本高盤岳の位置の地図

本高盤岳
トーフ岩
本高盤岳 (1711m)
ほんこうばんだけ 通称「トーフ岩」、「タクワン岩」など

 山頂に乗る「トーフ岩」は屋久島島内で最もシャッターを切られる岩だと言う。淀川口から登られる宮之浦岳登山道には「高盤岳展望所」も設けられた。湯泊歩道からわずかに道を離れた所にある。湯泊歩道からすぐ着くがトーフ岩の上の最高点までは登れなかった。


本高盤岳の地図 花之江河から南の方へ湯泊歩道に入る。すぐ木道の階段は終わり、右へ栗生歩道を分けると道はやや荒れて水が溜まるようになる。しばらく行くと前方に本高盤岳がすっきりと見える開けた斜面を下って行き、沢を渡って少々行くと本高盤岳の鞍部に達するので左のヤブに入っていく。目印テープなどは見当たらなかった。自分で鞍部と判断して歩道から外れる。

 ヤブに入って山頂の方へ歩き、斜度が加わるようになるとすぐに、踏み跡と目印テープを見つけられることだろう。後はこの踏み跡に従う。

 シャクナゲの大木の中に入ると、トーフ岩の直下に到着したと言うことだ。右上の写真で言うと右の端に出たということで、右の2,3の岩はロープ無しでも登れるが、最高点となりそうな岩には簡単に登れそうにない。事前に腕と大股を突っ張って登ることは出来ないかと考えていたが、割れ目の幅は上部に行くほど大きく開いて一尋を超え、手掛かり足がかりは小さく、それなのに岩肌はざらざらで手の平が痛くて私には無理だった。トーフ岩のどの岩にも登攀具のボルトの跡が残っている。この狭い地球で、誰も登っていない岩などはありえないと言う事なのかも知れない。

 岩の周りはぐるっと周ることが出来る。どの方面にもそこそこの展望が開けている。トーフ岩の下を覗いて見ると、岩の接地面積はかなり小さいのが分かる。その狭い面積にこれだけの岩の重量がかかっているかと考えると薄ら寒くなる。割れたのは自重や太陽熱による膨張のせいだとしても、基盤である屋久島本体の岩とはどうやって分かれたのだろうか。宇宙人の遊んだ跡、という空想じみた俗説もチラッと頭をかすめる。


トーフ岩の
割れ目

 こうした大岩は地下にある時からこの大きさの岩となることが決まっていたらしい。屋久島を為す花崗岩の塊が堆積岩の地盤を突き破って隆起する時の熱収縮や衝撃で割れて、巨岩の元(コアストーン)となり、巨岩の周り(ひびの周りや巨岩の角)が地上に近付くにつれて風化し砂や小岩となって流されて、丸くなった巨岩だけが山上に残ることになったらしい。


★山名考

 明暦の頃の作と見られる屋久島大絵図に「高盤岳」とある。

 「屋久島の山岳」は「難読地名の読み方」で「ほんこうばんだけ」としている。

 高盤とは足があり背の高い大皿を指すと言うが、「たかさら」と読むので高盤岳(こうばんだけ)の名とは関係がない。只の宛て字である。屋久島方言では、各戸に割り当てられないで自由に焼畑などに使ってよい土地を「コバ」と呼ぶと言う。薩摩弁での「コバの岳」が「こうばんだけ」と聞き取られ、高盤岳の字が当てられたかと考えてみた。本高盤岳のような、年中霧で覆われて日照が少なく低温の高山で焼畑はなかっただろう。奥山で林産物を自由に採取してよい区域にあたる岳であったかと。



推定
ホンクボ・ジンネムクボの地図

 だが、本高盤岳の位置は奥山に過ぎるように思われる。海岸沿いの集落から日帰りできる位置ではない。焼き畑も出来そうにないが、日常的に林産物を取りに行くことも出来そうにない気がする。

 近くに同じ音と字を用いたジンネム高盤岳があり、関連があると思われる。本高盤岳とジンネム高盤岳を繋ぐものを考えてみる。

 自然の地形で直接繋ぐのは淀川の流れである。屋久島では谷筋のことを「クボ」と呼ぶことがある。永田岳に突き上げる「神様のクボ」は有名である。湯泊歩道の西側には「メンガクボ」がある。地名の記載の多い屋久島分の「山と高原地図」を見ると「〜谷」という谷筋の方が多いが、島内の所々に「〜クボ」と言った谷筋の名が見られる。「こうばんだけ」は「クボの(源頭の)岳」ではないかと考える。「本」と「ジンネム」は、谷筋であるクボを修飾していた言葉と考える。

 地名用語語源辞典の「ほん」の項から考えてみる。文字通りの「本クボ」ではないだろう。「本」を「ほん」と読むのは漢語由来である。「ほん」が「本」と異分析されることで、無くても良いように思われて、只の高盤岳ともなったと考える。屋久島の方言で母音が落ちて、「の」が「ん」になることや、短母音の長音化はあるようである。「こーばん」は「クボの」の転訛と考える。

 「掘りクボ」の転かと考えてみたが、ジンネム高盤岳に登る時に落ち口を見たが谷筋が掘り込まれている印象は無かった。本高盤岳間近でも歩道から眺める限り特別に深いと言った掘り込まれたような谷筋でもなかった。トーフ岩の「秀(ほ)のクボ」かと考えてみたが、古語辞典を見ると秀は「何か(の)秀」と用いられることが多いようである。トーフ岩は岩の秀かも知れないが、「いわほのクボ」とは言われていないわけで無理がある。僅かばかりの「仄(ほの)クボ」ということは、それなりの広さと水量のある谷筋なのであり得ないと思われる。「含(ほほみ)クボ」も、特に膨らんでいる谷筋ではない。

 本高盤岳の周りの谷筋を見ると、山の西側の谷筋と東の谷筋が南流し、合流して西寄りに向きを変えて下り、ジンネム高盤岳からの谷筋と合流して淀川本流となり東寄りに向きを変えて荒川へ下っていく。戻るように大きく向きが変わるのは猟師が山中を移動する時には重要な注意点と思われる。

 戻っているような筋の地形を指して「ほん」に転訛しそうな言葉を考えてみる。思いついたのは「裏の」である。「ウラの」の r が落ちた「うあん」が「ほん」に転訛したのではなかったか。淀川の下流側から、小さな鞍部を越えて、本高盤岳に向かう推定「ホンクボ」にショートカットできる。

 或いは、高所である花之江河などの奥岳の一角の方へ向かう、「上(うわ)の」クボの転訛かとも考えてみる。

 遠崎史朗著「海上アルプス屋久島連峰」に出てくる「ギロン岳(タクアン石)」は本高盤岳の別名のように思われる。挿図で描かれる位置は安房歩道と尾之間歩道の股の間で、三穂野善則(1968)のビャクダン岳が相当しそうだが、本高盤岳に相当する位置に何も書かれておらず、本文で「奇妙なかたちをした・・・ギロン岳」と書かれている。ビャクダン岳は巨岩が上に乗っているが奇妙と言えるような形ではなく、本高盤岳のトーフ岩は奇妙と言いたい姿でタクワンのようにも見える。

 ギロン岳の名も本高盤岳の名の一伝承と思われる。ギロン岳とは、トーフ岩を積み上げた「壟(ぐろ)の」岳ということだったのではないかという気がする。

参考文献
立ち続ける巨岩たちの 本音トーク,pp9-11,12,わーい屋久島,自然島,2003.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
日本大辞典刊行会,日本国語大辞典 第8巻 こく-さこん,小学館,1976.
宮本常一,屋久島民俗誌(宮本常一著作集 第16巻),未来社,1974.
太田五雄,屋久島 宮之浦岳(山と高原地図59),昭文社,(2004).
上村孝二,屋久島方言の研究 ―音声の部―,日本列島方言叢書27 九州方言考5 鹿児島県,井上史雄・篠崎晃一・小林隆・大西拓一郎,ゆまに書房,1999.
遠崎史朗,海上アルプス 屋久島連峰,雲井書店,1967.
三穂野善則,山岳,屋久島,赤星昌,茗渓堂,1968.



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(2003年12月14日上梓 2017年7月6日山名考追加 7月13日URL変更 2020年7月17日改訂)