翁岳/御船岳(1860m)
おふなだけ/おんなだけ

 宮之浦岳、栗生岳のすぐ南隣の山で二つに割れた巨大な岩塔の山頂で非常に目立つ。整備されてないが、1997年には翁岳への登山道の標識があった。現在でも宮之浦岳のような大仰な整備はされてないが少々のヤブを漕ぐ気力があれば登れるだろう。

 1997年に登った時は淀川宮之浦岳登山道の直下に翁岳への道を示す標識が地面にあって、そこから笹の深い踏み跡を辿ると山頂直下に出、荷物を置いて頂上岩塔の割れ目に腕を突っ張りながら登ると意外と簡単に山頂に立てた。下りる際にもロープは必要なかった。


★山名考

 翁岳の字は神話の海彦山彦に登場する道案内の神、塩土の翁を祭ることからと言う1)2)。昭和初期に宮之浦の益救神社の記録によってその名が明らかになったと言う2)3)。「おんなだけ」とも「おふなだけ」とも呼ぶと言う4)。「おきなだけ」とは呼ばなかったようだ。江戸時代後期の三国名勝図会には宮之浦村深山の山として絶頂に立石のある「御船嶽」が挙げられている5)が、「翁嶽」の二文字は無い。御船岳(おふなだけ)は天狗岳ともいう6)という。翁岳も天狗を思わせる山容ではある。翁岳と御船岳が同一なのか、御船嶽に関しては文章だけの三国名勝図会だけでははっきりしないが、三国名勝図会の200年ほど前の江戸時代前期の明暦(1655-58)の頃の作成と見られている屋久島大絵図には宮之浦岳の近傍に「御船嶽」の文字が見られる7)

 井上玄一(1909)は現在の翁岳について「三船嶽」と報じ、前年に八重嶽に精通していると言う鹿児島出身の益救神社の神官が登ったことを伝える7)。屋久島での御岳と三岳は起源的に別のものではないかとする見方9)もあるが、屋久島では奥岳の山々をオタケともミタケとも呼び、ミタケは三岳ともするがオタケにもミタケにも御嶽(御岳)の字を宛てる。日本語ではミもオもほぼ同じ美称の接頭語としての意味を持つ。塩土翁が祭られたのは花之江河だという口碑が明治時代にあったという8)が、花之江河にあるのは近世の一品法寿大権現の祠である10)。延喜式神名帳にその名を記された益救神社ではあったが、江戸時代中期には所在地を忘れられるほど荒廃して跡形もなく5)、明治より前の特記すべき遺文もない11)12)という。文献に現れるより古い名は益救神社の記録の翁岳ではなく、明暦屋久島大絵図にあり、三国名勝図会にも記された「御船嶽」である。三船(ミフナ)はオフナと同義の御船(ミフナ)に当てられた音の表記上の違いと思われる。井上玄一(1909)の報告に載せられた三船嶽のスケッチは翁岳そのものであり、御船嶽が翁岳と同一であることは明らかである。

 ミフナと音をとりうる記録がある以上、「翁岳」と言う表記には山の名の意味を変えようとする自然な命名を大切にしない作為が感じられる。オフナダケ/ミフナダケがこの山の名であり御船岳と書かれ、オンナダケとも呼ばれたこの山の「翁岳」と言う漢字表記は明治末から昭和初期にかけて新しく作られたものと思われる。昭和10(1935)年にまとめられた五高山岳部による「屋久島概念図」には翁岳と共に「女岳」が現在の投石岳(筑紫岳)の位置に振られるという13)が、これはその頃までに新しく作られた「翁岳」と言う漢字表記と「おんなだけ」という昔から伝わる音の不整合に伴う混乱の結果ではなかったか。「屋久島概念図」の載る五高山岳部部報「こだま」の翁岳・女岳に関わる文章を読みたいと願っているが機会を得ていない。女岳はプライオリティと言う点では筑紫岳3)に先行するということになりそうだが、「オンナダケ」という発音と「翁岳」という表記が同一の山を指したことを踏まえておらず、更に山の性別に関する伝承が無い中での「女岳」という新表記や、九州全土を指して用いられたこともあったとはいえ、筑紫野の小地名に始まるかと言われ「筑前」「筑後」と呼ばれた九州北部の地域を指してきた地名「筑紫」を用いた「筑紫岳」という新称が、多くの地名というものが自然に発生して地元で使う人が納得して使い続けるものである以上、投石(なげし)の上の岳という直感的な投石岳に遷っていくのは当然であった。

 限られた時間の調査で屋久島の人から御船岳の名を聞き出せず、記録に山名を求めて「翁岳」を仮称とした加藤数功(1936)の姿勢は是とすべきだが、より古い別の音と表記のもっと一般的な記録があり、その「おふなだけ」の音と「御船岳」の表記と「天狗岳」という別称まで合わせて知っていた屋久島の人が居たことも別の調べで分かっている。三国名勝図会が「詳らかならず」と記した御船嶽の祭神が道案内の神であったなら、「参詣する者ありても必ず途中より雲霧掩遮り進むことを得ず」といった伝承や天狗岳といった別称が生まれただろうか。塩土翁は「オキナ」より「オジ/ヲヂ」と呼ばれる方が多いようである。誤読を誘うかのような翁岳という表記はオフナやミフナ、オンナの音の記憶が残っている内に、明治末から昭和初期に作られた怪しい文書に依るのを止めて、昔の人から受け継がれた御船岳に戻るべきなのではないかと思う。

 オフナともオンナとも呼ぶという音韻の変化について考えてみる。鹿児島方言では焚き物がタンモン、阿久根がアンネと、鼻音の前の狭母音が無声化して、更に声門破裂音となった語末が逆行同化して発音されることがあり、翁(オキナ)はオンナとなりうるが、屋久島方言ではこうした音韻の変化は一部の動詞の語尾に起こるに限られるようである。屋久島と鹿児島とどちらがより古い言葉の姿を残しているかといえば、より鄙である屋久島であろう。地名も古い言葉の姿を伝えると言われるが、屋久島の言葉で翁(おきな)の意味にならない別の言葉が翁岳の由来であったと考えるべきであろう。

 三国名勝図会には山頂直下に大池があり船の浮かんでいるのを見た人がいると書かれているが、池は無い。安房川流域から遠望されてよく目立ち、船の舳先のような翁岳の姿を考えると、シンプルに船の形に似ているゆえの山名では無かろうかと思う。山麓にガスが掛かれば雲海に浮かぶ船の舳先そのものであり、伏せた船の竜骨にも見える。或いは三国名勝図会に伝わる「池」と言う言葉から連想される「窪み」に関わることであり、その窪みとは山頂の一見登れそうもないのに登れる岩の溝に霊性を見出した、岩の溝という船型地形を指すフナに基づくものではなかろうかとも考えてみる。江戸時代の鹿児島方言でのハ行音の発音についてなど根拠不十分だが、屋久島方言話者から鹿児島方言話者に伝わった御船岳(オフナダケ)の名が鹿児島方言で狭母音のフが無声化し、更に入声音となって鼻音のナと逆行同化してオンナダケと発音され、鹿児島からの役人の派遣などで屋久島に逆輸入された呼び方がオンナ岳だったのではなかったかと考える。入声音の逆行鼻音化は謡曲や読経でもみられる。


 山頂にはいくつかの小岩と甌穴(ポットホール)のような窪みがあった。山の上で甌穴はないだろう、と不思議に思っていたが、花崗岩地形に関する書物17)によると、外国の寒冷地や乾燥地の花崗岩帯では、「グナマ」と呼ばれる山上の花崗岩の上面に甌穴に似た窪みが出来ることがあると言う。これは寒冷地の場合、岩盤表面に溜まった水が凍結・融解を繰り返すことによって浅かった窪みの底と周囲を物理的に壊していくことで窪みが成長するのだと言う。乾燥地の場合、コケ類が窪みに生え、乾季の乾燥と強風によって仮根ごと岩の表面が持ち去られることにより窪みが成長すると言う。翁岳のものがグナマかどうかは素人的に判断するのは難しいが、寒冷地のパターンでこうした窪みが成長することは屋久島の奥岳ならありうる気がする。宮之浦岳には開聞岳へ跳んだ名馬の足跡を持つといわれる岩があると言う2)。これがその岩と言われてその岩を見たことがまだ無いが、そのような伝説の岩の足跡も或いはグナマではないかと考えてみたりする。

*参考文献
1)太田五雄,屋久島の山岳,八重岳書房,1993.
2)三穂野善則,山岳,屋久島,赤星昌,茗溪堂,1968.
3)加藤数功,屋久島の山岳,九州山岳,1,pp43-52,朋文堂,1936.
4)松田好行,屋久島の自然,八重岳書房,1977.
5)五代秀尭・橋口兼柄,三国名勝図会 50巻,山本盛秀,1905.
6)下野敏見,屋久島、もっと知りたい 人と暮らし編,南方新社,2006.
7)屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第一巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
8)井上玄一,屋久島八重嶽について,山岳,4(2),pp232-236(90-94),日本山岳会,1909.
9)中島成久,屋久島の環境民俗学,明石書店,1998.
10)屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第四巻 自然・歴史・民俗,屋久町教育委員会,2007.
11)藤井重壽,益救神社,式内社調査報告 第24巻 西海道,式内社研究会,皇學館大學出版部,1978.
12)山本秀雄,文献資料紹介 益救神社神事録,生命の島,48,pp88-94,屋久島産業文化研究所,1999.
13)太田五雄,屋久島山地名の変遷,生命の島,84,pp69-73,屋久島産業文化研究所,2009.
14)上村孝二,南九州方言音の分布を中心に ―内破音・鼻音化その他―,日本列島方言叢書27 九州方言考5 鹿児島県,井上史雄 他,ゆまに書房,1999.
15)上村孝二,屋久島方言の研究 ―音声の部―,日本列島方言叢書27 九州方言考5 鹿児島県,井上史雄 他,ゆまに書房,1999.
16)金田一京助,増補 国語音韻論,刀江書院,1935.
17)池田碩,花崗岩地形の世界,古今書院,1998.



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(2004年2月1日上梓 2007年8月4日加筆 2011年8月1日加筆)