有明山 神戸から
神戸原から

穂高有明から
有明山(2268.3m)

 有明山は北アルプスの、安曇野に面する大天井岳や燕岳の前山にあたる。前山と言ってもかなり急峻で高く、それなのに全山樹木で覆われ異色を放っている。カタチは富士型だが横から見ると薄く、屏風で作ったような富士型だ。戸放が岳/鳥放しが岳ともいったという。


★山名考

 屋久島の栗生の方言で、「山・畠のありかたをいうとき一番近い方をアラケ、遠い方をオクいう。オクノヤマ、アラケノヤマの語がある。」という。中央から遠い地で昔の言葉が残っていたということで、アラケやアリアケに近い音で昔は奥の反対の「手前」のような意味があったのではないだろうか。有明山は北アルプス奥山の手前の山である。九州中南部では「あらけ」で座敷や客間や次の間や老人の隠居所に対して若夫婦の住む母屋、同語源とされる近い音の「あらく」で座敷、「あらき」で台所と奥座敷との間にある部屋と言った、奥に対して「手前」のニュアンスを含んでいそうな所を指すことがある。「座敷」は昔の民家の建物の中央付近にある客間としても使われた間で、奥の間の手前である。但し、直接「手前」の意味になりそうな「アラケ」/「アリアケ」を古語辞典等に見ていない。

 千曲市の有明山も、屋代の市街地辺りから見て善光寺平に突き出した尾根の先にある「手前の山」のように思われる。対馬の有明山も、対馬の中心地の厳原の市街地から見て西に広がる山地の厳原寄りにある「手前の山」のように思われる。

 九州の有明海は、「ありあけ」は古い記録に見られないようだが、「前海(まえうみ)」と呼ばれていたという。佐賀県の辺りで前海物といえば有明海産の魚介類を指すという。「前浜」のような、単にその土地その土地の前の海ということではなく、橘湾や天草灘から広がる東シナ海の外海に対して、福岡県・佐賀県・熊本県北部から見ての「前」海であって、一部での呼称で古い記録に残らなかったか、江戸時代から明治頃に「前」を、九州では同義で残っていた「ありあけ」で言い換えたのが「ありあけ」の沖/海ではなかったかと考えてみる。

 有明湾の別名のある九州の志布志湾も、あまり古い「ありあけ」の記録はないようだが、千曲市の有明山のように太平洋から突き出して(引き込まれて)手前にある湾であるように思われる。

 出所がはっきりしないらしい東京湾岸の埋立地の有明も「『手前』の漁場(或いは単に海域)」ということであった「ありあけ」という海域を埋め立てたというのが埋立工事業者か港湾関係者にそれとなく伝わっていたのではないかと疑ってみる。

 「アラケ」や「アリアケ」などの音を知識人が記録する時に、和歌などにも用いられ、情事の余情を象徴する言葉としてよく知られていた夜明けの頃を指す「有明(ありあけ)」の字にされたのでは無かったか。アリアケは約音でアラケになりうる。

 和歌などに用いられた夜明けの頃の「有明」も、月がまだ「有る明け」ではなく、ある程度明るくはなっているが、日が昇って本格的に明るくなる日中の「手前」で、「アラケ」と同じ言葉だったのではないだろうかと考えてみる。陰暦十六夜以降の「月の『有り明け』」などとされるが、「月」が明示されていないのと、陰暦十六夜以降に限られない夜明けの頃で意で用いている複合語や用例があるのは、掛詞という技巧や技巧によって広がった意味を、語源と誤認したということではないかという気がする。

 信府統記の旧俗伝にある、岩戸伝説で投げられた岩戸が此処に落ちて再び世の中が明るくなったから有明山とも戸放ガ嶽とも言うという説話や、同諸社記にある鬼神が住んで雲霧に覆われて暗かったのが鬼神が滅んで雲晴れ(て明るくなっ)たから有明山と言う説話は、「手前」が関わっていたとしても、アリアケという音だから明るくなったと言うことにしたのか、明るくなる頃と言う事と同義ということが形を変えてこれらの話になったのか、矢印の向きが分からない。だが旧俗伝の、鳥放ガ嶽ともいう理由にこの山に鶏に似た鳥がいて時を作るからとしているのは、「鳥」は説明出来ていても「放」が説明出来ていない。またもう一つ旧俗伝にある、月の頃はいつも陰無く照らすから有明山というのも、満月が里から西方に見える有明山を正面から照らすのが見えるのは月が東の空にある宵など有明とは言えない時間帯だから、話として無理がある。目にして気が付く機会の多いのは明るい日中なのに月が照らす暗い時間帯の特徴で呼ぶというのも不可解である。

 話として成り立っていないのに伝えられているのは、最初に成り立っていない話にした人が確かに納得して聞いたと言う話の全体の記憶があるのに内容の一部が抜け落ちたか入れ替わって話したからで、有明山の有明は鶏が時を告げる有明の時間帯と同じような手前の意味だったということが鳥放しの語源に混同されたり、夜明け前の有明と同じ意味の手前にあって遮るものが無いのでいつでも陰無くよく見えるということが形を変えて伝わったりしたのではないかと考える。鶏に似た鳥が時を作るというのは、またアリアケという音だから夜明け前頃に鳴く鶏が出てきたのか鶏が鳴く頃と同じような意味だったと言う話が形を変えたのか、矢印の向きが分からないが、月の頃は陰無く照らされるというのは手前にあるから陰無く見えるということが落ちて、夜明け前から連想される月の光が替わりに入ったということで、推測による補完が挟まるが矢印の向きは夜明け前と似た手前と同義が有明の指す所であったということになる。


姨捨駅ホームから見た
善光寺平
中ほどの長尾根が有明山

姨捨駅ホームから見た
有明山拡大
左の小山は一重山

 尤も、信府統記で旧俗伝安曇筑摩両郡の他に、有明山の名が月の頃はいつも影無く照らすが故というのは名所記附古歌の部の姨捨十三景の一つとしての埴科郡森村(今の千曲市)の有明山の説明でも登場する。山としては安曇郡の有明山より小さい埴科郡の有明山の説明で月に絡む姨捨山の関連地名として出てくるのは、或いは埴科郡の有明山の名の説明が月の頃は影無く照らす故の発祥で、安曇郡の旧俗伝の有明山の説明は同名ということだけでの援用かとも考えてみるが、安曇郡と埴科郡の有明山の名のどちらの説明として月の頃は影無く照らすとされたのが先なのかの判断が出来ない。埴科郡の有明山も手前の山と考えられそうなのは先に述べた。姨捨山からは有明山が善光寺平の手前に延びてきているのが一望である。千曲市森の中心部から見れば有明山は安曇野に対する安曇郡の有明山同様に西方にある。姨捨山から見る分には北東なので有明の時間帯に月光で影無く見えることはあるかもしれないが、山を呼ぶのは夜中の姨捨越えの旅行者より、地元の居住者だ。

 戸放が岳は、入口など指すトバクチなどと言う時のトバを用いた「トバ(戸・場かとされる)・ナシ(成(形作るもの))の岳」で、アラケと同様に手前にあることを言ったかと考えてみたが、鳥放しが岳も伝わるので、違うように思われる。「とりはなし」が約まって「とっぱなし」や「とばなし」「とはなし」などとなるのは、口の動作が少なくなるので訛りとして自然な気がする。

 「鳥放し(とりはなし)が岳」は、北アルプスという連山にあって後方に連山が見えるのに独立峰のように見える有明山を、北アルプスの山々から取り分けて別々にしたということの「『取り放し/取り放ち』が(の)岳」と言うことでは無かったかと考える。何となく「取り放す」と言う言葉に新しさを感じていたが、11世紀の用例が見られる言葉である。戸放は「とりはなし」の音便と考える。

 「鳥放し」が「取り放し」だとすると、この安曇野の有明山の「ありあけ」は「手前」とは違ったかも知れないような気もしてくる。「ありわけ(在り・分け)」で「目立つ状態で別になっている」で「分割されて別になっている」ということで「取り放し」とほぼ同義となりそうだからである。有明山社旧社地だという「とりいやっこ(鳥居奴/鳥奴)」も「とりわけを(取り分け・峰)」の転訛かもしれないと考えると、「手前」にあることより「独立」のように見えることの方が注目されたということで、「とりわけ」は「とりはなし」と「ありわけ」を繋ぐのかも知れないと思う。「あり」の接頭した動詞や形容詞は色々とあり、「ありわけ」で他の山並みから独立しているニュアンスは伝わるような気がするが、「ありわく」、「ありわける」と言った言葉は辞典等に見ていない。或いは「わりわけ(割り・分け)」かとも考えてみるが、「わりわく」、「わりわける」も見ていない。

 四音節と長い「ありあけ」も「あり」の接頭した複合語と思う。「ある」為の認知のスペースの開きだしが、あることの手前ということだったのではないかと考えてみる。

 「手前」は変な用字だと思う。「つま(端)・へ(辺)」の転が「てまへ」なのではないかと疑ってみる。

参考文献
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野村伝四,大隅肝属郡方言集,中央公論社,1942.
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福岡博,総論,日本歴史地名大系42 佐賀県の地名,平凡社,1980.
石井孝芳・唐鎌祐祥・永窪一宏・松尾千歳,曽於郡,日本歴史地名大系47 鹿児島県の地名,平凡社,1998.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
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楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
小学館国語辞典編集部,日本国語大辞典 第9巻 ちゆうひ-とん,小学館,2001.



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(2003年8月8日上梓 2014年8月10日古い記録を分割 2017年7月14日山名考追加 2023年1月22日URL変更)