いわおてんぐだけのいちのちず天狗岳(973m)岩尾天狗

 増毛連峰の一峰。海側に張り出す巨大な尾根「天狗の鼻」を持つ巨大な岩山。山頂部には二つ三角点が設置され、しかもそのどちらも最高点ではないなど、ある意味トリックスター。石狩市浜益区幌から浜益御殿・雄冬山を経て大別苅に縦走した。天狗岳へは雄冬山からの稜線から南稜を登り、西の稜線から大別苅川右岸の林道を通って下山した。以下、記録は武好三角点から北を記す。武好三角点までは雄冬山の記事参照。


★武好三角点から南稜を経て山頂

 武好三角点を後に北へ下るとダケカンバの若木が密生するヤブになっていた。東寄りから鞍部に下りた方が良いようだ。鞍部にはトドマツの巨木があり、その周りの木には赤テープが多く結び付けられていた。増毛山道復活計画と関係があっただろうか。鞍部の辺りは樹木が稜線に平行に2車線幅で並木状になっている。この並木まがいは次のコブを滑らかに東へ巻いて更に北へ続いていた。


武好三角点から天狗岳

鞍部

読めない看板

小腸・・・

 若木の密生する平原となり、正面にこれから登る天狗岳南稜が見えるが、その崖具合はちょっと登れそうにない。いきなり崖が立ち上がっているし、すぐ先の尾根上には巨大な雪庇が出来ていて、越えて登れそうにない。しかし、西に目をやると雪は切れてヤブなものの、それほど上に上がるまでは困難のなさそうな斜面もあった。その上には丈の高いハイマツが風でユッサユッサと大揺れしているのが見えて、あのハイマツ漕ぎは何分掛かるか分からないとも思った。

 しかし登ってみるとハイマツは稜線の東側のみに高く生え、西側は普通の潅木ブッシュだった。雪の切れていた部分は山葡萄のツルのヤブや小さな岩場で、歩きにくいと言えば歩きにくかったが、それほどのものではなかった。稜線に上がると西斜面が見えたが、こちらには全く崖がなく雪がきれいについた広葉樹林で、もっと回り込んで西側からキックステップで登ればもっと楽だったのにと反省した。少し平坦なここで標高730mである。


南稜取り付きから見上げる

730mから更に山頂を見上げる

 この先、傾斜はきつくなるが、雪庇というよりは雪堤であり、稜線上のヤブは樹林の混じる笹でそれほど濃いわけでなく、笹や木の枝に掴まりながらキックステップで登った。樹木や笹の丈が高く、折からの強い西風も細い尾根上では、うまく遮られていた。振り返ると、この尾根の直下に広い水面が二ヶ所ほど光っていた。旧武好駅逓のあったプイウシの沢だったと思う。この季節でも水が楽に採れそうとは、ちょっと見つけ物をした思いだった。その後ろには四角い暑寒別岳が大きく聳えていた。

 標高820mで細い尾根は終り、一旦平坦となるが、この上は森林限界である。強風にたまに耐風姿勢を取りながら登った。正面の急斜面では雪が切れ、一面に丈の高いハイマツが茂り、ヤブ漕ぎには相当の困難が予想されたので東へ回り込んだが、強風の中の急斜面のトラバースも難しいものがあった。


820mから山頂

バックは雄冬山

 山頂台地に上がると高いハイマツのモンスター(雪は殆ど落ちていた)と低いダケカンバの点在する荒涼とした風景だった。急に広がった緩やかな地形に今まで何をしてきたのかなと思ってしまった。少しうねりのある台地上を歩いて山頂に着いた。山頂はすぐ下に雪のたまっている窪みがあり、そのすぐ上の全く踏み跡のない背丈ほどの高く濃いハイマツのヤブの中だった。

 この南稜が雪不足などで登れそうにない時は、山上東側の三角点へ南側から直登する谷地形の東側の尾根を登るつもりだった。武好三角点付近から見る限り、樹林が続き安全そうに見えた。岩尾山道も痕跡はまだ残っているらしい。途中に狭い沢を渡る部分はあるが、雄冬〜天狗縦走時のエスケープルートとして使えるのではないだろうか。

てんぐだけのちず1
最高点から三角点「岩尾天狗」方面

三角点大別苅方面

暑寒別岳・群別岳

浜益岳

★山頂から大別苅へ下山


増毛山道の電柱跡

 最高点の東西にある三角点はそれぞれ、西が岩尾天狗、東が天狗岳という名である。当初は西の岩尾天狗も踏んでこようと考えていたが、強風に疲れたので止めることにした。「天狗岳」の三角点は潅木に囲まれていて、標柱が雪の上に顔を出していた。

 天狗岳三角点から東へは少し段があり、尻滑りで下降。更に平坦な台地上を歩いて台地の端に達し、天狗岳東斜面はスキーに好適な斜面と見た。適度な疎林でボウル状で、標高差も大きい。

 鞍部に下りると朽ちた電信柱があった。その先に更に4,5本の電柱が連なって残っていた。傾いたり、柱以外の付属物が全くなかったりと言う状態だった。増毛山道在りし日の痕跡であろう。増毛山道は更にこのまま稜線上を別苅の谷地町付近に続いていたとされるが、登り返しと雪が切れていたらが面倒なので北側に平行している別苅林道に下りることにした。

 別苅林道までは問題なく下りられた。しかし別苅林道は北斜面の中腹にあるので、林道路面は積雪で完全に山の斜面と一体化し、斜めになるのでスノーシューでは足首や膝の横が痛くなりそうだった。またこれだけ雪が深ければ樹林帯とは言え雪崩の危険もなくはない。あまり良いルート取りではなかったと反省してそそくさと通過した。

 別苅林道も標高450m辺りからは雪崩の恐れもなくなり(緑橋付近は別)、増水した沢を眺めながら下山した。標高200m付近で林道上の残雪もなくなり、旧国道に出た。旧国道231号線の路肩には春の花々が咲き誇り、コブシやヤマザクラも見られ、ずっと雪の上を歩いてきたがやはり春だったのだと思った。旧道入口のゲートは開いていなかった。そのまま新国道を大別苅バス停まで歩いた。

てんぐだけのちず2てんぐだけのちず3

★山名考

現行地形図
(2009)
増毛町史
(1974)
三角点名 丁巳日誌
(1857)
巳手控
(1857)
天狗岳 ベツカリノボリ
(大別苅山853.5は
歩古丹ヌプリ)
天狗岳(1911)
岩尾天狗(1916)
大ヘツカリ岳
ヘッカリノホリ
ヘツカリ岳
ホロヘサキ岳
ホロヘナイノホリ
ホロヒイノホリ
ホロナイ岳
ホロヘサキ
大ベツカリ
ホロナイ岳
ホロヒイノホリ
ヘツカリ岳

 松浦武四郎は安政4年に、当時開削されたばかりであった増毛山道を北から南へ通り、その報文日誌で今の天狗岳と思しき名が幾つか挙げられている。

 日誌には幾つかスケッチがある。天狗岳東鞍部からのスケッチでは「ホロヘナイノホリ又へッカリノホリとも云」と説明がある。

 天狗岳南鞍部からのスケッチでは「ヘツカリ岳」とある。ヘツカリ岳の北の後方に「ホロヒイノホリ」が、一部顔を出しているように描かれているが、別の山なのかどうか判然としない。更に行程が進んだ雄冬山辺りからと思われる北東方から南方のスケッチでは「ヘツカリノホリ」と記している。

 日誌本文では後に武好駅逓(旧)の設けられたフイウシの辺りのフイウシヒラで「此上ホロヘサキ岳ともまた大ヘツカリ岳とも云なり」と記し、続けて「ホロベサキノホリヒラ」を廻りて行くと記している。

 増毛からのスケッチでは「ホロナイ岳」と記している。ホロナイといった川の名はこの辺りで見かけないので疑問の残るものである。ホロヘナイノホリのことか。

 増毛町史ではベツカリノボリとしている。ノボリ/ノホリはnupuri[山]で、ベツカリはpes tukari[水際の崖・の手前]で西側がすぐ海沿いの大きな崖になっている現在の大別苅地区で、その水源が「大ヘツカリイトコ」と松浦日誌にある事が示すようにベツカリのまま大別苅川の名に拡充され、その水源である天狗岳がベツカリノボリと言うことで、大ヘツカリ岳でもあったのだろう。松浦武四郎の日誌には「大ヘツカリ 相応の川有」とあるが、「相応の川」の名が記されていない。

 ホロヘナイノホリ/ホロヒイノホリ/ホロヘサキ岳/ホロベサキノホリ/ホロナイ岳について考えてみる。

 日誌の、増毛山道を通らなかった北行きの部分に「ホロヒ」という地名があり、頭注で「今の日方岬か」とある。ホロヒの西の「カモヱヒ」には「カムイピツ神岩」と頭注がある。日誌本文には「カモヱヒは神崎也。ホロヒは大岩岬也。即此処第一の大岬、西地にてヲフイサキと号よし。ヲカムイを越て見ゆるは、即此岬也。」とある。カモヱヒをカムイピッとするのは永田地名解で、「『ピツ』ハ大小石ノ総名」とあり、地名アイヌ語小辞典はpitを幌別方言で「ござ織機に用いる小石」としながら、永田地名解を受けて「地名では・・大小岩石の総名」とする。永田地名解は、ホロヒはポロピッで「大岩」とする。

 しかし、「ホロヒイノホリ」などを見ると、位置は日方岬辺りなのだろうが、ホロヒをporo pitと解釈するのは問題があるように思われる。pitが幌別で織機用小石なのに、すぐ近くの室蘭で「大石」となるのも疑わしいように思われる。

 「ホロヒ」はporo hi[大きい・ところ]かと考えてみるが、漠然としていてどうもおかしいような気がする。松浦武四郎の記録の「ホ」は、「ポ」なのかどうかと言う気もする。ホロベサキがあるので「ヒ」は「ピ」のような気がするが、これも確信が持てない。ホロヒの解釈は保留としておきたい。ホロヘナイはホロヒのnay[河谷]、ホロヒイはホロヒo[にある]-i[もの]か。

 ホロヘサキ/ホロベサキは、天狗岳東鞍部からのスケッチで群別川の水源の群別岳と思しき山に「ホロクンヘサキノホリ」と振られているので、「サキ」の部分に川などの名から場所を拡大する言葉が含まれているのではないかという気がするが、よく分からない。或いはサキはホロヒに入る所という意味でcar -ke[口・の所]か。

 ホロナイは、大別苅川がポロナィporo nay[大きくある・川]であったのかもしれないとも考えてみる。「御内」と誤って書かれることがある三角点「喞内」は、別苅地区を流れるポンナィに由来すると思われる。喞の字はポンプ(喞筒)を表すのに用いられた漢字で無理のある用字であった。ポンナィはpon nay[小さい・河谷]でポロナィと対になっていると考えるのが素直なような気がするが、すぐ脇が増毛山道の入口なので、増毛山道の前身となったアイヌの人々の道の入口であるpar ne -i[口・である・もの(川)]の転訛のような気もする。そう考えると、大別苅川を記録にないポロナィと考えるのは無理があるように思われる。ホロヘナイとホロナイという似た音がカムイエト岬やマッカ岬を挟んで8km離れてあったとするのは兎も角、それぞれが一つの山の名となるというのもどうも怪しい感じがする。天狗岳のアイヌ語の名では結論が出せない。

 天狗岳という和名は、その南側の大きな岩場を見て「天狗」を連想したかとも考えてみるが、「天狗の鼻」と言われる巨大な北西稜の名が先にあり、天狗の鼻の頭と言うことで天狗岳と言ったものかとも考えてみる。

参考文献
高桑真一,北海道・増毛山道,pp69-77,677,岳人,東京新聞出版局,2003.
やぶやま探訪記Database
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1982.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1982.
増毛町史編纂委員会,増毛町史,増毛町役場,1974.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集4 巳手控,北海道出版企画センター,2004.



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(2009年5月9日上梓 2017年5月29日山名考改訂)