千穂ヶ峰
丹鶴山から

千穂ヶ峰
牛鼻付近から

千穂ヶ峰(253m)

 権現山・経ヶ峰の別名もある。東面には御中道もある。樹木に覆われているが歩道全体を通してそこそこの展望はある。南峰には展望台があり、良い展望が開けている。その位置は熊野川を下ろしてくる冬の季節風が新宮市街に吹き込むのを防ぐ衝立になっているかのようである。登山道は5本あり、低山ながらいずれも急峻である。三本杉北尾根、速玉大社・角池、千穂2丁目、神倉神社、越路トンネル南尾根である。

 山の名は神が住まい麓を守る「鎮護ヶ峰」、尾根が多いので「千尾ヶ峰」などが由来の説としてあるらしいが、千尾はともかく鎮護の解釈は後付けな気がする。「稚児ヶ峰」とも書かれたという。「千木森(ちぎや)」とも呼ぶという。峰続きというより同一の山だが南の方は「神倉山」と別名である。北端は「新飯山」だという。千穂ヶ峰は北側に標高100m前後の台地があり、その上に最高点のある急峻な山が乗っており、北側の熊野川・相野谷方面から見ると山の上に山が乗った二段の山に見える。この山として顕著な段差のある不揃いな感のある山容を指して、「ちぐはぐ」の「ちぐ」で方言では「ちんぐ」「ちごちご」などともされる形容動詞「ちぐ」ガ(の)峰、或いは約まった「ちご」となった「ちぐ・を(峰)」ガ(の)峰が、山名の原義でなかったか。千木森(ちぎや)も「ちぐ・を」の転訛だろう。別名の権現山の名は速玉社が権現と呼ばれていて、その後ろの山ということであろう。経ヶ峰(きょうがみね)は「ちほがみね」の語頭の破裂音の転訛ではないだろうか。(2002年11月初めて登頂)

千穂ヶ峰の地図

★越路(こえじ)・虻沢コース

 磐盾の市街地の山際の虻沢浄水場の上に歩道があり、旧国道・旧越路トンネルへの道につながっている。旧道の途中からと、トンネル東口のすぐ脇に登山口があり、合流して越路峠に登る。越路峠は低い峠だが、登り切ると熊野川の青さが美しい。峠の西側の道にも街道の跡は続いているようだが、ずいぶん荒れているようだ。川丈街道の支線に当たるのだろうか。南への稜線にも登山道があり、笠丸山方面につながっているようだ。峠から北に稜線を辿る。峠から東一帯には石垣や掘割、土塁が見られる。越路城址である。築城者は不明だが17-18世紀の築城とのこと。越路峠のすぐ北にコンクリの擁壁があり、道は擁壁の上と東側と二筋となっているが、この擁壁は古い送電線の足場か。

 一度、谷筋の堀切に沿った防獣網を越えると斜面を上り始めるが、よく整備された道で歩きにくいということは無い。その後も何度か掘割を越える。猪垣のような石垣もあり、越路城址が続いている。小さなコブに登ると第二展望台の東屋がある。一旦下って広いが急な尾根を登ると黒岩の頭の西のピーク。すぐ横の黒岩の頭へは踏み跡があるが、ヤブが掛かっている。黒岩の頭の上では展望は開けない。また下って小さな鞍部で植林の谷間に右へ神倉神社方面への踏み跡が分かれるがやや不明瞭だ。もう一登りで南北に長い南峰に付く。背の高い東屋の第一展望台があるが、この東屋の名目は展望台ではなくて防火監視施設だそうな。新宮市街が一望である。平成23年の台風12号で杉の木が沢山倒れて千穂ヶ峰の本峰も見えるようになった。

 一旦下って鞍部から右に折れると御中道の牛の背中の上に下りる。直進してもう一登りで千穂が峰山頂である。千穂ヶ峰は急峻な斜面からなる山であるが、その中でも最も急峻な西斜面は植林も行われず自然植生が残されており、市の天然記念物にも指定されている。この尾根上からその自然林の様子が垣間見える。山頂の手前で西側・桧杖・熊野川方面が見える。山頂は西側はヤブ、その他の方向は杉の植林に囲まれており、南峰の防火監視施設に比べると展望は少ない。


越路峠

コンクリの擁壁

堀切

南峰
第一展望台

第一展望台より
新宮市街

熊野川・那智山
方面


熊野川・相野谷川・亀島

★三本杉コース

 速玉大社の山側の奥の地区は尾崎さんという表札が目立つが、その北寄りの奥が登山口。完全に民家の路地である。最終人家から古道らしい石段を登ると社寺の跡地のような場所があり、案内看板がある。明治時代に速玉社に合祀された神社の跡かと思われる。この跡地の奥では取水が行われているようだ。竹林の北側の尾根に取り付くと上は平坦。大きな斜めの窪地があり何か祀られていた。ここに三本杉が生えていたのだろうか。窪地の上に一段分登っても平坦な尾根が続き、西側に何本か枝道が分かれていたが「行き止まり」と書かれていた。廃道となっている相筋2丁目コースのようである。相筋1丁目あたりでは北斜面が伐採されており紀宝町から流れてきた相野谷川が熊野川に合流する亀島の辺りがよく見える。

 平坦な台地の上から急斜面に突き当たり、東側を絡んで登る。急斜面であるが山肌にジグを切って登るので足の運びが遅れるほどの急登ではない。山頂手前に一度登り返しがあってから山頂はすぐ。このコースは急峻なこの山の5本のコースの中では最も緩やかであると思う。



角池コース
最後の階段

★角池(かくいけ)コース

 角池は速玉池とも呼ばれたが今は無いと言う話もある。今は速玉社の脇に防火用水の池があり、この池の傍に登山口がある。古いガイドブックで「角池コース」と書いていたので角池コースとしておく。

 速玉社南の防火用水の池の山側の駐車場北側の谷筋にあるお宅の軒先をくぐって登る。軒先の奥に砂防ダムがあり、この砂防ダムを越えるといきなり鎖場(低い)で尾根に取り付き、杉の急斜面の階段を一登りで緩やかな雑木林になり、お中道が合流する。それより上では神倉神社の参道も真っ青な急斜面の階段となる。手も使わないと登れない。まるで天に登るかのような遥かな階段を登り終わるとそこが山頂である。


★千穂2丁目コース

 宗応寺の少し北側の路地から入山。お中道の分岐まで雑木林でジャングル的雰囲気であるが、落ち葉やコシダの藪で道が不明瞭な部分もある。この道もかなりの急登である。道なりの正面の露岩に柵が有って驚かされるが、道はこの柵の左側を巻いて登っている。牛の背中の岩場の直下に出ると右に逸れて谷筋に入り、ジグザグに登って御中道の分岐に達する。ここは牛の背中の岩場の上である。新宮市街の展望が良い。

 お中道の分岐は十字路になっていて、直進が千穂2丁目コースの続きである。道は緩やかになり歩き易い。すぐに東屋があり、少し樹冠が切れていて明るいが、山麓は見えない。更に左(南)に逸れながら緩やかに登ると、山頂の南峰との鞍部に達する。南峰の防火監視施設がすぐ上に見える。山頂は右へ。痩せた稜線の階段は急登だが、木の間越しに熊野川や那智の山々が見える。


左 牛の背中
右 龍鼓の滝

牛の背中の上より
新宮市街

千穂二丁目コースの
東屋

★神倉神社・お中道

 神倉神社のゴトビキ(蝦蟇の意)岩は大峰山山上ヶ岳のお亀石とつながっているという。参道の階段も荒々しく(鎌倉積み)、普通に建物が配列されておらずワイルドな神社だ。新宮速玉大社の摂社にあたる。社務所までなら新宮駅から徒歩10分。ゴトビキ岩と社殿まで更に5-10分。街の展望が広がる。このあたりを「神倉山」という。ゴトビキ岩の下から沢山のお経が発掘されていると言う。千穂ヶ峰の別名の一つ「経ヶ峰」の用字由来はその辺りにあるのかもしれない。ゴトビキ岩は日本神話上の天磐楯に比定されたことがある。参道の階段の中ほどと上がりきった鳥居の手前の辺りに御中道・千穂ヶ峰山頂への道が分岐している。

 ゴトビキ岩手前の鳥居の前からお中道を北へ平坦にトラバース。参道の中ほどからの道と神倉神社参道の女坂の延長の道を合わせた十字路を過ぎて一つ目の谷筋に分岐があり、杉林の中を谷に沿って登ると南の稜線に出る。直進して更にお中道を進むと少し湿った岩場がある。二つ目の谷を渡った先に牛の背中の分岐がある。ここは山道の交差点になっていて千穂2丁目からのコースが合流してくる。牛の背中とは千穂ヶ峰東面の露岩が稜を為して牛の背中のように見えることを指す。その牛の背中の露岩のすぐ上に交差点がある。更にお中道を直進すると角池コースへ。右折で千穂2丁目コースで稜線へ。


神倉神社
社殿とゴトビキ岩

ゴトビキ岩下の
袈裟岩

鎌倉積の石段
下方

神のー(下)と黒岩(上)
新宮高校より

お中道

お中道

鎌倉積の石段
上方

神倉神社参道途中からの
登山口は炭釜の跡?

新宮市・・・三重県に接する和歌山県最東端のまち。熊野川が海に注ぐ所。三重県南部と和歌山県東部に連なる県際的な熊野地方の中心地。「新宮」の名は社殿の配置と、史料初出時と熊野三山成立期の連関から熊野本宮に対する新しい宮という説(小山靖憲 etc)と、旧記による市内の神倉神社もしくは阿須賀神社に降りた神を現在の速玉大社の所に新しく祀り直した宮という説(吉田東伍 etc)がある。


バス停も烏

熊野交通の社章も烏

天台烏薬

参考文献
新宮市,新宮市誌,新宮市,1937.
新宮市史編さん委員会,新宮市史,新宮市役所,1972.
新宮山の会,南紀の山と谷,新宮山の会,1977.
新宮山の会,増補改訂 南紀の山と谷,新宮山の会,1987.
熊野市史編纂委員会,熊野市史 下巻,熊野市,1983.
小山靖憲,世界遺産 吉野・高野・熊野を行く 霊場と参詣の道(朝日選書758),朝日新聞社,2004.
吉田東伍,大日本地名辞書 第2巻 中国 南海道 西海道,冨山房,1900.



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(2003年1月26日上梓 2005年3月10日修正 2009年7月22日リニューアル)