割石岳 (1410.2m)と 耳岳 (1202m)
わいし/わりし だけ みみだけ
割石岳・耳岳位置図

矢石付近から見た
尾之間三山

 割石岳は屋久島南部の尾之間三山の主峰。屋久島の奥岳の山はどの山にも「割石」が乗っている気がするが、山頂に二つの巨岩があり、山麓からでも割れているようにも見えるのが由来か。この二つの巨岩は地形上に割石岳の名の図示される三角点のピークの南西にある別のピーク近傍にあり、岳参りの祠も巨岩の下にある。南西ピークの標高は三角点とさほど変わらないが、正確には分からない。巨岩も南西ピークの直上にあるわけではなく、細かい標高の値などはどうでも良いような気もしてくる。三角点のある最高点はヤブの中だが、南西ピークも最高点は狭く寂しい所で、距離にして20mほど南西に下がった地点に巨岩と碑石と展望がある。

耳岳アップ 耳岳はモッチョム岳と割石岳の中間に位置する小さなピークだがピーク全体が1つの巨岩でなっている。麓から見ると耳のついた坊主頭のシルエット(左写真)に見えることから、「耳」岳と呼ばれるようである。坊主の頭は角度が厳しく、本当の山頂までは登れなかったが、あと10mほどの岳参りの祠のある地点までは登って来ることが出来た。

 割石岳への登りに用いたコースと、岳参り山頂の存在は地元のYさんにご教授いただいた。蛇之口滝の全景は岳参り山頂でなければ見えなかった。ここに改めて謝意を表したい。

 この記録のルートは道ではなく、全てヤブ漕ぎである。

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割石岳・耳岳の地図1
割石岳・耳岳の地図2

★1日目 のりこし〜割石岳三角点山頂

「のりこし」の看板の写真 尾之間歩道の鯛之川水系から鈴川水系に変わるところには左写真のような小さな看板が道の西側に落ちている。ここから歩道をはずれて尾根伝いに割石岳に向うことにした。ここまでは尾之間歩道の記事を参照。

 林床はきれいでどこでも歩ける。気のせいかもしれないが踏み跡もあるような気がする。しばらくはいろいろ目印テープもあるが、次第になくなる。昔は猟師道などがあったのだろう。はじめのピークを越え、つぎのピーク(1287m標高点)とのコルまでは歩き易い。しかし森が深く展望が得られないので方角がわかりにくく、頻繁に磁石を見る。展望があれば細かいピークは巻いてしまいたいところだが、念のためにピークの最高点を通るようにする。

 次の1287mのピーク付近では次第に低木のヤブがきつくなる。イバラのツルも多い。出来れば樹高が高く、ヤブの薄い北東面の斜面で巻いてしまいたかったが、やはり念のため最高点を通る。割石岳の北面が木の間越しに見える。

 次の割石岳のすぐ北のピークと1287mの鞍部の東寄りには水流が見られ、水が汲める。その沢地形を詰めると、このピーク近くのやや西のコルに出るが、ここからは正面に割石岳の北面が既によく見えているので、ここは最高点には寄らず、トラバースで割石岳に向う。


割石岳北面

 割石岳の北面には3つの大きな露岩が見える(左写真)。鞍部から左と中央の岩の間を登っていった。中央の露岩のすぐ横を通り、露岩の上に立つことも出来た。太忠岳、花折岳と本高盤岳から御船岳(翁岳)の奥岳の主稜線が見えるが、宮之浦岳は翁岳の陰になり見えないようだ。西寄りに鈴岳も大きく見える。鈴岳は地図で見るとのっぺりした山だが、この露岩から見るとかなり立派だ(このページの一番下に写真)。

 また、北の鞍部から北西に下る沢は、地元のYさんによると大きな滝は1つで尾之間歩道まで下ることが出来、鞍部は平坦で水も北西面沢を5分も下れば得られるとのことでテン場としても使え、沢はエスケープルートとして使えそうだ。


瓶と三角点

 三角点の山頂は展望は全くない。ヤブの中である。折れた航空測量用の標識と三角点と記録を入れた瓶が2本転がっているだけだ。この瓶の話を事前にYさんに聞き、ロマンを掻き立てられる思いがして見るのを楽しみにしていたが(山中にものを残していく行為は感心しない・・・もっともっと昔のものかと思っていた)、瓶の中身は2本とも湿気ており、コーヒーの瓶の一本は紙が既に腐っており、もう一本も紙が濡れて瓶の内壁にくっついて、取り出して読むことは出来なかった。透かしてみると、「?.U.W.V.」の文字が見え、どこかの大学のワンダーフォーゲル部のもののようだった。

 加藤数功(1937)はこの三角点の場所を「花折岳」として、以下の岩場の頭の岳参りの碑石などがある割石岳と区別している。

 三角点山頂の20mほど南に平坦な小さなコルがあったので、そこで幕営することにした。水は10分ほど西に下りてみたが得られなかった。でも本当はすぐ近くにあった(後述)。


★2日目 割石岳三角点山頂〜耳岳

 2日目の朝は前日の北面の露岩で、朝日の奥岳を眺めようと登り返して行ってみたが奥岳はガスっていた。

 三角点山頂の南側の窪地を横断して、岳参り山頂に向う。この窪地は大木の疎林で林床は平坦、花崗岩の風化したマサが砂浜のようにきれいに敷き詰められ、幕営に良さそうだ。水も流れており、前日にあと5分頑張ってここまで来てしまえば良かったと感じた。焚き火の跡が複数あった。岳参りでここに泊まるのでないかと思う。


岳参り山頂の
二つの巨岩

岳参り山頂から
耳岳・モッチョム岳の稜線

 岳参り山頂へは何となく踏み跡があり、目印のビニールテープも幾つか下がっていた。わりと新しいもののようだった。岳参り山頂最高点は小さな露岩で竹薮を漕いで松や杉の枯れ枝がシャツの中に入りながら登る。山頂最高点には低木のヤブに鹿の糞が落ちているだけで何もない。南に耳岳とモッチョム岳の険しい岩壁が初めて見える。南西には巨岩が2つ見え、そちらが如何にも何かありそうな感じがしたので少し下る事になるが行ってみることにした。ビニールテープの踏み跡はこのピークを通らず、はじめから北側を巻いて南西稜上に続いていた。

 巨岩のそばに着くとそこは大きな一枚の岩の上で、立てた将棋の駒の上を歩くような正真正銘の蟻の戸渡りで、右も左も展望がある恐ろしい所だ。右下には割石岳に登るからには見ておきたかった巨大な蛇之口滝の全景が見えたが、破沙岳・鈴岳の一角として見てしまうとその姿は小さかった。割石岳の影が滝に掛かっているので写真が暗い。蛇之口滝の全景が撮りたかったら、日の高い昼間にこの岳参り山頂に立ち、三脚と望遠レンズが必要なことが分かった。


割石岳から見た
蛇之口滝と破沙岳
蛇之口滝全景
蛇之口滝アップ

 二つの巨岩のうち、下手のものはぐるっと一周出来て、南の端に岳参りの碑石があった。碑石の上で巨岩はハングしており庇状になっている。碑石は花崗岩で出来たもう風化して文字の読めなくなったものと、黄色の山川石で出来た、倒れて半分土に埋もれているものがあった。山川石の方も地上に出ている部分の文字は読めなかった。Yさんによると昔の割石岳岳参り歩道は南西稜上に付けられていた可能性があるという。

 巨岩の表面はひびが多く入っている。

 割石岳山頂台地の縁まで戻り、耳岳に向かう。磁石だけで一発で耳岳への小尾根に下りられる自信がなかったので、GPSも手元に出して樹冠が切れる度に小尾根上に採ったウェイポイントへの方向を確認するが、2回、距離にして数十m、間違った尾根に下りかけた。耳岳から割石岳に登ってくる分には良いが、下るのはGPSなしではかなり難しいと思う。濃い照葉樹林で視界が殆ど得られないのが難しい。


耳岳北面近景

 足元は、これまで来た割石岳北側の稜線や山頂窪地のきれいな林床と異なり、ハイノキのヤブが続くようになって、振り返って自分の歩いた跡を確かめようにも確かめにくくなるが、このくらいのヤブはまだ序の口だった。耳岳北の肩の少し上で耳岳がすっきりと眺められる露岩があった。耳岳北の肩は東面の大木がひっくり返っていて露出した岩が座りやすいので、大休止することにした。割石岳南面をトラバースしてこの鞍部から割石岳に登る岳参り歩道があったらしいと「屋久島の山岳」で読んだが、ここまで道があった気配は感じられなかった。

 北の肩鞍部は笹が茂っている。耳岳登頂は見るからに無理そうだが、東側に回りこんで上がれる所まで上がってみることにした。真西から少しヤブを払った跡とビニールテープがあり、写真の矢印の所まで登れた。矢印の箇所には「尾之間村」の岳参りの祠があった。それより上はロッククライミングが必要だと思う。

 割石岳、耳岳の山頂付近にはアカマツが唐突に現れ、驚かされる。アカマツの林というのは何か乾燥しているように見えるのだが、屋久島のような多雨で湿潤なところで見ると意外な感じがする。山頂付近は乾燥しやすいから生えられるのだろうか。ヤブ漕ぎには、アカマツは樹皮や枯葉が落ちやすくてシャツの背中に入るので、手強い相手である。

 耳岳からは、モッチョム岳タナヨケ歩道の尾根上に万代杉らしき樹影を見たような気がしたが、迂闊なことに写真を撮ってこなかった。ブロッコリーのように吹き上がる形の木が尾根上に目立っているのが見えたが、もう一度行って写真を撮ってくるしか確かめようがない。残念だ。

補記
その後、耳岳に行かれたhiroyasuさんから耳岳山頂付近から撮影したタナヨケ歩道の尾根の写真をいただいた。カシミールで地形図上の万代杉の位置をマークして展望を描かせて比較してみた。

耳岳から付近からブロッコリー状の木の写真 ブロッコリー状の木の位置をカシミール3Dで再現

何とも言えない。もしかしたらそうかも知れない。hiroyasuさん、ありがとうございました。(2005年3月29日)


★耳岳〜モッチョム神山展望所


耳岳南面
ヒカゲツツジ
ヒカゲツツジ

 耳岳から南は岩稜状で尾根伝いに行けないので東面を巻いていく。ここから神山展望所までは所々ビニールテープが目印に付けられているが、突然途切れていたり、よく分からない方に付けられていたりすることもある。部分的に刈分けたような切り口が見られた。耳岳の東面下降の途中にはキャンプをした跡と焚き火跡があった。

 耳岳坊主の足は意外に長くて、一気に標高を下げて足元を巻く。基部の岩肌には全国的には珍しいと言われているらしい、ヒカゲノカズラの仲間である「ヒモヅル」がたくさん下がっていた。よく見るヒカゲノカズラよりかなり細くて、長くズルズルと絡まっている。


割石岳から朝日の鈴岳

 これまでの耳岳までのヤブ漕ぎに比べ、標高が下がってくるのでヤブの密度が高くなってきて見通しが得られず、はかどらない。耳岳までは登山靴にスパッツなしでも問題なく歩けたが、耳岳より下では落ち葉や枯葉、土が靴に入るようになる。ハイノキに替わってアリドオシが膝下に増え、棘がズボンを突き通して痛い。1070m等高線のピークも出来れば巻いてしまおうと考えていたが、巻いたつもりである程度トラバースしても思っている半分ほどしか進んでおらず、結局1070m等高線のピークも最高点を踏むことになった。1070m等高線のピークはヤブでスッキリした耳岳の展望は得られなかったが、折角なので木に登って耳岳の写真を撮った。

 ここを下りきると、さすがにモッチョム岳が近くなったこともあるのか刈分け跡のようなものや踏み跡、目印テープは増えてくるが、どれもイマイチあてにならない。結局、神山展望所のすぐそばまで変わらないヤブ漕ぎだった。

 神山展望所ではヒカゲツツジが咲いていた。神山展望所の北面だけ、あてに出来る踏み跡を踏んで、ロープをくぐってモッチョム岳登山道(タナヨケ歩道)に出た。

 「神山展望所」の「神山」とは、展望する割石岳と耳岳を指しての「神山」と聞いたり、展望所のあるピークが「神山」であると聞いたりしたが、どうもよく分からない。モッチョム岳の奥側で高い「上山(かみやま)」でないのかと考えてみる。

 モッチョム岳に寄ってからタナヨケ歩道を下山して千尋の滝駐車場に出た。


★山名考

 割石岳の「割石」は、割れているように見える山頂の石のことと、耳岳の「耳」は耳が出ているような山容を指すと考えておく。割石岳は、「屋久島の山岳」には「わいしだけ」と読み方がある。「屋久島散策絵図」には「わりしだけ」とフリガナがある。

 加藤数功(1937)は、割石岳の岳参りの山頂を「割石岳」と、割石岳一帯の最高点である「割石」の三角点の所を「花折岳」として区別している。

 「花折岳」について考える。

 「花折岳」の名は国土地理院発行の地形図に無いが、屋久島で太忠岳と石塚山の間の山の名ともされている。安房などの岳参りの山である太忠岳と、楠川の岳参りの山である石塚山の間にある、太忠岳より少し高くて石塚山と同じくらいの高さの山である。割石岳で、「割石」三角点の山頂が、岳参りの山頂の近傍で同じくらいの標高である「花折岳」としての類似が気になる。読み方の難しそうな山名にはフリガナを付けた加藤数功(1937)だが、「割石」の三角点のある「花折岳」にはフリガナを付けていない。「屋久島の山岳」は石塚山と太忠岳の間の花折岳を「はなおれだけ」としている。「割石」三角点峰も「はなおれ」か。或いは「はなおり」ということもあるか。

 「ハナワ(塙)・ネ(嶺)」の転訛かと考えてみた。「塙」は高地や一段高い所を指すと言うが、東海地方育ちの私の幼少時に遊び仲間が言っていた塙は砦になりそうな人里近くの高台のことだったと思う。屋久島の標高1000mを超えるような極限的な山頂一帯の高所まで指すのか。

 メインの山から少し離れた、「ハナレ(離)・ヲ(峰)・ラ(等)」かと考えてみた。屋久島の方言ではラ行子音は脱落したり半母音になったりすることがある。「ハナエオラ」を経て日本語の母音の重出を嫌う傾向で「ハナオラ」となり、更に訛ったのが「ハナオレ」ではないかと考えた。「割石」が「わいし」となるのと同じである。或いは「ハナレ」が長音化することがある屋久島方言の「ハナーレ」かとも考えてみた。だが、どうも漠然としている気がする。本当にメインの山から離れているだけの山と言うことを「はなれ」で言ったのか、どうも怪しい気がする。


花折岳付近の地図

 或いは「花折谷」のような谷か沢の名があり、その源頭の岳かとも考えてみる。地名が多く記されている屋久島の「山と高原地図」に「花折谷」や「花折沢」の記載は無いようである。石塚山の隣の花折岳は北東が太忠沢で北西は石塚沢と石塚山なので、残る南面の沢が花折沢かもしれないと考えられるか。割石三角点の花折岳は東面か北西面か南西面か。地形図で見る限り、割石三角点峰の南西面沢には谷の中ほどの標高1150〜1250mに不連続に折れる所があり、この沢の源頭が水が得られて平坦で寝泊まりが出来る所なので、注目すべき谷筋として名を付け、不連続な折れる所を指しての「撥ね・折れ・谷/沢」かと考えてみたが、命名点としては上からも下からも奥に過ぎるような気もする。地形図上では不連続でも、地形図が描き得なかったというだけで現地に行ってみると普通に谷筋が繋がっていると言うこともありそうである。また、石塚山の隣の花折岳の周りにはこうした撥ねて折れるような沢筋は地形図上では見当たらない。

 或いは、割石三角点南の焚き火跡の複数見られた緩い水のある山上の谷間が「ふな(舟)」(細長く窪んだもの)で、その奥側にある所と言うことの「ふな(舟)・うら(末)」の転が「はなおり」/「はなおれ」か。石塚山の南面直下とそのすぐ東に2本の浅く緩い水のありそうな谷筋が地形図上であり、北西側の石塚の方から石塚山に登り、2本の谷間の内の東側の方の谷間が泊まり易い場所とされることがあったとすれば、その泊まり適地の奥側(東側)にある花折岳が「ふな(舟)・うら(末)」と言う事も考えられるか。だが、石塚山に昔あった石塚からの登山道の山頂の北側直下の、山頂まであと10分の所に岩屋と水場があったようで、岩屋付きの水場が近くにあるなら、そちらの方が優先して使われる気もする。

 石塚山と花折岳の間は比較的平坦で高台のようである。割石三角点の南側の焚火跡の所も比較的平坦で高台と言えそうである。花山歩道の花山広場も「はな」が付いて比較的平坦な高台と言えそうである。屋久島の山野を跋渉した猟師などは泊まれる平坦地として標高1000m超の急峻な斜面の上の高台も塙といった痕跡が花折や花山なのか。花折は「ハナワ(塙)・ネ(嶺)」の転の「はなおれ」でないかと考えておく。

参考文献
太田五雄,屋久島の山岳,八重岳書房,1997.
村松昭,屋久島散策絵図(散策絵図シリーズ1),アトリエ77,2009.
加藤数功,九州山岳の高度標に就いて,九州山岳 第2輯,新島彰男,朋文堂,1937.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第2巻 村落誌 中,屋久町教育委員会,1995.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第3巻 村落誌 下,屋久町教育委員会,2003.
上屋久町郷土誌編集委員会,上屋久町郷土誌,上屋久町教育委員会,1984.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
上村孝二,屋久島方言の研究 ―音声の部―,九州方言考5 鹿児島県(日本列島方言叢書27),井上史雄 他,ゆまに書房,1999.
赤星昌,屋久島 美しい豊かな自然,茗渓堂,1968.



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(2004年5月5日上梓 2017年7月21日URL変更 2017年8月6日山名考追加 2022年1月23日改訂)