上止々呂美小字向所から
明ヶ田尾山 上止々呂美から
みょうがたおやま

 高山から明ヶ田尾山に登ると標高差が200mもなく、梅ヶ谷からでも250m程度と物足りないとも感じる。西側の余野川沿いの止々呂美から登ると標高差は400mをこえる。また、バスの便数が多く訪れやすい。

  • 歩行日・・・2012年11月
  • 五万図・・・広根
  • 参考時間・・・1時間15分

★上止々呂美から

明ヶ田尾山の地図 最寄のバス停は中止々呂美となる。国道423号線と箕面森町への分岐の交差点に中止々呂美のバス停がある。中止々呂美バス停から国道を300m程、余野川の上流に向かって進み、上止々呂美自治会館の前から南東側の山の斜面に沿った上止々呂美の集落に入る。細く曲がりくねった急傾斜な道である。国道から100m程で集落を突き抜けて山地となり、沢に沿って更に急傾斜の道を登っていく。右手の青い屋根の養谷寺への橋の名は「中谷橋(なかだにばし)」、この小沢の名は「中谷川」である。この小沢の辺りの小字名は「久保ノ所」で、この中谷をクボ(窪)と呼んでのものかと思われる。入口の自治会館のある集落名は上止々呂美の「北の所」で、下手の中止々呂美バス停と止々呂美神社の辺りが上止々呂美の「馬場の所」である。上止々呂美は余野川北の「上の所」と合わせて三集落からなる。

 谷の二股の手前で左手の山の斜面へ登る道が分岐しており、こちらに入る。相変わらずの急傾斜である。すぐ先に上水施設がある。その先で山の斜面からの土砂が上水施設に道に沿って流れ込まないように詰まれた土嚢が道を塞いで舗装が終わっている。土嚢を乗り越えて道は続く。山の斜面を登る道は西に向きを変えて標高310mあたりで尾根の上に出る。この辺りまで上止々呂美の集落から山仕事の作業小屋が道沿いに幾つも連なっている。

 道は急傾斜の尾根をウネウネと細かいカーブを描いて登っていく。広葉樹の明るい尾根で、南側の鉢伏山の斜面が時折見えるが展望はあまり無い。標高410m辺りには方形の石垣があった。畑があったのだろうか。ここから植林の中の道となる。この石垣のすぐ上で道は左へ明ヶ田尾山へ尾根を直登するような道と右の南の鞍部への道が分岐しているが、鞍部への道の方がかなりはっきりしている。鞍部への右へ入る。

 右へ入ると間もなく道は斜面のトラバースとなる。標高450mである。針葉樹の植林を抜けて栗の林が突然現れ、その先で小さな谷を渡る。谷の向こうにはもう一本向こう側の谷も見えていて、この谷に挟まれた小さな斜面に付けられた植林の中の道を更に斜めに登るが、途中でほぼ水平な杣道が交差している。明ヶ田尾山へは直進して登る。すぐ先で見えていた向こう側の谷に達すると標高490mで、谷はこの辺りだけ傾斜が緩くなっていて中谷川左股の水がにじみ出ている。最終水場であり、ここで谷を渡る。2m程上手に炭釜の跡があり左岸に沿って僅かに登り標高500m辺りで切り返して山の斜面を戻るように登る。上止々呂美から明ヶ田尾山の間で、この谷に挟まれた小さな斜面を登る区間だけが、その地質と傾斜ゆえに傷みやすいのか道が細い。

 斜面に取り付いてしばし西に進むが鞍部の直下からは急斜面を掘り込んでジグを切って傾斜を緩めて登れるようにした、この道の下部同様に丁寧に作られた歩きやすい道である。7、8回切り返す。鞍部に上がるとポッカリと開けた平地があって、道も何もない。殆ど崩れた炭釜の跡があり、茶碗や飯盒の欠片が落ちている。鞍部から明ヶ田尾山と鉢伏山の縦走路までは道の痕跡が感じられないが、どこでも歩けるきれいな林床と平坦で広い谷地形である。

 鉢伏山との縦走路に合流してからは梅ヶ谷のコースの記を参照のこと。

 標高410mの先で左に入る明ヶ田尾山への尾根を直登するように見えるルートからも明ヶ田尾山山頂に向かえるが、途中がかなり不明瞭である。480m付近で更に分岐し、その右はすぐ上で行き止まりのようである。左に入り、植林を抜けて明ヶ田尾山の広い西の尾根の雑木林に入ると踏み跡が判然としなくなる。標高530mあたりに御中道のように道が山肌を廻っていて、北側へはすぐ先の炭釜で行き止まり、南側へは二箇所の炭釜の跡を通って細く判然としない道の跡で西の尾根から南に分かれた小尾根に登り、そこから尾根伝いで山頂に至る。


中谷橋から
中谷川を見る

上止々呂美の
上水施設の横を

掘り込まれている
下の方は作業小屋が多い

尾根の
上に出て

急傾斜な尾根上を
ジグを切って登る道

標高410m付近の
石垣

中谷源頭を離れて
斜面をジグザグに

鞍部間近の
路盤

参考文献
地図資料編纂会,正式二万分一地形図集成 関西,柏書房,2001.
小上「諄,止々呂美村誌,止々呂美村役場,1931.



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(2013年1月14日上梓)