![]() 赤線が推定旧ルート 赤点線は歩道と机上 赤実線は今の車道と重なる所 |
小菅大菩薩道は小菅から牛ノ寝通りの尾根道で石丸峠を経て上日川峠で丹波山大菩薩道と合わさり萩原に下りるが、岩科「大菩薩連嶺」の図では田元から大マテイ山の西面を通って大ダワに至り、歴史の道調査報告書でも大ダワの「棚倉から東北方へ転じて、田元を経て末端の金風呂」とあるが、歩いてみるとモロクボ平と大ダワの間は急峻な斜面のトラバースが長く、トラバース道の上の尾根筋の起伏も急峻で安定したルートと言えるのかに疑問が残る。
モロクボ平の上に慶応年間の馬頭観音碑があるので慶応頃は馬もモロクボ平から大マテイ山西面の道を通っていたのだろうが、小菅村郷土小誌(1983)の「古い道」の節に古甲州道中が川野から余沢の口留番所を通り「白沢より井狩、田元に至り、ここが大菩薩峠への登山口」に続けて「田元から山沢入りの『ヤモリ』の尾根を登り、『狩場』『ホンゴ』『牛の寝』を通り『カゴカケ』から大菩薩峠を越えた。」とあるのを見た。「『ヤモリ』の尾根」が山沢の奥のどの尾根のことだか分からなかったのだが、松浦隆康(2012)の「バリエーションハイキング」に「ヤモウ尾根」の記録があり、ヤモウ尾根の尾根筋の中程に古い道の跡があり、山沢沿いの車幅の道の終点からヤモウ尾根の中間に上がり大マテイ山の東の山沢入のヌタに上がる道があることを知った。
小菅村郷土小誌の「村の古い道」図では古甲州道中が石丸峠からオオマテイ山西面を経て田元に下りるように描かれ、名が付される「ヤモウ尾根」に道は付されていないが、本文中の「『ヤモリ』の尾根」などが地元の古老からの聞書きそのままで「村の古い道」図の古甲州道中は編者が地形図にある道がそうだろうと推測してなぞったものだったとしたら、「ヤモウ尾根」と「ヤモリの尾根」が同じもので田元から山沢川の奥のヤモウ尾根に上がりヌタを経て大ダワに至るルートが古甲州道中と言われていたとも考えられそうに思われた。田元からこのヤモウ尾根を経るルートは「村の古い道」図にある大マテイ山西面の道に比べても遠回りにならない。このルートも小菅大菩薩道であった時があったのでないかと思って歩いてみた。
![]() ![]() ![]() 赤点線が小菅大菩薩旧ルート推定 田元から山沢入のヌタまで 青丸網掛は谷筋の狭い所 |
田元の集落から今の山沢地区へ上がる車道の山沢川にかかる山沢橋の袂から山沢川左岸沿いの砂利道に入るとすぐに養魚場がある。養魚場の奥は車道としては行き止まりだが丸木一本の橋の跡が山沢川に渡してある。丸木一本では渡れないので川端に下りてみると水際に歩道の残骸のような石組がある。石組の上は水田の跡のようである。山沢川は明治期の大雨で大規模に氾濫したようで山沢集落は川に近い古屋敷/河原地区から下流側の高台のタノモクリ地区に移転し、山沢川は養魚場奥のごく短い区間を除いて護岸工事で固められている。その護岸されていない短い区間の中の水際に石組がある。丸木一本の先の右岸にも道の路盤らしきものがあるが、先の斜面が流れているようでどこに繋がっていたのか分からない。
小菅大菩薩の山沢登山口から山沢川の二股までの川沿いは護岸と整地で古い道の痕跡が窺えない。或いは丸木一本の橋の跡のすぐ上から今の車道と同じだったのか。
![]() 養魚場脇を過ぎて |
![]() 一本橋 |
![]() 一本橋奥左岸 田畑と道の石組 |
![]() 護岸続く 山沢川 |
下りながら辿ってみた。
ヌタからヤモウ尾根中間への道は始めのうちは路肩がしっかりしており古く忘れられた道の跡という感じではない。比較的新しい整備も入っている感じである。
尾根の鼻を一つ回り込む手前に旧路盤が路肩の下から分かれていくのが見える。そのまま大部トラバースした先で折り返して尾根の鼻に出てまた折り返す。旧路盤は半分くらいの長さのトラバースで下りるが折り返しのすぐ下から今道に合流するまでがはっきりしない。折り返しからもトラバースで尾根の鼻の間近まで行って今道に合流していたと考えるのが自然な気はするが斜面に路盤らしきものを見ず、折り返す谷間は緩いので谷間をそのまま多少のジグザグで下りて今道に合流していたのかもしれないとも思う。
![]() 旧路盤箇所拡大図 |
![]() 山沢入のヌタから下る |
![]() 路肩がしっかりしている |
![]() 旧路盤が下側に分岐 |
急斜面のトラバース下降が続く。斜面が急で道の勾配もあり、法面から出ている岩もあって馬は無理そうである。細い木が多い。右手に広い平坦地を見下ろすとヤモウ尾根中間の分岐(四差路)である。下側は平坦地の一角でヤモウ尾根の尾根筋というものは無い。分岐の東側は鶴寝山方面で、分岐より上のヤモウ尾根の尾根筋は急峻で尾根筋を登るのは無理そうである。林道終点方向への平坦地の中の道を進んで、下り勾配がかかり始める所で右に折れて平坦地の縁を伝ってヤモウ尾根の筋に乗るとはっきりした掘り込み路盤がある。掘り込みを遡ると上の平坦地の縁まで続いており、平坦地の上に掘り込みはないが中間分岐は目前なので、この掘り込みも踏み跡もない平坦部分にも道があり、分岐の所は四差路であったと考え、分岐まで往復しておく。
![]() 路盤の石組がある |
![]() 急斜面の岨道 |
![]() ヤモウ尾根分岐に下りつく 右端に写る岩が目印 |
掘り込みのある尾根筋を下降していく。標高1050〜1000m辺りは植林と二次林の合間にアセビが茂った尾根筋である。アセビを見なくなり960mで掘り込みの右(東)側に「バリエーションハイキング」にある「石碑」を見る。石碑は道の斜め向こうを向いていて、川原石に線刻で「奉納大山祇命」とあり、山の神の碑である。年記と裏面の文字は私には読み取れず。曲がりくねった地面に立つ長い針金に五円玉を沢山通した賽銭がある。「バリエーションハイキング」の「石碑」が街道であったことの傍証になる石碑かもしれないと思って見たが、山の神なら街道であったこととは関係なさそうである。
![]() 平坦地の縁から掘り込み |
![]() アセビの尾根道 |
![]() はっきりした掘り込み |
![]() 山の神碑 前から |
![]() 五円玉の お賽銭 |
![]() 910mで上側を見る 左が斜面折れ道で右は尾根筋 |
標高910m辺りの尾根筋の急な所は道は東斜面に入りこんで勾配を緩めている。標高885mで掘り込みが右に曲がって尾根筋から外れる。この曲がる辺りの掘り込みは流れて大部浅くなっている。ウネウネと曲がりくねって斜面を下降していく。下降するほど斜面は急になるがグネグネ曲がるはっきりした路盤で山沢川の左股に下り着く。末端は掘り込みに杉の落枝が詰まって歩きにくい。山沢川の左股を飛び石で渡ると左岸に古い路盤がある。谷筋は作業道が水を被ることがない位は十分広い。はっきりしている路盤を少し下りて渡渉すると左股の林道終点である。
![]() 堀込みが折れて 東斜面に入る |
![]() 下がるにつれて 急になる |
![]() 左股の水が 見えてきた |
![]() 左股を渡って振り返る |
![]() 渡って左股上手方を見る |
![]() 林道終点間近から振り返る |
未舗装の左股の林道から沢筋を見下ろすと砂防ダムや林道の路盤を乗せられて途切れているが古い路盤が谷底の水際にあるのが見える。上の砂防ダムより上の一部は右岸で大部分は左岸であり一車線の車幅が林道終点直下まであるように見える。山沢川本流沿いの林道の左股に架かる橋からすぐ上の砂防ダムを越える苔で覆われた作業道を登って砂防ダムの上に出てみると、水際の左岸を下りてきた古い道の路盤に続いていた。
![]() 左岸の林道から見下ろす 780m付近右岸の旧路盤 |
![]() 左股の一番下の 砂防ダムの上の渡渉点 |
![]() 赤線が推定旧ルート 山沢入のヌタから大ダワまで |
大マテイ山には南面の日向道と、日陰道と呼ぶのか分からないが当頁では日陰道としておく北面の巻道がある。
山沢入のヌタ鞍部は六本の道の集まる所である。日向道東西、日陰道東西、トチ巨樹コース、ヤモウ尾根中間への道の六本である。
山沢入のヌタから日向道を見ていく。大ダワへの日向道はよく整備された道だが大マテイ山南直登コースを分けた先は少し荒れ、流れて細くなっている所がある。ダイギリ尾根は下りていけそうに見える。山口尾根の所でジグで上がって大きなヌケを巻く。巻く道もよく整備されていて広幅である。巻く上に大マテイ山尾根筋道分岐がある。大ダワの直前で日陰道と合流する。大ダワで日陰道の旧路盤と合流する。
![]() 日向道 |
![]() 山口尾根西側崩壊地 |
山沢入のヌタから大ダワへの日陰道は地形図にあるように山沢入のヌタの鞍部から40mほど西に行ってから分れているのではなく鞍部から直に分かれている。ヌタ北西の広く丸い窪地を見下ろす。日向道に比べると大部通る人が少ないようで、尾根の鼻を巻くような所は硬い路盤がはっきりするが、なだらかな平坦で掘り込みもない牛ノ寝通りに似た道にホオノキの落ち葉が積もっているだけの分かりにくい路盤も長い。大マテイ山山頂北の鞍部を抜けると少々急な斜面をトラバースで下る。大ダワの更地が見えて、大ダワに直接向かう旧路盤を分けて大ダワの手前の日向道に合流する。大ダワへ直に下りる旧路盤が旧ルートと判断する。
![]() 日陰道 大マテイ山北西面 |
![]() 堀込みも踏み跡も 薄い所がある |
大マテイ山山頂へは三本の道があり、山頂一帯はなだらかだが通る人が少ないようで三本とも踏み跡が分かりにくい。日向道の中程からと西の山口尾根からと北の鞍部からの三本である。栗の木が多い。山頂にはベンチ二基と標識がある。
三本の内の西の尾根筋の道は踏み跡が多少濃い。西の尾根筋道末端の日向道にぶつかる所には大マテイ山山頂への分岐を示す道標がある。日陰道の大マテイ山北西面部分は斜面がやや急峻である。このトラバースの日陰道ではなく、大マテイ山東の鞍部から緩い尾根筋で大マテイ山山頂を越えるルートが使われる時期(より古い時代と残雪期)もあったのでないかと考えるが、大マテイ山山頂から東鞍部までの尾根筋に道型は見当たらない。
![]() 大マテイ山山頂 |
![]() 西の尾根筋 |
山沢川右股の車道終点からヤモウ尾根に上がる道が「バリエーションハイキング」に言及があったので辿ってみた。
山沢川左股の林道は上水施設の所が車止めで、先で橋で右岸に移り、車道幅の終点はワサビ田になった枝谷の出合で歩道を直進するとトチ巨樹コースと山沢川の詰めの高指山の北の鞍部へ続く。左に折れてワサビ田に沿って枝谷の右岸を上がっていく。ワサビ田の頭の左岸の小尾根の頭が見えてくる辺りで左に折れて斜面をトラバースで上がる。次の右に折り返すジグの先で小さい緩やかな窪地斜面に入る。
西側に炭釜の跡を見る。緩い谷間から斜面をもう一段上がって1060mの台地に上がる。台地は真っ平らで、奥に見えるヤモウ尾根の上の続きの末端斜面の突き出しにまっすぐ進む。突き出しの所が四差路だが、ヤモウ尾根の下側の尾根筋から上がってくる路盤は四差路付近ではほぼ分からない。右に折れるのが山沢入のヌタへ上がる道で、直進は鶴寝山北面の巻道に突き当たる。
![]() ワサビ田に沿って 上がる |
![]() 左に折れて ワサビ田から離れる |
![]() 炭釜 |
![]() 四差路突き当り 岩が目印 |
この道は勾配に特別急峻な所がなく登り易いが、ヤモウ尾根の尾根線には四差路の所の一点でしか上がらず「ヤモウ尾根を登る」とは言えないと思う。林道の上水施設からその上の道が左岸から右岸に移る辺りの谷筋が狭隘で斜面が立っており谷筋に沿って道を付けるのが難しい。林道が延びてヤモウ尾根の道に替わりヤモウ尾根の奥に行くルートとなったもので、古甲州道中であったことはなかったと考える。
大マテイ山の名が国中側から来て佐野峠の方に行きたいのに大マテイ山の北尾根に入って小菅の方に行ってしまうからという「大惑い(おおまどい)」が語源というのは信じ難い。大ダワから日向道ならそういう大惑いにならない。日陰道が大マテイ山北鞍部を越える所は方向感覚が分かりにくくなる場所だが、山仕事で頻繁に通る人なら迷うことはたまにあっても迷わないで通ることの方が多いだろう。大マテイ山の名も大ダワの名も小マテイ山や小ダワが聞かない中でなぜ「大」なのか。最初の「大」は大なるということの音ではなかったのでないかと考える。
大マテイ山は佐野峠方面の尾根と小菅の田元方面の尾根が合わさる所である。大ダワはそれらの尾根を絡んできた道が合わさる所である。「あいひ(相)・たわ(撓)」の転が「おおだわ」と考える。「あひ(相)・また(股)・を(峰)」或いは「を(峰)・また(股)・あひ(間)」の転が「おおまてい」でないかと考えてみる。大ダワ/大ダワノは、「あひ(相)・たわ(撓)」/「あひ(相)・たわ(撓)・ど(処)」と考えてみる。
トチ巨樹コースも山沢から大ダワへの古道を元にしているか、「ヤモリの尾根」とはヤモウ尾根ではなくトチ巨樹コース上のどこかということもありうるかと考え辿ってみた。
林道終点でヤモウ尾根中間に上がる道を分けて歩道を進むとまた谷幅が狭まり、狭まっている距離は上水施設奥林道の橋の前後より長い。狭い谷筋の真ん中にワサビ田の畦道があって、畦道を通る歩道であり、右側は山沢川の流れで左側は細長いワサビ田である。山沢川とワサビ田の向こうの斜面は立っており、ワサビ田が作られる前は大水ですぐに水を被る河原敷きであったと思われる。
沢の二股で水量が減る。まだ沢沿いにワサビ田があるが、周りは針葉樹の植林となる。道は左股沿いに少し上がって中尾根に取り付いて中尾根上を上がる。細い小尾根だが道幅をとるには十分な幅がある。中尾根から右に逸れて水もなくなり静まり返った山沢川の源頭で山沢川の谷を詰めて大マテイ山の北の肩に上がる道を分ける。
![]() 歩道幅となる |
![]() ワサビ田畦道の道となる |
![]() 畦道続く |
![]() 二股 左へ |
![]() 中尾根の上 |
![]() 山沢川源頭分岐 |
道は急な斜面の高い所をトラバースで上がっていく。よく整備されており歩きやすいが所々にヌケの跡を見る。急斜面の危なさは大マテイ山と高指山の西面の道と大差なく見える。標高1150mの水場の谷は狭く、牛が入らないと思う。トチの巨樹は標高1240m付近の谷間に二本ある。稜線に上がる100mほど手前の標高1300m辺りの道の山側に丸く平らな窪地がある。ヌタ場にはなってなかったが、或いはこの平坦地がヌタ場になっていたことがあったのが山沢入りのヌタの名の由来か。
![]() 急斜面トラバースの道 |
![]() 水場の谷に入る所の桟 |
![]() トチ巨樹の一本 |
トチ巨樹コースは山沢川沿いに山沢川沿いの上水施設の奥の谷筋の狭い部分より奥であり、急斜面トラバース登りの危なさは大マテイ山と高指山の西面と変わらず、地形図上でZ字型のルートとなり距離が延びる。トチの実採取が見込めるトチの大木が途上にあるので山仕事の道は昔からあり、近代営林作業道やハイキングの道として全く新しく作られた道ではないと思うが、街道としての小菅大菩薩道であったことは無かったと考える。
山沢から砂防ダムを越える形で山沢川の左股を遡り、途中からヤモウ尾根の斜面に取り付いて尾根筋の855m地点に上がり、ヤモウ尾根の尾根筋を登って1080mから右手の斜面に入ってヌタに上がり、日陰道或いは日向道で大ダワに向かうのが小菅大菩薩の道であった時代があったと考える。横切る斜面が通して急だが距離の短い日向道が新しく、距離は長いが急斜面の横切りの少ない日陰道がより古い道であったと考える。日陰道の大マテイ山北西側は斜面が多少急なので、ヌタから入った日陰道で大マテイ山東鞍部から尾根筋で大マテイ山山頂を通過して西の尾根筋を下り山口尾根の頭から大ダワに下りた時代もあったのでないかと考える。
この田元からの道はしかし、小菅の中心地である川久保からは今の道より遠回りになるので武蔵方面からの甲州道中としてであって、川久保が発着の運行は今の道が使われていたのでないかと思う。
参考文献
岩科小一郎,大菩薩連嶺,朋文堂,1959.
山梨県教育委員会文化課,山梨県歴史の道調査報告書 第9集 青梅街道,山梨県教育委員会,1986.
守重保作,小菅村郷土小誌,小菅村,1983.
松浦隆康,バリエーションハイキング,新ハイキング社,2012.
中村文明,多摩川源流部の淵・滝・沢・尾根等の地名とその由来に関する調査・研究,とうきゅう環境浄化財団,2003.(2025年11月9日閲覧)
小菅村教育委員会,小菅村誌,小菅村教育委員会,2022.
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