湯泊歩道の位置の地図

中間集落から見た
七五岳

道の様子

烏帽子岳から眺めた
七五岳
七五岳(1488m)・烏帽子岳(1614m)
しちごだけ/ひちごだけ
湯泊歩道+七五岳ショートカットコース

 七五岳は屋久島の西南部、全面に岩を剥き出し、皮をむいたタケノコのようなすさまじい姿の山である。中間集落からその槍のように天をさす姿を見ることができる。昔、中間の七つの子が神隠しにあったから七五岳というのだという。実際に中間集落から、微妙に傾いたこの山を仰ぐと、まさに「見下ろされている」と言う強い存在感で、この神隠しの伝説を聞かされた地元の子供なら、かなりの恐怖を感じるのでないかと思う。湯泊、中間、栗生集落の岳参りの山。

 烏帽子岳はそんな七五岳をちょうど俯瞰できる位置にある山。七五岳の山頂へは少し危ない所も通り、踏み跡も部分的に錯綜しているが、烏帽子岳へは危険な所はない。道もしっかりしている。奥岳の展望も良い。花之江河と湯泊集落をつなぐこの道は湯泊歩道と呼ばれている。

 登りに使うのは大変かと考えて、花之江河から海岸へ下りた。


★花之江河〜三納山舎跡〜烏帽子岳

 淀川宮之浦岳登山道から花之江河で別れて湯泊歩道に入る。1997年に初めて通った時には道を覆うヤブがひどく、雲霧林で露が多く服がびしょぬれになったが、2003年には適度にヤブは刈られ、倒木によって道が塞がれているような所も目印テープが付けられ、迷うような感じはなかった。本高盤岳の南西は太く立派な杉林になっているが、並木のように揃っていたのは植えられた小杉と言うことであったろうか、それなりに成長した倒木更新後の姿であったか。

 道がジンネム高盤岳に向かって東西方向になるまでは現在地確認も難しい微地形が続く。三能山舎跡までは斜面のトラバースの道である。この辺りの森も見応えがある。花山歩道の森のようなスッキリ感に欠けるきらいはあるが、急峻な斜面に岩を抱いて格闘して生える大木は、例えここが屋久島でないと言われても、若いコスギに過ぎなくても、心打つものがある。1997年に初めて通った時は古い細い木で作られた桟道が滑りやすかったが、2003年には半分以上は耐用年数を過ぎたのか崖に落ちて使えなくなっていた。しかしそれほど問題はない。

 データロー岩舎はそれを示す標識は見つけたけれど岩舎が見つけられなかった。ワレノ岩舎は中が傾いていて水が流れていて居住性が悪そう。それでも1997年初訪時は奥に干草が敷いてあって、「これは猟師さんだけが使っているのだろうか」と感激したが、2003年再訪時には中を流れる水流の雨裂が大きくなっていて居住性が悪くなっているように見えた。それでも雨天の休憩などには十分だろう。

 斜面の向きが変わって、植生が急に細かい照葉樹林になると間もなく、三納山舎跡の広場である。ここから左手に分岐するのが烏帽子岳への登山道だ。広場はテン場としても使えそうで、北側(七五谷)に少し下れば水が得られる。烏帽子岳へは特に問題はない。11月でも南向きの烏帽子岳山頂ではイッスンキンカが咲いていた。小さくてとてもかわいい。山頂のすぐ手前にある烏帽子岩は、はじめの一歩が急なハングで、懸垂と指の力に自信がなければ取り付けない。ショルダーなら登れるかもしれない。登るとしたら下りる為の準備は持参せねばなるまい。

 1997年に初めて烏帽子岳から七五岳を眺めた時、七五岳から何か構造のあるもののような印象を受けた。大きな工場の壁際のキャットウォークから、分解掃除されている大きな機械を見下ろしているようだと思った。2003年再訪時、事前に七五岳は非常に尖った山だという情報を持って見たら、構造物には見えずに尖った山にしか見えなかった。人間の感性なんて怪しいものだ。

イッスンキンカ

烏帽子岳山頂の様子
左が烏帽子岩、右が七五岳


★三納山舎跡〜七五岳〜ショートカット分岐〜登山口

 七五岳へは登り返しが二回あり、山頂近辺では踏み跡や目印テープが錯綜している。分岐からしばらくはどうということはないが、そのうち木の根をつかんで巨岩の根っこをトラバースしたりするようになる。それでも2003年には初訪時に苦戦したサルトリイバラのヤブ漕ぎなどは無くなり、目印テープも増えてよく整備されているように感じた。一般登山道と言うにはロープの欲しい気がする所もあったが、ロープ無しでも行けないことはない。

 切れ落ちた岩の狭いテラス歩きがあったら、それは最短ルートをはずれ、南面から北面をぐるっと回るコースに入ってしまったと言うことだ。ぐるっとコースの頂稜の西の端には岩屋があり焼酎が供えてあった。どちらにしても最後に岩の割れ目を一跨ぎして一枚岩の七五岳山頂に至る。一つの巨岩の上なので風で何かが飛ばされても追っていってはいけない。全方位が絶壁だ。下の写真は七五岳から奥岳方面の合成パノラマ写真である。北側の谷底と谷の向かい側には皆伐地と杉一色の植林が広がり、黒味林道沿いには林道造成が理由としか考えられない土砂崩れが多く見られるが、これも屋久島の置かれた実情だ。


七五岳から奥岳のパノラマ

←七五岳山頂から見下ろした黒味林道と黒味川上流域。林道造成による斜面の崩壊が多く見える。写真左下には皆伐された斜面が見える。既に草が生え揃っているのか色は緑色だ。

七五岳の地図 三能山舎跡より下の湯泊歩道本道は林相も優しくなり、気持ちの良い道が続く。七五岳を見上げる辺りでは、秋にはヤクシマツチトリモチがニョキニョキと赤い芽を出していた。

 ショートカットコースは七五岳を下りて最初のコルから薄暗いヤブの中に続いている。七五岳の南壁の下に回りこむように下がり、その後、小沢を渡ってから標高1000m付近まで真南に延びる尾根上を行く。昭文社の山と高原地図(1999年版)にある道とは全く違っている。七五岳南面直下をトラバースしていたらしい中間歩道の分岐は分からなかった。

 ヤブは払われており、目印テープを追っていくが、目印はやや少ない。標高1200m付近は湯泊歩道本道の同じ標高の部分とよく似た地形と植生で、デジャヴにとらわれる。この辺りは林床が非常にきれいで、その上に落ち葉が間断なく積もっているのでどこが踏み跡かはっきりしない。分かりにくさは本道側もこの標高辺りでは同じである。

 標高1040m付近で、コーヒーの空き缶が木に掛けてあったT字路に突き当たり、踏み跡と目印テープの通りに右折すると沢で行き止まりになっていた。この刈り分けはどこに向かっているのか意味がよくわからなかった。或いは中間歩道か。湯泊へは左折するのが正しいがやや不明瞭だ。

 少し水平に歩くと渡渉点に達し、きれいな小沢を渡る。その後、まもなく右手に池、左手に広場を同時に見、湯泊歩道本道に合流する。この広場と池は湯泊歩道本道側からも見えるので、登りの際はこれを目印に分岐する。

 合流後しばらく下がると右手が開け、七五岳が望める地点がある。七五岳が見えなくなってもう一歩きで林道の登山口に達する。斜面が南向きに変わり、ハイノキが急に多くなる。林道からも七五岳が望まれる。


林道間近の
湯泊歩道から七五岳

オオゴカヨウオウレン
4月の林床に多い

★林道以下

 林道に下りると杉一色の植林や皆伐がある。林道に下りてすぐに正面に破沙岳が見える。鹿の骨が落ちていたりする。途中、湯川の滝が遠く見える。この滝はまだ完全に登った人はいないとどこかで聞いた。長い長い林道を歩いて湯泊集落に着いて海岸の露天風呂で汗を流させてもらった。100円の立派な岩風呂で一応男女別になっており、波しぶきが映画館に入った気分にさせる。駐車場のすぐそばの新しい浴槽より、波打ち際の浴槽の方が風情がある。どちらもぬるめで、海寄りの方は輪を掛けてぬるい。 七五岳の下の方の地図

 林道の登山口より下にも湯泊歩道の残骸がわずかに残っている。目印テープは全くない。細かいコブも丁寧に巻いた、歩ければ気持ちの良かろう道だけに惜しい。暗い樹林内では、丁寧に巻かれているが故に現在位置の確認が難しい。900m付近の杉の植林の中の「歩道」と言うのは屋久島では珍しい体験だ(楠川歩道にあった)。

 標高800m付近までは何とか辿れたが、それより下では潅木に覆われて分からなくなった。歩道下側の林道への出口も目星をつけて探してみたが分からなかった。分からなくなるまで進んで、左手に適当にヤブの沢を下りていくこともヤブ慣れた人なら可能だが、ヤブの沢なので時間短縮はそれほどでもないかもしれない。林道が一般車入禁で、殆どの湯泊歩道利用者が徒歩であることを考えると、この道が復活すればと思う。ここのような植林地の下の標高の低いどうということのない沢にもオオミズゴケの湿原があるのを見ると屋久島はすごいなぁと思う。

 標高480m付近に林道のゲートがある。ゲート周辺は取水施設になっていて駐車スペース、回転スペースは十分ある。水も取れる。ゲートまでの途中に林道の分岐は2回ある。登ってくると、1回目は右、2回目は左に入る。下から登ってきて上の分岐の右(東)は湯川の滝を見物できるようにするという噂を以前聞いたが、すぐ先で行止りになっていて工事は進んでいないようだ。下の分岐の左(西)は舗装路だが1qほど先で行止りで他にどこにも抜けられない。一昔前にはこの林道の山側にすっかり電気柵を施して、完全に猿害を囲い込もうという計画があったらしいが、自然を相手にそれは無理だったのではあるまいか(生命の島34号に関連記事あり)。この辺りのガードレールは景色に馴染むようにか、擬木状の塗装がされている。


絞め殺したわけでは
無いと思う

 柑橘類の果樹園が現れ、湯泊の集落が近付くと、道路脇の法面に真っ赤な土が露出しているのが目につく(■こんな色)。これが縄文杉7200歳説にとどめを打った幸屋火砕流の「アカホヤ」であろう。


★聞き取り調査

 現地山岳ガイド日高徹氏談・・「安房歩道と尾之間歩道と宮之浦歩道の整備が終ったらその次かな。」(2002年10月)



何だか生々しい七五岳近景

 屋久島のオススメお土産はサバブシ。土産物屋で真空パックになった数百円のものでなくて、雑貨屋で売られている古新聞で包まれたようなのでよいなら一本100〜150円。冷や飯でお茶漬けにして、ネコマンマにして現地で喰らうのも貧乏風情があって良い。醤油をかけて焼酎「三岳」とよく合う。


★山名考

 神隠しは「しちごだけ」の元の意味が分からなくなって、「七子岳」などと解釈されるようになってから生まれた伝説であろう。

 奥岳の七合目にあたる「七合岳」とする説がある。七五岳を岳参りの山とする平内地区に「七合嶽」などと記した石塔があるらしいので昔からあったのかもしれないが、深い屋久島の奥岳で、登って確実に「ここは10分の7である」と言えるのかどうか疑問である。里から見て非常に目立つ七五岳を、里から見えない奥岳との比較の中でしか名づけないというのも疑問である。

 中間などの里から見た押しつぶされて薄く細くなったような山容を指した、動詞「ひしぐ(拉)」を用いた「ひしぐ・を(拉ぐ・峰)」「ひしげ・を(拉げ・峰)」の転訛が山の名の由来ではないかと第一に考えてみる。地名用語語源辞典の「しち」の項に「フシ(節)と類義で、『節くれ立った所』、『高所』などをいう語か。」とある。節くれ立った状態を指して「しち」に、その状態にある事物を指す接尾語の「こ」がついて連濁した言葉「しちご」かと第二に考えてみる。

 2003年の二度目の登頂後に春牧の人から七五岳のことを「ちょーぶくやま」と聞いた。どういう字で書くのかと伺ったら「長服山」と教えられた。山姥のことを合わせて言われたので、妖怪退治の「調伏山」かという思いに囚われてしまって部分的にうろ覚えだが、山姥(山姫だったかもしれない)と対峙した人の服装が長かったと言う話だったかと思う。だが、山が妖怪を調伏するわけでも、山の服装が長いわけでも無かろう。複雑な鹿児島・屋久島方言での、「ひしげを」と似たような意味の「つぶれ(潰)が(の)を(峰)」の転訛が「ちょうぶく」かもしれないと考えてみる。屋久島方言では3拍以上の言葉の第1拍の短母音の長音化やラ行子音の脱落、ガ行鼻音があるようである。母音の連続を丸めることもあるようである。全部適用すると「つぶれがを」が「つーぶぇぐぉ」となりそうである。「ちょーぶく」まであと一歩のように思われる。屋久島方言で2拍語でイ列・ウ列音節で終わる場合は第1拍の長音化が起こるということで、或いは岩盤が広く露出している様を指しての「つび(禿)・が(の)・を(峰)」の「つーびぐぉ」の転訛が「ちょーぶく」かとも考えてみたが、「ひしげ」とほぼ同義の「つぶれ」の方が「つび」よりありうるのではないかと思う。

 烏帽子岳は烏帽子のような烏帽子岩に基づく山名だろう。地元では「えべしのやま」というようである。明暦頃に作られたという屋久島大絵図には「ゑぼし石」とある。烏帽子峯、烏帽子石とも書かれたようである。

参考文献
下野敏見,島の伝説,屋久島,赤星昌,茗渓堂,1968.
屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
太田五雄,屋久島 種子島(山と高原地図66),昭文社,(1997).
永里岡,屋久島の地名考,永里岡,1988.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
上村孝二,屋久島方言の研究 ―音声の部―,日本列島方言叢書27 九州方言考5 鹿児島県,井上史雄・篠崎晃一・小林隆・大西拓一郎,ゆまに書房,1999.



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(2002年6月22日初版上梓 2003年4月18日リニューアル)