冷水山の位置の地図

冷水山(3月)
鳩ノ巣山から
冷水山(702.8m)
ワッカナンペヌプリ

 夕張山地でも下手の夕張の市街地に隣接する山。レースイスキー場がある。

 植物化石が容易に見られる山として知られる。北海道に自然分布していないカメ(ユウバリリクガメ)の化石も稀に見つかると言う。

 JR石勝線夕張駅から直接アプローチできる。


 夏山ガイド5巻にレースイスキー場拡張で付け替えた1991年造成の登山道と、その時の標識があったように書かれていたが、登山道の標識は見なかった。2007年に財政破綻して、街中の公衆トイレさえ閉鎖されている夕張市が、これから冷水山登山道の整備をすることはしばらく不可能であろう。登山者が歩き続けることで登山道を維持するしかない。


夕張駅駅名票

夕張駅とキハ40
冷水山地図

 夕張駅を出ると正面にホテルマウントレースイがあるので、左に回りこんでスキー場に向かう。回りこむ手前にコンビニがあって便利だ。リゾート用に装飾された幸橋で志幌加別川を渡り、スキー場に入る。

 マウントレースイスキー場の中級者向けの細い林間滑降コース「スリリングライン」に沿って登るのが、登山道として適当であり、夏山ガイド5巻にあるコースも、スリリングラインとほぼ平行していたか、スリリングラインの夏の姿であったかとも思われるが少しスリリングラインから離れていたかと思われる部分もある。スキー場の広い滑走コースの中心やスキー場管理用の車道でも登ることは出来るが、林間コースのスリリングライン「登山道」の方が涼しく登れるだろう。あまり良い道とは言えなさそうだが。

 レースイスキー場の主要運送器であるシャトル6ゴンドラの下の谷間の林間を登る。シャトル6ゴンドラ乗り場(センターハウス)の手前にある沢地形の右岸に道があり、これを登る。斜面の少し上にある、傾かせて作られたログハウスが目印になり、この右側の谷間を登っていく。道沿いにはルピナスが咲いていた。この辺りは歩きやすい。

 僅かに水の流れる沢地形を横断してゴンドラの支柱に突き当たると右折して右の支谷に入る。入口付近がややぬかっていた。支谷は暗いが谷の中は乾いている。少し登ると左折する。このあたり、ややヤブがかぶっていた。すぐに二股になっていて直進気味の左に進むとまたゴンドラ下の谷間に降りてしまう。右に曲がって尾根を登り始める。北向き斜面をトラバースしながら尾根を登っていく。どうも作業道跡のようだ。幅が人用というには広すぎる。が、広い幅には草が茂り、人幅だけ鹿が日常的に歩いて維持しているような踏み跡である印象。目印テープの類は殆どないが、たまに「スリリングライン」の標識がある。しかし、この標識は滑降してくる人向けに付けられているので登ってくると字は見えない。


傾いて作られた
ログハウス

登って来ると
見えない看板

 標高470mから490mがやや不明瞭だ。フキが生い茂っている。しかしどんなに迷っても所詮は大きなスキー場の真ん中である。もがいていれば、そのうち広いスキーコースに飛び出す。490mで別の滑降コースに合流(分岐)し、さらにそのすぐ上で、さらに広いコースと合流(分岐)する。下から向かって右側のスウィンガーズリフトのエリアから中央のダンサーズエリアへの連絡コースを経てディアラインと呼ばれる幅広のコースに合流したと言うことだ。


スリリングコース分岐

 スリリングコースの周りは広葉樹林だが、ディアラインの周りは植林されたトドマツ林だ。スキーコース上もいろいろ帰化植物が茂っていて、どうも山の自然と言う感じがしない。更にディアラインがワインディングロードに合流すると、ついに車道歩きだ。高茎の帰化植物すら見られなくなり芝生だけになる。展望が開けるが、夕張市役所の自動車が後ろから追い抜いていった時は興醒めを禁じえなかった。車道沿いに石炭は見られるが化石はまだ見られない。

 標高650mあたりから道端に植物化石が見られるようになる。ただ広葉樹の葉っぱの化石で薄いのと、シダ類の化石を見つけることが出来なかったので、イマイチ恐竜時代と言う雰囲気がしないのが少し寂しかった。期待し過ぎていたのが悪いのだがシダ化石もあるらしい。


夕張市街と
鳩ノ巣山

 ゴンドラ山頂のスカイステーションの手前で右の小山に階段があり、その上が冷水山の山頂である。ベンチ・双眼鏡の類は撤去されたようだ。アリの巣が多い。頂上からは石狩平野がよく見える。メロンだろうか、ビニールハウスが沢山光っているのが見える。夕張の市街地とその後ろの鳩ノ巣山はよく目立つ。昔は沢山の煙突から煙が出る光景も見下ろせたのだろうが、炭住はもう殆ど目に付かない。後ろには夕張岳が少し見える。それにしても周辺の山々はあまり自然の山々と言う気がしない。針葉樹植林地が多いし、皆伐斜面も目立つ。地図にない太い林道も多く見られる。炭鉱で使われる木材として、また、炭鉱鉄道の余技としてかなり伐られたのだろう。また、「大自然の夕張」で再興するには難しいものがあるように感じた。

 夏山ガイド5巻にはスカイステーションの後ろ側に、より東側の展望の良い箇所があるように書かれているが、スカイステーションをぐるっと回ってみたがそのような踏み跡は見つけられず、猛烈なネマガリタケのヤブだけが広がっていた。1967(昭和42)年の地形図には南側の若菜地区から林道と登山道が南東を回って山頂に付けられていたので、夏山ガイドに書かれたのはその登山道の痕跡ではなかったかと思う(現在も途中までは点線として記載)。夕張本町からも登山道があったように書かれていたが、これとほぼ同じ位置に、林道があったのは見た。



路地の階段の
雪覆い

神社参詣用
モノレール跡

 夕張駅前のホテルマウントレースイにはレンタサイクルがある。冷水山登山後の市内散策に良いのではないか。「何も残らなかった」と言われる夕張だが、市内には昔ながらの建造物が数々残り、有料施設に入らなくても街並み散歩が楽しい。北海道では数少ない山間部に作られた街と炭鉱の「夢の跡」も感じられる。また、温泉もホテル内にある。

★山名考

 アイヌ語の山名は1891(明治24)年の北海道実測切図(道庁20万図)ではワッカナンペヌプリとあった。

広域図 池田実(1981)はワッカナンベヌプリを「ワッカナペ・ヌプリ 『ワカナベ沢の(水源にある)・山』の意。」としている。また、「冷水山の名は、ワッカナンベヌプリを意訳してつけられたものである。」とし、北海道実測切図でワッカナンペ、北海道仮製五万分一図でワッカナペッであった冷水山から下るワカナベ沢川を「ワッカ ナ・ペッ 『水・冷たい・川』の意。」とする。

 ワカナベ沢川は「水源は冷水山で途中あちこちの湧水を集めて流れる、冷たい清れつな川である。」とされるが、その土地の年平均気温に規定される湧水の温度が周辺の他の地形的な差の少ない谷川と実感できるほど低いとは考えにくい。また、水が冷たい川というアイヌ語と言うことでワッカナペッにはならないだろう。

 ワカナベ沢には若菜辺坑があって地区名は稚南部(わっかなんべ)、若鍋(わっかなべ)、若菜辺、若菜と変遷したという。「鍋」の字が火気厳禁の炭坑で嫌われたらしい。今の若菜地区はワカナベ沢や志幌加別川上流側にあるペンケワカナベ沢から離れた少し志幌加別川左岸の上手にある。ワカナベ沢の近傍ということではなく、若菜辺坑の引き込み線の連絡駅だった若菜駅の周辺という地区名なのか。

 志幌加別川の谷筋を登ってきてワカナベ沢に入ると、戻るような向きに登ることになる。このこという makke -na un pe[後ろ・の方・にある・もの(川)]の転訛がワッカナンペ、makke -na pet[後ろ・の方の・川]の転訛がワッカナペッと考える。但しペンケワカナベ沢は戻るような向きになっていない。wakka nam pe[その水・冷たい・もの(川)]と捉えられるようになって、「きれいな冷たい水が流れてい」たというペンケワカナベ沢にも近い上手の所にあるということで(penkeは「上(かみ)の」)適用されるようになったかと考えてみる。

 冷水山の山名は本当にアイヌ語の wakka nam pe の意訳によるのだろうか。意訳にしては音読みで「れいすい」と堅苦しい。本町や鹿ノ谷方面から見るとスキーに適したレースイスキー場のある広い斜面が引っ込んでいるように見える、「いり(入)・そは(岨)」の語頭の「い」の落ちた転が「れいすい」で、源頭の一つとするワカナベ沢のワッカナンペについて考えられた(が、ワッカナペッは説明できない)アイヌ語解に絡めて「冷水」と字が宛てられたのではないかと考えてみる。「れ」がダ行音、例えば「出(で)」の転訛かとも考えてみたが、冷水山の尾根(峰⁽を⁾)などが特別夕張市街地のどこかに飛び出ていると指摘できない。

参考文献
地学団体研究会札幌支部,札幌の自然を歩く 第2版,北海道大学図書刊行会,1991.
梅沢俊・菅原靖彦,冷水山,増補改訂版 北海道夏山ガイド5 道南・夕張の山々,北海道新聞社,1999.
北海道庁地理課,北海道実測切図「札幌」図幅,北海道庁,1891.
池田実,夕張の旧地名,夕張市史 上巻,夕張市史編さん委員会,夕張市役所,1981.
陸地測量部,北海道仮製五万分一図「角田」図幅,陸地測量部,1896.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.



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(2007年8月17日上梓 2008年3月9日写真2枚挿入 2020年5月7日改訂)