戸隠古道 本道

 戸隠に至る幾つかの道のうちの善光寺から戸隠に至る道の分。全部は歩いておらず、大座法師池から戸隠奥社まで。起点の善光寺の分岐から大座法師池までも歩きたい。大座法師池から戸隠展望苑まではバードラインの車道に沿っている部分が長く、歩くコースとしての面白みに物足りないものはある。信濃路自然歩道の一部になっている。善光寺からの戸隠道は一筋ではなく、大座法師池脇を通らないルートもあるのだが、まずは本道の後半の大座法師池から戸隠までを歩いてみた。善光寺から大座法師池までの本道の前半も歩きたい。



大座法師池〜湯の嶺地図

★大座法師池〜一の鳥居苑地

 三差路の飯綱高原バス停前から大谷地湿原西側の大きな道標まで、バードラインに沿って南側にノルディックウォーキング用の芝生の歩道がある。また、北側に古い車道のアスファルトの残る路盤も平行していて歩道となっている。大谷地湿原の西側に道標石が二つあって右の古い林道のような道に入る。左は「うゑの」や「うへの」とある。左のやはり古い林道のような路盤を辿るとまっすぐでバードラインの先にショートカットして出るが、ショートカットの後半の勾配がきつく自然な道ではない。バードラインに出るすぐ手前に上水施設が路盤の真ん中を塞いでいるので地下水路が通っている路盤で歩く為の道ではなかった。左の更に左はバードラインの車道で、バードラインの車道を進むと飯綱湖に入る分岐の手前で直角に近い角度で北に曲がるが、曲がらないで直進して飯綱湖の方に車道をショートカットすると上野の方に向かいそうである。左はバードラインの車道の下なのかと思う。

 大谷地湿原西の道標を右に入り、森の坂を上っていく。車道を一本横断して、小さな尾根筋を切通しで越えてまたバードラインに出る。道標の右の道もバードラインをショートカットしたことになる。古い路盤はバードラインのすぐ脇と北側の少し山手に入る二筋になっており、すぐ脇の方は湿地になっていて歩きにくい。少し山手の方はすぐ北にある保養所の導入路に出る。この導入路は会社の保養所の一部のような気がするのだが、一連の歩道としてはこの導入路を歩くということのようである。保養所導入路の入口で車道に出て鍵手に曲がってバードラインのすぐ脇の道となる。

 長野県宝の移築された旧長野県師範学校教師館と旧ダニエル・ノルマン邸の裏手を通り、ヤブ越しに明治期のおしゃれな二棟の建物を見ることになる。表から見るにはすぐ先の飯綱登山口バス停後ろの交差点から車道を回り込む。

 一ノ鳥居苑地が近づくと少しずつバードラインの車道から離れて、一ノ鳥居苑地の広い駐車場の北東の角に出る。バードラインは飯縄山登山口バス停がある所である。一ノ鳥居苑地の松の疎林の駐車場北縁を通り、トイレと公園管理事務所前からバードライン沿いに戻るがすぐまた離れ、そこから一ノ鳥居跡まで丘に上がる広い園路である。


大谷地湿原西の分岐右へ

道標石二つ

尾根乗越の小さな切通し

二筋に
なっている所

旧ダニエルノルマン邸と
旧教師館の裏手を行く

旧教師館
表から

★一の鳥居苑地〜火之御子社

 一ノ鳥居苑地の一ノ鳥居とは戸隠山の一ノ鳥居で、鳥居の跡の石が道の北側の松の疎林の中に残されている。90度向きが変えられて置かれる石の先に飯縄山がよく見えるので飯縄山の一ノ鳥居かと考えてしまいそうな雰囲気である。但し、鳥居跡の長い石の前の二つの沓石はそれぞれ別の二つの鳥居の沓石で、道の南側にも沓石が二つあって計四つの沓石はそのままである。一ノ鳥居跡から中社まで一丁ごとに丁石があり、そのスタート地点であることを示す石碑などがある。

 丁石の多くは復元の新造である。しかし古い資料に数個などとあるよりは多くの旧来のものと見られる丁石があり、後に発見されたり、どこかに転用されていたのを戻したりしたのか。


一ノ鳥居苑地駐車場

駐車場から坂を上る

一ノ鳥居跡の石

北に飯縄山を見る

従是中院神前五十三丁

復元の一丁石

 一ノ鳥居苑地の芝生の広場を後に丘を下り掘り込まれた道を進む。別荘なのか常住なのか分からないが白樺に囲まれたおしゃれな高原の建物など遠目に見て下っていくと、次第に暗い樹林となり古い農村の脇のような雰囲気で大久保の茶屋の一角に出る。

 大久保西の茶屋の前から戸隠展望苑まではバードラインのすぐ脇の、二車線のバードラインの歩道のような位置となる地道である。沢を越えるような所では谷を巻く旧道となって短く少しバードラインから離れる。坦々と高原の森の中の道が続く。美笠湖に注ぐ沢筋で「こごり水」という、道の所は伏流して下側で湧水として出てくる水流がくぐっている昔茶店があった所があるというのを「戸隠古道を歩く」で読んだが詳しい場所が読んでもよく分からなかった。大久保から西に740mほど行った美笠湖に落ちる最初の谷筋の所が古道のすぐ下から水が湧き出ており、古道の上側には茶店を開けるような広い盛って均したと思しき平地がある。美笠湖に落ちる谷筋はこの先更に三つあるが、三つとも水の気がない。大久保から。約740mの谷筋の所が「こごり水」と推定する。

 三つの次の谷筋は古道の上下に水があり、美笠湖に注がない。その次の諸沢の源流を細いコンクリの橋で渡ると右手に戸隠展望苑の駐車場がある。戸隠展望苑はそのすぐ先の高台なのだが、その奥はほぼ同じ高さのソバ畑で、ソバ畑の向こうに戸隠山が見えるが、戸隠山の麓の方はソバ畑に隠れて見えない。


一の鳥居苑地から
掘り込み道を下る

二丁石を
過ぎる

折れた古い丁石と
復元の丁石が並ぶ処も

推定こごり水に
かかる

推定こごり水
古道のすぐ下で湧水

バードラインから見る
推定こごり水 山側に平地

諸沢源流のコンクリの細い橋
バードラインの脇

戸隠展望苑は
駐車場と高台

戸隠展望苑から
ソバ畑越しに表山を見る

 戸隠展望苑駐車場を過ぎた所に中社へと宝光社への追分がある。古い大きな道標石があるが、明治の神仏判然令の忖度で、中社の昔の呼び方の中院と宝光社の昔の呼び方の宝光院の「院」の字や梵字が削られて潰されている。左の宝光社方はバードラインの車道で、ここまでと違いこの先宝光社の地蔵堂の辺りまで路肩の脇に刈り分けも歩道もない。右の中社方が信濃路自然歩道で地道の歩道になっている。

 中社方の道は古い林道のような感じである。右手側の上にはソバ畑が広がっているはずだが段があって樹林しか見えない。左手側は湿原のような笹原を下地とする樹林である。三十丁石を過ぎた辺りに、路盤の北半分に石畳らしき石敷きが続く所があるが、古くからのものなのか遊歩道としての整備なのかよく分からず。道の北側に屋根のある木のベンチを一つ過ぎて、また諸沢の源流を二つ橋で渡る。地形図だとこの二つになっている沢が祓沢とあるのだが、戸隠古道WALKの長野市戸隠マップだとこの沢筋が描かれず、祓沢は戸隠展望苑のすぐ東で渡った細い橋のある沢の名となっている。どちらの沢も諸沢の源流で、どちらかが諸沢本流で、もう一つが祓沢なのだと思うのだが、どちらなのか分からない。歴史の道調査報告書では道の現状の説明で「中社と宝光社の分岐点を示す道標のある祓沢(払沢)地籍に出る。」とあるのだが、分岐点の道標のすぐ東の沢の名は記していない。


追分の道標石

石畳?

屋根付きベンチ

諸沢源流をもう一つ渡る

 湯の嶺の夕陽展望台分岐は、夕陽展望台側が広い芝生で、分岐の所からすぐ公園のようになっている。戸隠そば博物館の上にあたる夕陽展望台からは荒倉山の方がよく見え、天気が良ければ北アルプスまで見えるが、戸隠山は半分以上が手前の樹林に隠れる。



湯の嶺〜奥社地図

 富士見山と飯塚山の山裾で右手上方に林道の雰囲気を感じると道標を兼ねた一ノ午王橋供養塔前で立道(たつみち)と林道の車道の三差路に出る。一ノ午王橋供養塔も梵字が削られている。宝光院と中院が宝光社と中社になった戸隠展望苑下の道標石はともかく、橋を供養したことの記念の一ノ午王橋供養塔の梵字は潰さなくても良かったのでないかと思う。立道対面の高台の所に、塔身のない宝塔のように見える熊野ノ塔(熊ノ塔とも)がある。立道を右(北)に入って緩やかに下って男鹿沢を渡ると宝光社方面への歩道の分岐がある。曲がって山蔭に入っていく雰囲気の良い地道なのだがすぐ先で舗装の車道に合流している。暗い樹林下の立道を進み小沢を渡る所で、小沢に沿ったコンクリ舗装の旧道に入る。四十五丁石と馬頭観音が道端に並んでいる。火之御子社直下にバス通りが見えてくると草むらの中の階段道で車道の立道を横断して火之御子社の鳥居の対面でバス通りに上がる。


湯の嶺夕陽展望台分岐

湯の嶺夕陽展望台

湯の嶺夕陽展望台から

湯の嶺展望台分岐を過ぎて

一ノ午王橋供養塔

熊野の塔

★火之御子社〜奥社

 火之御子社から中社は、ウォーキングコースとしては火之御子社裏手に入って神道(かんみち)を辿るようなのだが、丁石はバス通り沿いに続いていたようである。火之御子社の向かって右手の広場の奥に西行桜があり、西行桜の奥へ細い道を上がるとバス通りをショートカットする。火之御子社鳥居下から昔の道は階段で鳥居前に出ずに立道の車道で今の県道に上がって、今の県道を横断するように西行桜の奥へ続いていたようである。ショートカットしてからそのままバス通りを上がっても中社の門前町と宿坊群で風情があるのだが、結構急坂な部分もあって路肩も狭い。蕎麦屋の山口屋の建物下手の脇に五十丁石、上手の駐車場前に五十一丁石がある。二つの丁石は30mほどしか離れておらず、少なくともどちらかは何かに転用されるなどして移されていたのを道脇に戻したもののようである。

 西行桜の上のバス通りに上がった西側法面の角に古い道の続きがあり、右手に川中島バスの戸隠営業所の広場の脇を巻いて、火之御子社の向かって左側の裏手から上がってきた道と合流し、左手の墓地の先で神道に合流する。中社の門前町から少し離れて小さなソバ畑や藪のモザイクである。火之御子社の向かって左側から裏手ではなく左に入っても先で神道に出る。


沢沿いの旧道に入る

馬頭観音と四十五丁石

西行桜の奥を上がる

車道に上がって
戻るように法面の上へ

バス営業所を回り込む
ブナの木の細道へ

神道合流手前
右に塔場、左は墓地

 神道は中社の門前町の一角に入ると沢を一つ渡り、この沢から先を宅地の中の急登で上がる。上がりきると中社の鳥居前まで平坦なまっすぐの道である。沢沿いにバス通りの方へ上がると少し傾斜が緩い。

 中社に正面から入って西口から出ると歩道のない路肩の狭い県道を歩かない。中社西口の駐車場から右手の山に入る坂道を登る。中社から少し離れた第三駐車場を左手に見て登り続けて地道の二股に女人堂跡の駒板と道標石がある。右に入ると越後道の女道で、奥社へは直進(左)。すぐ先で越水通の車道に合流する。戸隠山を望める合流する辺りの右手の高台に女人堂はあったようで、車道の拡幅で跡地は削られているという。スキー場の方へ向かう越水通は先で右に曲がるが、曲がらず直進する。見た目どうということのない比丘尼石を右手の道端に見て別荘ともペンションとも蕎麦屋とも言えそうな建物が点在する白樺の林間の緩い坂を下っていく。


女人堂跡

比丘尼石

釈長明火定地は階段を上がる

 小川を渡り男道の標識を右に見て男道の奥に針葉樹に囲まれた公明院の大きな建物を見る。男道のすぐ奥社側が女性行者の公明院というのが時代なのだなと思う。奥社参道脇に並んでいた多くの院は全て冬の厳しさから中社以下に移っており、公明院が最も戸隠奥社に近い院となる。道は少し登り坂となって鞍部を越える道右脇の公明院の地続きに釈長明火定の地があって、宝篋印塔や石碑がある。更に隣接してコの字型に祠が並ぶ日本六十六国一ノ宮など、公明院の辺りはいろいろある。

 坂を下り、右手に稚児の塔の塔場を見た先で右手の地道に入る。緩く登っていくと左手に戸隠山がよく見える、ベンチなどがある望岳台がある。道端に地蔵や祠が点在するが、何の祠か分からない。緩やかに下って奥社の駐車場の県道対面に出る。


稚児の塔(多分一番左)

望岳台付近の石祠など

 県道から少し下って逆サ川を渡る。奥社参道は森の中のまっすぐ道だが、変化はある。晩夏ならシラヒゲソウが咲く道脇の溝が細くなると古さびた随神門で山裾の遊歩道と交差。随神門から杉並木で、左手の杉並木の向こうに院の跡地が続く。次第に上り坂になって、右手には小川があり、小川の向こうに院跡や講堂跡の更地が見える。飯綱大明神の祠を左に過ぎて石段となる坂を上っていくと、鉄筋コンクリ造りの奥社。元は飯縄大明神の対面の辺りにあったのが昭和53年の、この地方でワバと呼ぶ雪崩で潰れ、雪崩被害の受けにくい今の位置に作り替えられたのだという。手前で左に入ると戸隠山の登山道入口に続いており、奥社に資材など入れる裏手の車道に出た先に登山口がある。


随神門までは並木無し

シラヒゲソウ

随神門

杉並木

講堂跡へは小川を越えて

奥社へ

参考文献
離求庵,戸隠古道を歩く,渡辺綱孝,2002.
豊岡村(図)長野県立歴史館. (2023年10月8日閲覧)
長野県,長野県町村誌 第1巻 北信篇,郷土出版社,1985.
戸隠村石造文化財調査委員会,戸隠村の石造文化財,戸隠村教育委員会,2004.
戸隠村三十年の歩み編集委員会,戸隠村誌,戸隠村,1989.



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(2023年10月8日上梓 2024年4月5日改訂)