椎空知山
桜山から
椎空知山 (942.6m) + 奥佐幌岳(1040m)
しいそらちやま 空知山と書かれる

 日高山脈最北端のネームドピーク。しかし山の名の由来としては単なる三角点の名前に過ぎないようだ。シーソラプチ川の畔にある三角点の名前としてだが、それなりに山の体はしている。地形図などでは「稚空知山」と書かれるが「稚」は「チ」で「シー」とは読めない。三角点の名前は「空知山」でシイタケの「椎」の字が当てられて「稚」ではない。地形図の「稚空知山」の表記は誤記のような気がする。川の名を点名にした陸地測量部はともかく、それを誤転記してそのまま山の名にまでしてしまったように思われる。シーソラプチ川の源流はずっと奥だ。si- はアイヌ語で「本当の」とか「大きな」の意味で、空知川の本流ということである。


椎空知山の地図1
椎空知山の地図2

★佐幌岳から椎空知山へ

 佐幌岳から縦走し、シーソラプチ川へ下山した。佐幌岳までは狩勝峠から縦走でもサホロスキー場からでも登れる。いずれも夏道もある。スキー場に入山届を出せば、スキーを持たない登山装備でもゴンドラに乗せてもらえた。

 ゴンドラ山頂駅から登りきって露岩のチャランケ岩。チャランケ岩の後方奥に建つ佐幌山荘から疎林の中を下っていく。次のピーク1040m標高点は奥佐幌岳と呼ぶ人もいるらしい。山頂は笹の混じった草原で風が吹き抜けやすいのか積雪がなかった。途中の鞍部は風が強い為か変な形の木が多かった。次の1034m標高点ピークは岩峰であるが西側から簡単に巻ける。東側斜面には周囲では既に落ちてしまっている樹氷(モンスター)がよく残っていた。モンスターではなく風下で風雪が積もりやすい地形の樹上の積雪だったかもしれない。途中に電波反射板が2枚ある。次のピークへの鞍部はとても広い。木も少ない。佐幌岳と奥佐幌岳の中間の地形・配置とよく似ているのに林相はずいぶん異なる。


佐幌山荘

鞍部で佐幌岳を振り返る

奥佐幌岳から
北へ続く山並み

1034m標高点から
奥佐幌岳を振り返る

奥佐幌岳手前の鞍部

1034m標高点の岩場

 次の968m標高点を少し下りた辺りから自然林の雰囲気ではなくなる。揃ったダケカンバの若木が、ある一線からピチッと展開される。次の846m標高点の山頂付近から次の鞍部まではアカエゾマツの大木の森である。佐幌岳からずっと締まった雪の上を歩いてきたが、さすがに針葉樹の暗い樹林の下はまだ雪が締まっていなかった(2008年春はかなり温暖)。ズボズボはまる。次の鞍部(最終鞍部)から地質図上では深成岩である花崗岩から変成岩のホルンフェルスに岩の種類が変わるが、雪の上の地形上には全く変化は見えない。

 846m標高点から見上げる椎空知山は堂々としてとても大きく感じるが、最後の登りは見かけより近く感じた。最後の傾斜が緩んでからがやや長く感じた。山頂周辺はどこが山頂だか分からないほど平坦である。樹木が少なく展望はすこぶる良い。特に東大雪の峰々が一列に浮かぶ様子はここならではであろう。


968m標高点を
下り始める

椎空知山から振り返る
佐幌岳方面

十勝連峰

椎空知山から
北日高の山並み

東大雪の山並み
禿げている部分もある

846m標高点上の奇樹

東大雪の山並み

★椎空知山からシーソラプチ川へ

 北に変成岩であるホルンフェルスの地質が十勝岳の火山噴出物帯に沈むまでを歩くことが日高山脈縦走の筋を通すというものだと考え、更に稜線を北上した。846m標高点には奇妙な形をした枯れ木が立っている。この辺りまで下がるともう樹海の巨木の一歩一本が肉眼で識別できる。しかし同時に営林されて禿山になっている部分や、植林された苗がまだ育っておらずバリカンで剃ったような部分も大雪山を遠景にして目に付く。

 疎林のまま台地へ下り立つ。最後の部分はやや樹木が少なく、樹海の上に聳える十勝岳連峰が見事である。日高山脈を形成してきた日高帯はこの北、一旦溶結凝灰岩に潜った後も北東に続き、ピシカチナイ岳辺りで再び大きく地表に現れ、石狩岳などへと続く。

 台地上には巨木が多い。風が弱いのであろうか、かなり立派な木が多く見られる。


椎空知山の斜面から

台地が近付いてきた

台地に下りた

 シーソラプチ川がかなり流域面積の大きい川であるゆえ、渡渉が困難であろうと考え、手元に持っていた昭和53年発行の1/50000地形図に記載されていたシーソラプチ川標高540mの橋を目標に歩いた。部分的に川岸が崖になっているところもあり下りられる箇所は限られる。台地から下降する部分は急斜面でトドマツが密に植林されていた。この狭い河谷と急斜面と台地の並びはこの辺りが幼年期地形であることを示している。まだ十勝岳の火山灰が台地を形成して地質学的に日は浅い。

 シーソラプチ川河畔に下り立ち、地形図上の橋を探してみたが跡形も見当たらなかった。仕方ないので河畔の倒木が流れを跨いでいるのを伝って川を渡った。雪解け増水が始まっていなかったのは幸いだった。更に1kmほど上流の標高560mの太い橋を目標に下りるべきだった。

 シーソラプチ川右岸の林道は、これより下流で100m前後の高さの崖の下を通る箇所が続き、雪崩の危険からエスケープには使いづらいと感じていたがスノーモービルの跡はもちろん、古いカンジキの跡も見られた。冬場も通る人がいるらしい。この後、西側の台地を越え、エホロカアンベツ川を一跨ぎの幅と水量で渡り、三角点経歳鶴(930.8m)のピークに登った。


台地上の様子
背の高い樹木が多い

鹿に皮を
はがれたようだ

シーソラプチ川渡渉

参考文献
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
中川充 他,1/200000地質図幅「夕張岳」,地質調査所,1996.
佐藤博之 他,1/200000地質図幅「旭川」,地質調査所,1977.



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(2008年3月27日上梓)