小説、その他の本

神は妄想である・・・リチャード・ドーキンス/早川書房
 とにかく厚くて高いし、くどい。それと文章中に挿入される但し書きが多くて内容がわかりづらく感じることがあった。読みにくい本だが宗教(特に排他的なものが広がりやすい現代)の弊害が言われる今、理論武装の一つの形・例として読む価値はあると思う。キリスト教・聖書の予備的知識の少ない日本人には難解な部分や、内容を判断するのに公平さを保てなさそうな部分があるのも確かである。

 著者は特に宗教でもこの本ではほとんど一神教を批判しているが、それは一神教の排他性がとりわけ社会の脅威になっているからだ。しかし個人的には一神教に限らず宗教全般の意味について考察して欲しかった気はする。

 最後の章にクマのプーさんに出てくる「ビンカー」と神の関係を考察した部分があるが比較的簡単に述べるに留められている。どうやら著者は精神医学までは手を広げなかったようだ。自分はこの本を読む前に解離性障害に関する本を読み、生理的な解離に合理的に見えるような説明をつけたものが宗教や霊の始まりでないかと感じたので、この本の内容と符合するものがあった。自分は医師ではなく、解離性障害の本も難解で完全に理解できたわけではない。ただ、その中で述べられた解離性障害の症状は祖先崇拝から一神教まで、霊的存在を前提とする宗教の本質(霊的体験等)と連続しているように思われた。圧倒的な現実を前にした脳の処理の防御機構や発達の亜型としてである。宗教・霊的存在・体験に医学的説明がされる日は近いのかもしれない。こうした脳をモニターできない脳が作り上げた「合理的」説明が神学であったのかもしれない。その姿は確かに砂上の楼閣であったかもしれないと感じた。

 厳しい修行で霊的体験を得ることや厳しい境遇の中で霊的啓示を受けることは、人格的に未熟で普通の人なら耐えられる環境が厳しすぎて解離してしまう解離性障害とつながっているように見える。疲れている時、本能的に恐ろしい暗闇で「見られている」感覚がするのも解離の一つだ。悪いことをする時、神や先祖に見られていると感じることは、悪いことはしないほうがいいと遺伝子に刷り込まれており、悪いことをすることに自覚しない恐怖を感じているからでないのか。宗教・霊的体験を行動基準から外に置いた時、ヒトはもう一段、進化を進むのかもしれない。その結果が今の人類にどう現れるのであれ。

 そうした宗教も「障害」ではなく文化として相対化できる節度が人間全体に広まればいいと思いながらも、宗教の形成に脳科学などから科学的な解明が入ったら人間は良きにせよ悪しきにせよ、一つ、進化論や地動説、相対性理論や量子論のように大きく「世界」の捉え方を変えるのだろう、そうした日は近いかもしれないと感じた。科学への過大な「期待」もまた宗教ではあるが、科学的成果の合理的判断への援用は宗教ではない。文化もまた原理的宗教と同じように過ぎれば社会への脅威となってしまうとは思うが。

 人間の進化の上で、宗教のような抽象的推論機能より前に言語機能があり、言語機能より先に道徳的行動機能が進化していたかも知れないと言う考察は、なるほどと思った。後から獲得した機能で宗教が発生し、その中の合理的な説明の中で道徳的機能が失われるほどに抽象的推論機能が肥大して十字軍などに表れたのではないか。宗教原理主義で今も戦争が起こっていることと同じである。上に覆ってきた皮質が下位機能を抑えるのが神経生理学の基礎だ(でもチンパンジーも戦争はしていたような・・・)。
(2008年1月14日)
ズッコケ中年三人組・・・那須正幹/ポプラ社/¥1000/2005/12
 児童書ズッコケ三人組シリーズの28年後の続編。懐かしくてつい衝動買いしてしまった。

 数箇所、大人の汚さと言うか背伸びと言うか、子供には理解できなさそうな部分が入っているけれど、だいたいは子供でも理解できる話の進行。しかし、大人向けなのだろう。大人が子供の頃に読んだお話を思い出しながら少年気分で読める内容と言ったあたりか。成人向けの書として読むにはストーリーに物足りなさ が残るかもしれないけれど、逆にそれが少年への回帰を進めるのではないだろうか。ハカセにはもう少しがんばって欲しかった。モーちゃんは哀愁が漂っている。ハチベエはある意味勝ち組かもしれない。
(2006/2/1続編が出たようだ2007/4/4)

死都日本・・石黒耀/講談社/\2300・・第26回メフィスト賞受賞作
 題名だけ聞くと「魔界転生」とかそっち系みたいだが、内容は南九州の霧島連山に隠れた加久藤火山というのが大噴火して、その火砕流などで災害が起こっていく様子や付随する火山現象を科学的にシミュレートして描かれたお話。

 その噴火の規模は歴史時代になってからは人類が全く体験していないほど大規模なもので、もう備え云々する規模のものではない感じではある。確率は低いけど起こりうる最大のものを設定したようだ。最後まで読み終える前に、災害という形だけど科学的に正しく描写された自然の美しさに、災害に関わった人のリアルさに感激した。最後の日本の将来ビジョンなんかはおまけのようなものだ。ややリアルさに疑念を感じさせた小松左京の「日本沈没」よりずっと美しい。災害であっても、まさに「美しい」の言葉の似合う内容だ。山好きの端くれとして山の姿を深く知る助けになった。

 また挿入される古事記やヨハネの黙示録の火山学的解釈が面白い。ただ題名が内容と違っていて安易な感じなので少し失敗しているようなのが少し残念だ。

 読んでいる途中で層雲峡・大雪山に行ったので、火砕流の様子や災害状況は身につまされた。3万年前、規模はずっと小さくてもこのお話と同じようなことが大雪山黒岳の麓でも起きていたのかと思うと、ぞっとすると同時に美しさを想像した。

 都城市が130mの火山砕屑物で埋まるシーンは層雲峡の柱状節理の高さとおなじくらいだろうか?きっと居合わせた縄文文化前の人類が、この本と同じように肺を焼かれて死んだのだろう。

 今ではすっかり死火山然としているニペソツ山だって、噴火したのはたったの2万年前にすぎない。東向きに開いた爆裂火口は、きっと道東一帯に火山灰を撒き散らしたことだろう。少なくとも目撃した人類はいただろう。その爆発をナキウサギが見、もう絶滅するかもしれないといわれるトカチビランジだって噴火の後ニペソツ山に来たのかも知れないと考えると、「悠久の自然」なんて人間の都合のいい幻想でないかと思う(その前から分布していたかもしれません)。樽前山や駒ヶ岳だってこんな大災害のもとになるかも知れないのだ。南九州の他人事では決してない。この列島に生きている限り、それは常に心の隅に留めて置くべき事だと思う。

 520ページもあるごつい本だけどサスペンスタッチの展開も素晴らしく、しゅるしゅると一気に読み終わった。積もったばかりの熱い火山砕屑物の大地をタイヤが溶けずに自動車で走っている場面は違和感あったけど(笑)。
(2003/7/31)

英語を学べばバカになる〜グローバル思考と言う妄想・・薬師院仁志/光文社新書/\720/2005.5.20初版
 面白かった。自分の言いたかったことをいろいろ代弁してくれてスッキリした。

  • アメリカ・英語一辺倒であることの危険性
  • ディベート教育は過当な自由競争社会であるアメリカだからこそ必要で、世界の趨勢はそのようなものを必要としてないこと
  • アメリカの世界標準からの逸脱ぶり(特に異文化に対する態度)
  • 日本人にとって英語は日常に不必要だからうまくならないこと、これは他の言語を母国語とする人でも同じ事

 どれも思わず膝を打ちたくなる穏やかな世界認識の列挙で、英語だけを学ぼうとすることの非を説いている。

 煽情的なタイトルに警戒していたがいい本だった。ただ英語を学ぶからバカになるという論旨ではないから、タイトルは「英語に頼るのはバカになる」の方がよかったかもしれない。

 ただ、この本では「英語が真に必要なのは一部のエリートだけ」と書いていたが、待遇はエリートではないし、自分がエリートとも思えなかったけれど、一時、研究機関にいた私としては世界の研究者の共通語としての英語の必要性は、文系(社会学)学者の著者にもう少し知って述べて欲しかった気がする。ロシア人の研究者と意見交換するのにも英語しかなかった。ロシア語なんて今更絶対無理(流暢なロシア人英語に完敗)。

 昔のラテン語のような地位は英語に果たしてもらうしかない。日英語がそのような微妙なニュアンスまで伝えられる研究向きの言語なのかどうか、日本語の文語体よりひどいように感じる単語毎の言文不一致ぶりなど問題はある気がするけれど、理系研究者の世界の趨勢がそうなっている以上は仕方ない。外国の研究者だって好きこのんで英語を勉強したのではなく必要に迫られて覚えたのだろう。でも単語1つずつだって、そういう人とはコミュニケーション出来るのだ。外国語は必要を感じてこそ覚えられる。明治の頃や戦後すぐに比べれば欧米コンプレックスも落ち着いているように見える。今の小学校中学校の英語教育にあるような「英語で遊ぼう!」みたいなのは必要あるまい。親しむから覚えるのではない。必要を感じるからこそ覚えるのが言語である。本当に語学の才能がある人や、本当に必要とする人だけが出来れば良いことだ。複数の言語を操ると言うことは分業に足る仕事だと思う。複数の言語を操ろうとして自分の足元がおろそかになるのは馬鹿げたことだ。
(2005/7/8)




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