明星岳の位置の地図

松峯大橋から見た明星岳

広域地図

登山道地図

明星岳(651m)

 安房と船行の前岳。地形図では明星岳で、地元の山岳関係の人の間では明星岳と言う呼び名で合意されているようだ2)が、山をあまり登らない地元の人の間では明星岳の他に巳岳・三野岳・鍋山2)・ボツダケ3)・矢本岳4)と、様々にされることがあったようだ。ボツダケは矢本岳の訛音か。

 屋久島の外周は湧き上がってきた花崗岩の熱で焼きなましを受けたとされる熊毛層群のホルンフェルスから成るが、そのホルンフェルスの名の元となったHORN状の山で、ホルンフェルスから成る。登山ガイド地図にも国土地理院の地形図にも載ってないが立派な登山道がある。杉の植林が山頂直下まで迫っているが、屋久島一大きいと言われるヒメシャラの巨木がある。


 登山口までは「森の陽だまり」のレンタサイクルで行った。安房市街から一周道路を宮之浦方面にいくと、合同庁舎のすぐ手前のやや細い道を山側に入ると鍋山林道入り口までほぼ一直線で、一番高くなった所で左折すると鍋山林道である。林道の名を示す標識などはない。鍋山林道下部は自転車にとっては急登で押しながら登った。

 林道ゲートを過ぎると道はトラバース状になり漕ぎやすい。ゲートから約3kmでプレハブの林業関係の小屋があり、簡易水道がある。プレハブ小屋から約200mで右に階段状の明星岳登山口がある。標識、テープの類はないが車を停められるよう道幅が少し広がっている。更に150mほどいくと明星岳沢の立派な鍋山橋があるので行き過ぎてしまってもわかるだろう。

 見えている階段を登ると平坦な道が続いている。どうもこの道は森林軌道(トロッコ)の支線跡のようだ。明星岳沢に沿ってしばし緩い道を登っていく。途中、水道管が道に沿ってずっとある。弁の4つある水道施設を過ぎて、石の敷かれた枯れ沢を渡り、道が左に下がるように不明瞭になると、そこから右の樹林に入って山道が始まる。目印のテープが下がっていた。


登山口の階段

水道管と道

水道施設

ヒメシャラの巨木

 山道に入ってもしばらくは平坦だ。周りの木々は細い。一度伐られているのだろう。ぐるっと回り込んできたらしいトロッコの支線跡と合流すると坂道になる。目印のテープは多い。

 だいぶ高くなると沢地形を横断するが既に水はない。足元の岩は下の方では白くザラザラした花崗岩だが、次第に黒く滑らかなホルンフェルスに入れ替わるようになる。ホルンフェルスでも特に滑りやすいということはない。

 次第に東側の稜線が近付くが中々辿り着かない。途中で二本の大きなヒメシャラが現れるが、これらは「巨木」ではない。それなりに大きくて立派であるけれど、肌が滑らかだ。 

 稜線間近になって、「ヒメシャラの巨木」が現れる。さすがに屋久杉に比べれば太さはないが、ゴツゴツとしたコブだらけの貫禄ある姿である。

 稜線に上がると傾斜は緩くなる。花崗岩も全く見当たらなくなる。緩くなった坂を登っていくと右手に間伐をやりたてのような杉の植林が見られる。「ここまで登ってきたのに植林か」というガッカリ感があったが仕方ない。ヤクスギランドや淀川・荒川登山口まで行く途中の、安房川の対岸の林道からすっかり植林された明星岳を見ていたのだから分かっていたことだ。

 明星岳の最高点は西面をトラバースで通り、道は山頂を通らない。最高点の直下には落ち葉の乱れた踏み跡のようなものがあったが殆どヤブで、最高点もヤブである。景色はヤブながら東側の海岸線がよく見える。

 トラバースも後半になると切り立った岩場になり、ロープを掴んでへつるように行く。岩場とは言っても下はすぐ深く濃いヤブなので落ちても怪我はしないだろう。トラバースが終わると、一旦大きく下り、最高点山頂と岳参り山頂の鞍部を通過し、最後にまた長いロープを掴んで急斜面を登ると岳参り山頂に達する。

 岳参り山頂は南北に広く、北の端には立派なごく近年に建てられたような御影石造りの祠があった。新しい御影石造りの祠の中に山川石の黄色い昔ながらの石碑がある。祠の前には玉砂利まで敷いてある。南側は安房の町がよく見える。晴れていれば太忠岳天柱石なども見えるのだろうが、この日は奥岳方面はガスだった。北側を見ると、明星岳より300mほど高い三野岳(船行前岳)が立派で、鋭く尖っているとは言っても、明星岳では少々小さいなあと言う感じがした。

 山頂ではスミレ(ヤクシマミヤマスミレ?)とサクラツツジが沢山咲いていた。


★山名考

 冒頭のように明星岳の名は地元において確定的とは言いにくい状況と思われる。登山界だけ1)でも統一しておく意義は認めたいが、明星岳・三野岳・船行前岳等の名がほぼ同じ山塊に付けられてきたようだ。巳岳は三野岳と同じ「みのだけ」だろう。昭和30年代以降でも明星岳と三野岳の振り方が今と反対であった例が多いようだ。

 「巳岳」の字面から考えてみる。巳の方角とはほぼ南南東で、安房や船行の西側にあるこの山に「巳の方角にある山」と言う命名理由は考えにくい。明星岳・船行前岳(三野岳)を水源とする明星岳沢の下流側の対岸(右岸)に「美濃沢」がある。「美濃」が安房川左岸も含む美濃沢落ち口一帯の地名だとしたら、三野岳(巳岳)の名は美濃沢と同じ語源と考えられるか。

 ミノとは、水道施設の存在から「水源の尾根」としてのミノヲ(水の峰)或いはミナヲ(水な峰)の約ではないかと考えてみた。船行前岳山頂には「三野」の字が彫られた祠がある1)とのことなので、現行の船行前岳の位置を「巳岳」とし三野岳とすることでピークを厳密に規定する現代的には良いのだろう。明星岳も三野岳の一角とされていたのではないかと考える。「明星」の名も、水つ峰(ミツヲ)或いは水尾(ミズヲ)の転で、明星岳沢のある、水のある山という意味で、みのだけ(水の峰岳)とほぼ同義であったのではないかと考えてみた。こう考えると三野岳と明星岳の名の区別が、ほぼ同義であると言うことで曖昧であったことに説明が付きそうな気がした。

 だが、水道施設は近代以降のものであろう。明星岳の麓の松峰地区の用水として明星岳裏の水が古くから引かれたのだろうかと考えてみたが、松峰地区と船行前岳の北東の麓の永久保地区は昭和20年代から開拓されたという。古くからある船行地区は明星岳や船行前岳の方から流れてくる川の水を使っていたようだが、それらの川の水源はかなり手前である。三国名勝図会に泊如竹が明星峯から安房に用水を引いたとあるが、「其間五町余」とあるから明星峯の裏手から引いたわけではなく明星峯の方からということで、用水と明星峯の名では明星峯の名の方が先で、用水と明星岳の名に関係は無いということだろう。

 ミノとミョウジョウが、「水の山」では無いが、一つの言葉の訛り方の違いか、同義の言葉であったとは、現在の明星岳と船行前岳(三野岳/巳岳)が逆になっている記録が多く見られると言うことで、考えられるように思われる。地元の人が意味上の無関係な山名を取り違えていることが多く有ったと言うことでは無く、全体としては両者を包含する形で明星岳とも三野岳とも言い、個人に聞くと人によって北の方を指して明星岳(或いは三野岳)と言ったり南の方を指して明星岳(或いは三野岳)と言ったりしたということではなかったか。明星岳と三野岳の両方に岳参りしていた船行の人は岳参りが盛んになってからは明確に区別していただろうが、船行前岳(三野岳)から多少離れて人口の多い安房では明星岳(とその北方)を明星岳という人も三野岳という人も居たという事なのではないか。

 ミノとは、単に「前の峰(まへのを)」の訛って約まったものではなかったかと考えてみる。明星岳も船行前岳も集落からよく見える「前岳」である。鹿児島方言では「お前」を「おまん」などと言うことがある。「まんのを」が約まれば「まの」となりそうである。「お前」が「おめー」になるように、「まへ」が「めー」になることもあったかもしれない。「みの」まではあと一歩である。

 ミョウジョウは「前つ峰」かと考えてみたが、「つ」は古い時代から使われなくなりつつあった言葉のようである。「前の峰」の別の訛り方として、各音節で訛る順序は前後するかも知れないし、同時に起こることもあるだろうが、前半の「まへ」と後半の「のを」に分けて、前半の「まへ」が「まえ」を経て「めー」のように訛り、後半の「のを」が発音の位置の近似で「どを」を経て「じょー」になり、「めーじょー」のようになったのに「明星」の漢字を宛てたのではなかったかと考えてみる。「ど」が「じょ」になるのは「〜だろう」が「〜じゃろう」になるのと同じである。「の」が「ど」になるのは、野良猫の「どらねこ」や「退く」を「のく」とも「どく」とも読むのと同じである。屋久島ではダ行音とラ行音の相通が多いようなので、同様に位置の近似で「のを」から「ろを」を経たかとも考えてみる。

 美濃沢の名は、三野岳の名とは無関係な、中山(丸山)の乗越があるという言う意味での嶺尾(ミネヲ)の沢の約かと考える。烏帽子岳と七五岳の間の三納小屋跡の三納(みの)も嶺尾だろう。

 鍋山林道の「鍋山」は明暦の頃の作成と見られる屋久島大絵図にもあり、古くからある呼び方のようである。「なべやま」とは縦長の明星岳の山容を言った、「のび(延/伸)・やま(山)」の転訛と考える。「のびのび」することを「なびなび」と言ったこともあるようである。

 「矢本岳」は昭文社「山と高原地図」では明星岳の南の稜線上のコブ(506m標高点の位置)のような扱いだが、あまり名前をつけて呼ぶ必要のあるコブとも思えない気もする。地元の磯部自適(2003)の現在の明星岳の別名としての「ボツダケ」の名は、矢本岳の最初の「や」が落ちて、m とb の相通で「も」が「ぼ」になり、鹿児島方言で「と」が無声化して「つ」となった訛音と思われる。大正3年の下屋久村郷土史で、平家城が「船行川ノ上流矢本岳ノ麓ニアリ」13)とされているので、上記の二つの資料での位置と合わせて考えると、「矢本岳」は今の明星岳辺りの別名と思われる。「や」は「岩」の約かと考えてみるが、岩の本とはどこなのかは分からない。岩秀(イハホ)で、「岩の突き出たもの」かとも考えてみるが、「と」をどう考えれば良いのか分からない。

 安房川のトンゴ滝のすぐ下手で落ちる、明星岳に発する谷筋の名が「矢本谷」か「矢本沢」のように呼ばれて、その上の岳の意かと考えてみるが、資料に矢本谷等の名は見ていない。安房川が90度曲り、すぐ上に大きなトンゴ滝があるので、ランドマークに事欠かない谷筋ではある。鹿児島方言で薮のことをヤボというようだが、衛星写真(GoogleEarth)や航空写真(国土地理院)を見ても、90度曲がる所は薮ではなく樹林である。網掛けして流木を採取できる「網場」などとされ、流木が溜まりやすい川の入り江のような所を「あば」と呼ぶことがある。そうした「あば」の語源ははっきりしないが、安房川の90度曲がって入り江のようになっている所/処(と)である「あば・と」が矢本の元ではなかったかと考えてみる。

参考文献
1)屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第3巻 村落誌 下,屋久町教育委員会,1993.
2)太田五雄,屋久島の山岳,八重岳書房,1993.
3)礒邉自適,樹木霊 縄文杉登山(日録抜粋4),pp29-34,65,生命の島,屋久島産業文化研究所 生命の島,2003.
4)太田五雄,屋久島 種子島,昭文社,(1997).
5)楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
6)田中ミエ,屋久島一周 里のイラストマップ,生命の島,2006.
7)五代秀尭・橋口兼柄,三国名勝図会,山本盛秀,1905.
8)中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
9)金田一京助,増補 國語音韻論,刀江書院,1935.
10)上村孝二,屋久島方言の研究 ―音声の部―,日本列島方言叢書27 九州方言考5 鹿児島県,井上史雄・篠崎晃一・小林隆・大西拓一郎,ゆまに書房,1999.
11)屋久町郷土誌編さん委員会,屋久町郷土誌 第1巻 村落誌 上,屋久町教育委員会,1993.
12)小学館国語辞典編集部,日本国語大辞典 第10巻 な-はわん,小学館,2001.
13)山本秀雄,文献紹介16 下屋久村郷土史,pp74-83,16,生命の島,屋久島産業文化研究所,1990.



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(2004年5月3日上梓 2017年7月11日山名考改訂)