箕面市桜井3丁目から

日の丸展望台から

北西から箕面GC越しに
六個山 (396m)

 沢山のルートがあるが、ルートが沢山あって迷いやすい。六個山山頂は南方の展望が良いのだが、広く雑然としていて五方面から道が上がって来ているので休憩していると自分がどこから登ってきたのか分からなくなる感がある。


★山名考

 六箇山とも書かれた。「ろっかやま」とも「ろっこやま」とも言うようである。

 六個村共同の持ち山だから六個山だというが、そんな呼び方をするだろうか。箕面市史の近世の山論の史料を見ると、牧之庄の四個村(平尾・西小路・桜・牧落)に半町と瀬川を加えて六個村の持山であり、天明6(1786)年の山論以降は新興で最も六個山に近い新稲村も加えて七個村の入会山だったようである。所有権がなかったとしても六個山に最も近い新稲村の人々が他の六ヶ村の持山だったからと六個山と呼ぶとは考えにくい。他の六個村とて共同の持山と認知する前の呼び方があり、山そのものが六個村ではないことは自明だったはずである。


平和台西口から見上げる
急斜面

 山頂の三角点の点名は松尾山である。法恩寺松尾山ともいったようである。箕面市史に近世の山論の例で出てくる。教学の森の看板では報恩寺松尾山とある。松尾山/法恩寺松尾山/報恩寺松尾山は頂としての山ではなく山地の名のようである。断層崖の南面の切り立った斜面が立ち上がった、「まち(区)・を(峰)」の転が「まつを」と考える。

 猪名川と武庫川を挟んで西方に似た音の六甲山がある。六甲は「むかふ」で向こうの山とか武庫川の武庫(むこ)と同じで「むこ」に宛てられた六甲の文字が「ろっこう」と読まれたなどと言われるがどうなのか。断層崖の側面が立っていて山頂部が比較的平坦な定高性の山地ということでは六個山と六甲山は似ている。

 箕面市史本文編では通称六個山としているが史料編中では松尾山か法恩寺松尾山で六個山の名は出てこないようである。

 松尾山/法恩寺松尾山の山地の一角のもっこり高まった六個山の頂を「むく(勃)・を(峰)」と言ったのが訛ったのが「ろっか」或いは「ろっこ」でないかと考える。或いは実は「六個」や「六箇」と書いて「むか」或いは「むこ」と読ませたかったのではないかとも疑ってみる。地形図に載る前の六箇山があったのか、あったとしたらどうあったのかを知りたい。

 法恩寺/報恩寺という寺は、天保4(1833)年の新稲村明細帳など見ても、山際の新稲村に無かったようである。小川口から教学の森さえずりコース・東尾根コースで憩いの広場を経て尾根線脇の急斜面(まち)を見ながら高山方面に向かう長い尾根道が「はひ(延)・をね(尾根)・ち(道)」或いは「はひ(延)・を(峰)・の(助詞)・ち(道)」転じて「ほうおんじ」でなかったかと考えてみる。

 六甲山は地形図上で見ればもっこり盛り上がった山地だが、規模が六個山の山頂部とは比べ物にならないほど大きく、一目で盛り上がったところというようには見えない。六甲については更に考えたい。

参考文献
木藤精一郎,六甲北摂ハイカーの径,阪急ワンダーホーゲルの会,1937.
「角川日本地名大辞典」編纂委員会,角川日本地名大辞典27 大阪府,角川書店,1983.
武内正,日本山名総覧,白山書房,1999.
徳久球雄・石井光造・武内正,日本山名事典,三省堂,2011.
箕面市史編集委員会,箕面市史 史料編3,箕面市,1969.
箕面市史編集委員会,箕面市史 第2巻,箕面市,1966.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
箕面市史編集委員会,箕面市史 史料編6,箕面市,1975.



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(2023年6月18日上梓)