山名考

イタフネシリ/エタフクネシリ

 珠文岳西南西方約3kmの標高488mのピークである。

 寛政10(1798)年の谷口青山の浜頓別町頓別辺りからと思われる自高島至舎利沿岸二十三図の内のトンベツに「エタプフキ子ノボリ」とあり、左右に肩のある鋭鋒として描かれる。

 安政3(1856)年の松浦武四郎の浜頓別町頓別辺りからと思われる手控のスケッチに「エタフク子シリ」とあり、南東側のコブも合わせた特徴的な山容が描かれる。松浦武四郎の日誌の挿画では少し角が丸くなって「エタフ子シリ」とある(「子」は「ネ」である)。

 明治29(1896)年の「北海道地形図」(50万分の1)には「エタプフ子シリ」とある。5文字目の「プ」は小書きである。明治30年の「北海道実測切図」(20万分の1)には「イタフ子シリ」とある。明治31年の「北海道仮製五万分一図」は「イタフネシリ」とある。この辺りの地形が正確でないこれらの三つの地図では、標高488mのピークがある尾根より北方と思われる尾根上にイタフネシリの名があるが、周辺に他にエタフクネシリに連なる名前の山が無いことと、松浦武四郎のスケッチに描かれた山容に合う山が無いことから、エタフクネシリとイタフネシリは同一と考える。一文字目が「エ」から「イ」となったのは、或いは二文字目との音を憚ったか。

 現在(2017年)の地形図で見ると、北北東-南南西の軸で細くなっている山であり、この軸の北北東側の延長に、松浦武四郎がスケッチしたと思われる浜頓別町頓別地区がある。頓別から488m峰までに見通しを妨げる山並みは無い。東斜面が急峻で立っており、南東側にコブがある。西斜面は山頂直下以外は比較的なだらかに下っている。

 山頂が尖って飛び出ている山なので、エタフクネシリ、イタフネシリはアイヌ語の etu hup ne sir[その先端・はれもの・である・山]ではなかったかと考える。エタプフキネノボリは etu hupuhu -ke ne nupuri[先端・のはれもの・の所・である・山]ではなかったかと考える。


頓別と488m峰の
位置関係の地図

松浦武四郎の安政3年の手控のスケッチ
「カムイトト(浜頓別町海岸)眺望の図」模写

カシミール3Dによる浜頓別町頓別(高度2m)から見た
珠文岳〜パンケ山の眺望(高さ強調2倍)
国土地理院基盤地図情報数値標高モデル10mメッシュ(標高)利用
但し、標高データは浜頓別町域と中頓別町域を含む分のみとした。

珠文岳は747mの北東峰が最高点(760.9m)より高く見える。
敏音知岳は形から見るにプウネシリらしい。
488m峰上空のピンは488m峰の経緯度で高度600mに
置いた識別用のウェイポイント。
松浦武四郎のスケッチは的確である。

カシミール3Dによる
頓別からの眺望の
珠文岳西側アップ

イタフネシ
位置の地図

イタフネシ
中頓別鍾乳洞付近から
(写真提供:札幌在住Suさん)

北海道仮製五万分一図
「頓別」図幅(明治31年)より
イタフネシリ付近
(右横書きで小書が右下に付く仕様)

現在(2017年)の
地形図での
イタフネシリ
(エタフクネシリ)

中頓別鍾乳洞駐車場からの
カシミール3Dによる眺望
但し、高度90m(地上から約9m上)、
高さ強調1倍

 似た音を持つ雄武町の枝枝幸(枝々差/えだえさし)は同様にアイヌ語の etu[鼻]を用いて、今の音や「イタエサシ」といった記録はアイヌ語の etu ous us -i[鼻・のすぐそば・につく・もの(川)]の転訛で枝枝幸川を指し、etu[鼻]である枝枝幸の岬のすぐそばで海に注いでいる川(枝枝幸川)である事を言ったものと考える。

 松浦武四郎の安政3年の日誌では枝枝幸付近に「エタエサンサキ」とあるが、日誌の元となった手控では「エタエサシ」であった。安政3年の10年前の弘化3年の再航蝦夷日誌では本によって「ヱタヱサン岬」と「ヱタヱサシ岬」がある。手控には無かったが10年前の最後がシではなくンで言われていた記憶があり、枝枝幸川を etu ous[鼻・のすぐそば(川)]とだけ呼んでいた頃があり、その川のすぐ横の岬と言うことで再帰的に〔etu ous〕sam[鼻・のすぐそば(川)・のそば(岬)]と言ったのが「エタエサン」岬だったのでないかと考えてみる。安政5年の手控では通った地名として「ヱタヱサシ」、地名の訳の聞き書きで「エタエサシ 岬出たるよし」とある。後の一般向けの西蝦夷日誌でも「エタエサシ」であるが、東西蝦夷山川地理取調図では「ン」のように見える。他にンの記録は知られていないようなのと今の音から、「ン」は蝦夷日誌と廻浦日記と取調図の「シ」の誤解読・誤刻であったかもしれないとも思う。


枝枝幸川付近の地図
岬のすぐ横で
枝枝幸川は海へ落ちる

参考文献
浜頓別町史編集委員会,浜頓別町史,北海道出版企画センター,1995.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集3 辰手控,北海道出版企画センター,2001.
松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 下,北海道出版企画センター,1978.
北海道内務部地理課,北海道地形図,自治堂,1896.
北海道庁地理課,北海道実測切図「頓別」図幅,北海道庁,1897.
陸地測量部,北海道仮製五万分一図「頓別」図幅,陸地測量部,1898.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1994.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
伊藤せいち,雄武町幌内川のアイヌ語地名,pp11-28,3,アイヌ語地名研究,アイヌ語地名研究会・北海道出版企画センター(発売),2000.
松浦武四郎,吉田武三,三航蝦夷日誌 下,吉川弘文館,1971.
松浦武四郎,秋葉實,校訂 蝦夷日誌 2編,北海道出版企画センター,1999.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集5 午手控1,北海道出版企画センター,2007.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集6 午手控2,北海道出版企画センター,2008.
松浦武四郎,東西蝦夷山川地理取調図,アイヌ語地名資料集成,佐々木利和,山田秀三,草風館,1988.
松浦武四郎,秋葉實,武四郎蝦夷地紀行,北海道出版企画センター,1988.



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(2017年9月3日上梓 2020年6月24日改訂)