龍辻から龍(柳)への道

 龍辻の名は「辻」がこの地域で分岐点であることを示しているのだから、「龍」という場所への分岐点ということだ。龍辻の位置は龍辻越を西から東に移動した江戸時代後期の仁井田長群や明治時代の松浦武四郎の記録から天竺納戸(龍辻山)の南の肩であることがわかるが、道の分岐であることは彼らの記録にも、江戸時代前期の国絵図付帯の道帳の写しである里程大和国著聞記にも記されていない。だが、自分で龍辻に行ってみると、南方への道の分岐になっていた。龍辻の南方にある柳ノ谷の名の元になった「りゅう(龍/柳)」という地区への分岐であったのだと思う。柳ノ谷は「りゅう」の所にある谷ということだろう。「りゅう」までの道の全てを確認したわけではないが、確認した部分と推定の部分について北側から記す。

★龍辻〜古和谷左股の左股源頭(確認)

 龍辻から南に延びる尾根の稜線の東側に路盤がある。150mほど進んで小尾根巻くと尾根線直上に上がる。100mほど先の次のコブまで土壌の薄い岩尾根が滑らかに続いて東側の展望がある。

 次のコブから下降する。尾根線に掘り込まれた路盤があるように見えるのだがどうもはっきりしない。標高で40mほど下り尾根が曲がる所からははっきりした掘り込みの路盤がある。掘り込みは少し下ると尾根の少し西側に入り、尾根筋が急な部分は掘り込みを折り曲げて路盤の勾配を緩めている。尾根の西側は植林で路盤の中まで植林されているので歩きにくい。尾根の東側は疎らな二次林である。

 標高1110mで東側から大台尾鷲道が突き当たって切り返している。更に尾根線上の掘り込みを下り、1090mで今度は大台尾鷲道と交差する。ここまでは比較的はっきりした路盤で確認したと言えると思う。

龍道地図1
龍道地図2

龍辻を後に東斜面

尾根線に上がる 東側展望あり

1170m付近
尾根線直上に掘り込み

1150m付近
尾根線直上に掘り込み

1120m付近
尾根西側に掘り込み
路盤まで植林

標高1090m 尾鷲道又口側から
見ると尾鷲道と直交する
ように見える

★古和谷左股の左股源頭から又口(推定)

 大台尾鷲道とはほぼ直角に交差しているように見えるのだが、交差した先の古和谷左股の左股の源頭に路盤が見当たらない。源頭の地形は緩やかで歩きやすく、道があったと考えても良さそうではある。交差した大台尾鷲道も上手側にあたる又口辻側の標高1110mより下が流れがちで路盤が細くはっきりしなくなっているので、より古く細かった龍道の路盤は完全に流れてしまったのかもしれないと思う。

 古和谷左股の左股の源頭は990mに湧水地があって、それより上は水がなく土の緩やかな歩きやすい谷筋である。標高1000mに炭釜と作業用平場の基礎と思われる石垣がある。990mの湧水地のすぐ下の右岸には段切りされているように見える路盤がある。


上の石垣は炭釜跡
下の石垣は作業用平場かと

水源下手右岸
段切りのように見える


龍(柳)道下部推定

駒ノ滝地図

 右岸を更に下りていくと北山索道の古和谷駅跡がある(古和谷駅跡については大台ヶ原尾鷲道その3に)。段切りに見える路盤は大台尾鷲道か古和谷駅以降のものだろうが、1090mの交差点から炭釜や古和谷駅跡まで龍道が続いていたと推定する。道の路盤は駅跡から緩やかに右岸斜面を登っていく。見下ろす古和谷左股の左股の谷筋は岩と水が多くなり歩きにくそうである。右岸斜面の標高980mで大台尾鷲道の八千谷峠に上がる路盤と、水平トラバースになる路盤が分岐する。この水平トラバースの方を龍道と推定する。

 水平トラバースは先のハチヤ川源頭にあたる標高980mの鞍部に出るところまで確認している。鞍部から更に南東に進み、柳ノ谷のどこかに下降していたのが、大台尾鷲道が開かれる前の龍道であったと考えるが、どこに下りたかは見ていない。929.0mの三等三角点「柳ノ谷」のコブから真南に下りる尾根を辿って柳ノ谷の標高290m辺りに下りていたのではないかと考えている。柳ノ谷の標高240mの右岸に庚申塔があるので、或いはもう一本東側の尾根から下って柳ノ谷を渡った所が村はずれにあたる庚申塔の所であったかとも考えてみる。

 大台尾鷲道より西側から柳ノ谷に下りていたのでないかと、古和谷駅跡北西の1112m標高点のコブから南西に下りていく尾根を1112mのコブから少し下りてみたが、路盤は見当たらなかった。また、柳ノ谷標高500m辺りにある大台尾鷲道への登り口から更に柳ノ谷上流左岸につじかけの道が続き、駒ノ滝を巻いて駒ノ滝銚子口より上の柳ノ谷の左岸沿いに更につじかけの道が続いていたのを2014年に見ていたので、駒ノ滝銚子口より上の柳ノ谷に龍辻から下りつく道があったのではないかと、龍辻から古和谷左股の左股の源頭までの稜線上から西斜面を注意して見続けたが、西斜面はずっと急峻で道がつけられそうなところが見当たらなかった。

 延々と続く駒ノ滝銚子口の上のような高いつじかけ道は近代のもので、駒ノ滝銚子口から龍辻に上がって又口辻に下りるか、更に上がって龍辻山を越えて新木組峠方面に短絡すると、道としては1915(大正4)年の土井家寄進の新木組峠までの大台尾鷲道の平行路線ということになるので、駒ノ滝銚子口から龍辻へはつながっていなかったかもしれないが、立派な作りの駒ノ滝銚子口より上のつじかけ道の先がどうなっているのかは今後の課題としたい。

参考文献
笹谷良造,天保五年の大台登山記,pp106-118(106-118),30(1),山岳,日本山岳会,1935.
笹谷良造,天保五年の大台登山記,pp397-407(29-39),2(9),大和志,大和国史会,1935.
松浦武四郎,松浦孫太,佐藤貞夫,松浦武四郎大台紀行集,松浦武四郎記念館,2003.
松浦武四郎,吉田武三,松浦武四郎紀行集(中),冨山房,1975.
玉井定時,奈良市教育委員会文化財課,里程大和国著聞記(玉井家文書庁中漫録20),奈良県立図書情報館.
磯永和貴,江戸幕府撰大和国絵図の現存状況と管見した図の性格について,pp1-14,16,奈良県立民俗博物館研究紀要,奈良県立民俗博物館,1999.



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(2022年1月30日上梓)