理は全くないと思われます。

 「シートートムシメヌ山は明治20年頃の北海道実測切図では「シートートムシメヌプリ」となっていました」とのことで、多分昔の人もその「中途半端」が解せなくて、「山ならヌプリだろ?」と足りないと思われる「プリ」を付け足してしまったことが考えられますが、ではなぜ今の地名がそうなっていないのか、納得いく理由を考えなければなりません。今現在残っている地名が「ヌ」で終わっていることは事実で、こういう風にでたらめに残るとは考えにくいのです。

 そんなわけで、私は、最後の手段である「聞き間違い」を考慮して「mem 泉、古 い小川」という語を選びました。一義的には「泉」ですが、『北海道の地名』芽武の項によると、「メムは泉の湧く小池のことで、またそこから流れ出す川の名としても呼ばれたものだった」と書かれています。アイヌ語の「m」で終わる閉音節は、アイヌ語を人よりは聞き慣れた私にとっても「n」と間違えるときがあります。アイヌ語自体の音韻変化としても、場合によっては起こるものです。

 しかも、閉音節のまま長く伸ばすこともあるため(例:「pirka よい」がピリーカと聞こえることもあります)、「メンー」と聞こえたものを「メヌ」と勘違いすることは、シートーなどと長い形で地名に残るくらいですから、まあまあ想像しても良いかと思うのです。

------------- 引用終わり------------

 どうもありがとうございました。元々は山の名前でなく小川の名前と言うことが考えられるのですね。


★アイヌ語地名の専門家、中標津すがわら氏にもご意見をいただきました

 まず、最初の「シー」は「シ」siで、ここに強いアクセントをつけるために伸ばしたわけです。このような例は他の地名にもよく有ることです。シートコロ、シーモシリ、シューパロ、シーソラプチ川など、みな同じで「大きな」「真の」「本当の」の意味です。川の場合は「本流の」「本」で、山やコブの場合は「大きな」の意味で、形容詞ですね。

 シト゜situ(山の走り根)ではないようです。シトは、ここにアクセントはなく「シート」には成らないからです。注)

 次に「トートム」ですが、これは、トトム、さらに、トコム、即ち、ト・コムto・komtoは強調の助詞で「そこの」「あそこの」の意・komはコブ山の意)でしょう。コブ山です。最初のトにアクセントが有るわけです。山を強調したいわけです。ここまでで「大きなコブ山」となり、これが名詞であり主語となります。これがシートートムシメヌ山の事でしょうか。

 次の「シ」ですが、これは「ウシ」usiしか考えられませんね。動詞で「〜が有る」「〜がたくさんいる」ですね。

 最後の「メヌ」ですが、メン、メナ、の線か、メム、の、どちらかでしょう。

 menuの語幹をmenとすると、menaが自然に出てきます。memuは、やや不自然です。従って「メヌ」は「メナ」が語尾変化したもののようです。と言うことは、メム=「湧水・池」はなく、この場合、メナ=「川の支流・枝川」と言うことになります。本流がカルウシナイ川としますと、この名前の支流は登られた沢あたりでしょうか。

 まとめますと、シートートムシメヌ山は、
      シー・・・大きな、真の
      トートム・・トコムで、コブ山
      シ・・・・ウシで、−−が有る
      メヌ・・・メナで、支流、枝川

 全体で「大きなコブ山がある枝川」と言う意味になります。沢の名が山の名に転用されている例は多くあります。

 以下、本筋とは離れますが知里真志保地名アイヌ語小辞典にある「トゥートムシペtutomsipe:[ナヨロ]尾根の上にポコッと出ている山」はほとんど、100%、シートートムシメヌ山と同じだと思います知里の方が正確に記録しています。シートートムシメヌ山の方は、話し手のアイヌの発音に問題があったか、或いは聞き手の記録者の耳に問題があったというか、いずれにせよ正確に記録しなかったものと私は考えます。

------------- 引用終わり------------

 やはり本来は川の名と言うことが考えられるのですね。ありがとうございました。

注)situは地名アイヌ語小辞典ではtuにアクセントがあるとされているが、アイヌ語沙流方言辞典ではsiにあるとされている。方言によってアクセントの位置が違うのかもしれない。地名アイヌ語小辞典のようにsi-tuと分解してsiが「大きな」などの場合は、アイヌ語沙流方言辞典によるとたいていはsiの部分が高く発音される(アクセントがつく)という。


★もう一度考えてみる(2017年)

 シートートムシメヌ山に登ってから13年経った。もう一度考え直してみる。以前は小文字だった地形図のムの字が普通サイズになっていたのにまず少し驚く。

 地名アイヌ語小辞典にはsi-tuに「(沢と沢とに挟まれた)山の走り根。(本山から幾つも分かれている)支山。」とある。私たちが登った無名の沢は、シートートムシメヌ山に突き当たるように向かっているが、シートートムシメヌ山は「山そのもの」で、「尾根」や「走り根」や「支山」ではないように思われる。沢に入ってすぐの左岸に493m標高点の走り根らしき尾根があるが、奥により大きな三角点「椴虫山(854.8m)」の山体があって、あまり目立つ感じがしない。

 下川町のヌカナンポトートシペは前田山(560.4m)の南西約950mの501m標高点の山だが、周辺に顕著に延びた尾根や走り根や支山は無い。ヌカナンポトートムシペはtutomuspeとは違うのではないか。

 ヌカナンポトートシペのすぐ東をサンル川が流れている。サンル川は北海道実測切図では「サンルペシュペ」とあり、前半の「サン」の部分の指す意味がはっきりしないが、後半のルペシュペは道が沿っていることを言ったものだろう。ヌカナンポ(一の沢)のトートシペは、天塩川上流一帯からオホーツク海側へ向かう道の中ほどにあるものと言う意味の、rutom us pe[道の途中・につく・もの]の転訛ではないかと考えてみる。アイヌ語のラ行音は破裂の強いダ行音に近く発音する人も多いという。ダ行音と聞かれればアイヌ語ではダ行音とタ行音を区別しないのでタ行音で伝えるアイヌの人も出てくると思われる。



遠別川と雨竜川を
結ぶ道の推定地図

 シートートムシメヌ山は雨竜川上流域と遠別川上流域の境にある。平隆一(2009)は、松浦武四郎の安政4年の記録等から「遠別川と雨竜川の間にはルートが存在していたことは確かである」としている。カルウシナイ川が推定ルートの一つとして挙げられているが、確定的な根拠は確認できなかったとしている。だが、標高の低いカルウシナイ川の鞍部で、雨竜川すじから一度の山越えで遠別川と越すのはルートとして自然な気がする。もう一つ挙げられている推定ルートはルヤンペナイ川だが、ルヤンペナイ川だと距離が3kmほど長くなり越える標高が高くなる。カルウシナイ川からは460mほどだが、ルヤンペナイ川からだと780mほどになる。明治30年の北海道実測切図ではシーウイェペッ(遠別川本流)が現在の地形図で本流とされるルヤンペナイに向かう筋ではなく、カルウシュナィ(カルウシナイ川)へ向かう筋とされている。遠別川の最奥の向こうはカルウシナイ川と言うことだったのではなかったか。

 雨竜川筋からカルウシナイ川を経てシートートムシメヌ山の南西で遠別川に抜ける道が主な道であるsi- ru[大きい・道]であり、この道の途中にぶつかる枝道であることをいう、〔si- ru〕 〔tom osma〕 ru[大きい・道・にぶつかる・道]が「シートートムシメヌ」で、その枝道の目印としてシートートムシメヌ山の辺りを〔〔si- ru〕 〔tom osma〕 ru〕 w or[シートートムシメヌ・(挿入音)・の所]といったのがシートートムシメヌプリと聞かれたのではなかったかと考えてみた。最後がw orではなくparo[その口]かとも考えてみたが、「ぶつかる」という道の終端のような表現を使いながら、その道の入口のように言うのはおかしいと思った。

 松浦武四郎の安政4年の日誌にはアベシナイ(安平志内川)に昔はアイヌの人が「此川端に多く」住んでいたと聞いたとし、今は他に移ったが帳面ではヲニサツヘ(鬼刺辺川)までアヘシナイの住人と言うことになっているとしている。平隆一(2009)は遠別川〜安平志内川〜雨竜川のルートを、遠別川〜安平志内川のルートがあることから想定しているが、松浦武四郎の安政4年の記録にある風連別川から雨竜川上流にあるアイヌの人の住まいへのルートの聞き書きから、安平志内川を使うルートはありえないとしている(平隆一(2009)遠別川〜雨竜川推定路の一つの遠別川〜築別川〜羽幌川〜早雲内川ルートは三度の山越えとなり、距離もざっと測っただけだが2割程増えそうなので、肉体的な負担が大きいので避けられるのではないかと思う)。だが、松浦武四郎文献からはありえないとしても、住人が多く住んでいる川筋なら、別の川筋に行くルートがあったと想定しても良いのではないか。また、遠別川上流域は穿入蛇行が著しく、春先に遠別川に沿って移動するのは増水した渡渉の連続で消耗させられるように思われる。谷が狭くなって細かく屈曲する前に尾根に上がって硬雪の上を歩くとしても、遠別川上流域一帯は三角点「椴虫山」の北方に延びる尾根を除くとどの尾根もあまり太くなくアップダウンしながら曲がりくねっており、効率が悪そうである。


遠別川と安平志内川を
結ぶルートの地図

 硬雪の頃なら遠別川から安平志内川に抜けて遡り、安平志内川の谷が狭まり、雨竜川への向きから逸れる処の三股川に入り、茶古志内川落ち口から右岸の広尾根に登り、稜線を南下してルヤンペナイ川落ち口付近右岸の尾根末端へ下りるのが良いように思われる。距離は2割増しだが山越えは1回それほど高くないものが増えるだけである。広く緩やかで直線的な硬雪の尾根はどのような沢筋よりも捗る。ルベシュペ川とルベシベ川の源頭域の谷は細く急峻だが距離は短いので平(2009)推定bルートの途中から南側の尾根を採れば雪がある時期の危険箇所は避けられそうである。

 ルウクシアヘシナイはルベシベ川全体の名前で、ヲン子ルヘシヘがbルートの本道と言うことでは無いだろうか。平(2009)aルートのルベシベ川支流はサンチプナイで、越えた先のウツツ川の支流源頭の谷筋が段のようになってルベシュベ川の谷筋の上にあるsancipne -i棚の舟(状の窪み)である・所]のような気がするが、sancipで二段階に修飾された合成自動詞がそうありうるのかどうか分からない。sancip ne -i棚の舟(状の窪み)・である・所]だと、臨時的にもどんどん作られるという名詞+名詞の合成名詞に他動詞ということで、二段階の名詞+自動詞の合成名詞よりありそうな気がするが、sancipがその様をすぐに想像できる言葉とは思えない。sani cip ne -i[その棚・舟(状の窪み)・である・所]なら「アイヌ語入門」の文法通りだが、サンチプネイでなくサニチプネイになる。サニが転訛でサンになったかと考えてみる。

 茶古志内はca -ke us nay[口・の所・につく・河谷]ではないかと考えてみる。輯製20万図にルイアンベナイとあるルヤンペナイ川は道が分かれている所であることを指すru e- arkene -i[道・そこで・半分になる・所]の転訛ではないかと考えてみる(イタリックとしたのは位置名詞(arke)+neの合成自動詞として推定したもので単語として辞典等に見ていない為)。ルヤンペナイ川の上流は、地形図で見る限りに於いてはかなり細い。勾配がそれほどでもないので細くても通行に問題はないのかもしれないが、自分なら今まで地形図を見ながら山谷を歩いてきた経験から移動だけが目的でこの谷を通して上がるのは避けたい。また、遠別川に抜けるとしたら乗越が広く上がる谷も下がる谷もごく小さな谷なので無雪期にはカルウシナイ川から遠別川に越えるのに比べると相当長いヤブ漕ぎが予想される。

 以上のように雨竜川筋と遠別川筋を結ぶ枝道を考えてみたが、シートートムシメヌ山は考えた本道に突き当たる枝道から2kmほど西にある。雨竜川筋カルウシナイ川から見ればシートートムシメヌ山の場所は推定した枝道の本道にぶつかる場所の上手にあたる。シートートムシメヌパ(/ポ)ロ(/リ?)〔〔〔si- ru〕 〔tom osma〕 ru〕 pa〕 or[大きい・道・にぶつかる・道・の上手・の所]と、シートートムシメヌ山の場所を言った明治の測量に関わったアイヌの人がいて、後の地名調書作成の時にはこの辺りにシートートムシメヌという所がある(道があった辺りと言うことでそういう道がある(あった)とはされていなかったかもしれない)ということまでは知っているが、その上手の山を指してシートートムシメヌパ(/ポ)ロ(/リ?)とは呼んでいなかったアイヌの人等の意見で、「シートートシメヌ山」となったのではないかと考えてみる。「本道にぶつかる道」なので安平志内川や茶古志川の落ち口から尾根伝いの全てがsi- ru tom osma ruではなく、カルウシナイ川に当たる南端のルヤンペナイ川に平行する辺りをsi- ru tom osma ru(シートートムシメヌ)と言ったものと考える。

参考文献
北海道庁地理課,北海道実測切図「名寄」図幅,北海道庁,1897.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
田村すず子,アイヌ語,言語学大辞典 第1巻,亀井孝・河野六郎・千野栄一,三省堂,1988.
平隆一,松浦武四郎文献における空知の「アイヌ古道」(4),pp37-56,12,アイヌ語地名研究,アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター(発売),2009.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1982.
知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
松浦武四郎,秋葉實,武四郎蝦夷地紀行,北海道出版企画センター,1988.
陸地測量部,幕末・明治日本国勢地図 輯製二十万分一図集成,柏書房,1983.



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(2004年10月4日上梓 2005年1月21日山名由来訂正 3月11日浜田氏の山名考追加 2006年10月16日すがわら氏の山名考追加 2017年9月2日URL変更 10月29日改訂)