ヒクタ峰(1083m)
定天III峰(1114m)

 ヒクタ峰1)は白井岳と定天III峰にはさまれた1083mの山。ヒクタ峰から西に流れる沢がヒクタ沢1)2)3)(白井小屋出合の沢)と呼ばれ、この源にあることからヒクタ峰と呼ばれているのだろうか。ヒクタとは人の苗字ではないかという説をどこかで読んだような気がするが、その人の名前が漢字で書いてあったか、書いてあったとしたら何と言うフルネームだったのか思い出せない。無意根山方向から眺めるとそれほど高くないものの、三角錐の姿を指呼することが出来る。

 定天III峰は定山渓天狗岳の第3ピークで遠方からはII峰とともども崖に囲まれたテーブル状をなして見える。定山渓天狗岳は通称を「定天」と呼ばれ、集塊岩の山で花の多い山である。一番高く、尖っているI峰には登山道がある。雪が融けてなくなったら崖に囲まれたII峰、III峰のテーブルの上は殆ど根曲がり竹のブッシュであろうが、その崖には盗掘によってI峰では見られなくなってしまったというアツモリソウをはじめ、人知れず多くの花が咲いていることを想像しても良いかもしれない。


概念図 道道一号線(小樽定山渓線)が小樽内川の右岸に渡る399高点の林道入り口に車を停めて、向かって右側の滑沢林道に入る。朝方の黄砂と黄砂混じりの雨は止んで、空気はすっきりしていた。

定天II,III峰
三角点「滑沢」付近から見た
定天II,III峰

 入ってすぐの右側に桂の巨木があって、根元には鳥居が掛けてある(滑沢の読み方は「なめりさわ」だろうか、「すべりさわ」だろうか)。林道は入り口からしばらく残雪だが、橋で滑沢を渡ると溶けてなくなっていたり、残っていたり半々だった。道一面に雪解け水が流れていた。

 460mあたりで沢から離れ、Vターンで右の斜面をトラバースして上がっていく道に入る。この林道の法面の崩壊地にはよくカタクリが咲いていて見事であった。ギョウジャニンニクの新芽も多く見かけた。

 林道は尾根の先からは殆ど水平なので尾根の先端から作業道を伝って尾根上を上がった。そのうち作業道は不明瞭になるが、そこまでには残雪が十分だろう。しかし、細い木ばかりの雑木林だ。

 760m辺りの等高線の撓んでいる所は平坦地でテントに適当と見た。この辺りはスキーの出来そうな斜面も少しある。雑木が多いが一ヶ所、すっきり定天のまがまがしい姿が眺められる所がある。三角点「滑沢」から鞍部まではやや狭くてかなりヤブも出ていて、それでいて雪が十分あっても多分ヤブなところだがツボ足なら問題あるまい。

 ヒクタ峰への最後の斜面は広く、次第に景色が雄大になり丸いドームのような白井岳が見えてくるとすぐ山頂である。晴れていたが強い南西風で余市岳や無意根山の上空はどす黒く曇っていた。程ほどに広い山頂である。しかし、山頂に上がってみると南西の双耳峰をなしている岩峰の方が高そうに見えるので行ってみることにした。

 風が強くて、参ってしまった。水平に突き出した岩もあった。この稜線はハイマツで覆われた岩峰が並び、かなりのヤブ漕ぎである。最高峰と思しき所は人の背丈ほどの露岩の頭で恐ろしくて立つことは出来なかったので、目が岩より上で手で触って登頂ということにした。

 ヒクタから定天III峰との最低鞍部付近までは快適に歩ける。最低鞍部の風の当たらない所で昼食にした。

 最低鞍部から先は急にやせてきて、小樽内側は雪に亀裂が入り、雪堤も細くなり、傾斜も加わり、雪の上が歩きにくいので雪が切れて地面の出た稜線のヤブを歩く。雪が切れたばかりのようなところでも、沢山キトピロの芽が出ていた。千古不摘のギョウジャニンニクといった感じだ。920m付近で西からの、よりはっきりした支尾根と合流すると少し歩きやすくなるが、更に傾斜は加わっていく。

 地形図の標高1000mの等高線の囲むコブは岩頭である。右からよけて急斜面をキックステップで登った。

手前ヒクタ峰、奥は白井岳
定天III峰から
左「白井岳」、右「ヒクタ峰」

 ヒクタ峰からの観察で、この日最大の難所と思われるこの1000m強のコブから東北東にのびる尾根への下降部分を偵察して、どうやら下りられそうだということで一安心して定天III峰最後の登りに入った。もう心配な所はなくダケカンバの大木の多い、広い斜面を登っていく。定天III峰は遠くから見た感じでは広い平らなテーブル状の山のようだが、実際行ってみると破れかけた洋傘のイメージだった。広い。夏道で登られるI峰からはII、III峰が邪魔になってすっきりとヒクタ峰、白井岳は眺められないので珍しい眺望だ。ヒクタ峰は岩峰を廻らした荒々しい山だった。

 定天II峰はIII峰まで登れば、はじめから行くつもりならそれほど難しくなく行けそうに思われる。II峰とIII峰の間は吊尾根で、II峰の斜面の入り口も、それほど急ではなさそうだ。III峰側は問題ない。しかし、今回はあまり時間がなかったことと、風が強くて雪も降ってきたことのほかに遠い未来、また登りたくなった時のモチベーションの上乗せの為に取っておくことにした。

III峰から見たI,II峰
定天II,I峰
南側

 下山は、1000m強のコブの根元のトラバースが、短い距離だがちょっと恐い。雪付きがやや少ない。トラバースが終わっても900m辺りまであまり掴むもののない雪稜の上で気が抜けない。登りだったらあまり問題ないと思われる。下の方はまた、やせたヤブになる。その後、傾斜が緩むと広くなる。

 地図上では尾根の北斜面上に道があり、ヒクタ峰からも見えていたが、尾根上からはイマイチ確認できないのでしばらく平らな尾根上をそのまま歩いた。

 道のある、南に派生する支尾根に下りて途中で道跡に合流した。道は平らな所を提供してくれてはいるが、かなり木が生えている。スキーでスルスルと下りられそうな状態とは思えない。道はところどころ分岐したり、S字カーブを切ったりで紛らわしいが、尾根の高い所を登るようにコースを取ればそれほど問題ないと思われる。


滑沢支流の大滝

 この尾根上から滑沢の対岸に、80mはあろうという大きな長い滝が見られた。ヒクタ峰から崖記号に落ちている沢だ。「白帯」といった感じであった。増水期だから見応えがあるのだろうが。

 道は尾根の取り付き、地図上の三股で、わかりにくいS字になっており、一部が一番南の沢にかかっていて、道なりだと高い崖に囲まれた沢の中を10mほどだが歩くことになる。無理してでも尾根の上を這い上がった方が濡れないし安全かもしれない。

 この道は滑沢の対岸に渡るのに橋がなかった。飛び石で何とか渡ったが、そこより下流の林道も水浸しであったことから、この時期なら長靴持参が良かったかもしれない。少し歩くと、はじめのV字ターンのところで元の道に出会う。

 定天III峰へは、使う所は1000m強のコブのトラバースに限られるが、ピッケルはあった方が良いだろう。スキーならそのままトラバースで通過できるかもしれない。


★山名考(定山渓天狗岳)

 国土地理院の地形図では「天狗山」だが、「定山渓天狗岳」と聞くことが多い気がする。国土地理院の地形図でも下手にあって山容の似た小振りの山が「小天狗岳」とあるので、天狗山でも天狗岳でもどちらでも良いのだと思う。天狗が居そうな山容ではある。

 松浦武四郎の安政5(1858)年の記録にあるシユマノホリは定山渓天狗岳のことのようである。現在の中山峠付近で喜茂別川筋から豊平川筋へ山越えするところで「子(北)の方にシユマノホリ等露れたり」とある。アイヌ語のsuma nupuri[岩・山]と言うことと思われる。

 明治24(1891)年の永田地名解は、「Kitu ush nupuri キト゜ ウシュ ヌプリ 韮山(ニラヤマ) 満山皆韮故ニ名ク 俚人天狗山ト云フ、又伊勢鉢山、摺鉢山トモ云フ 其形似ニ名クルナリ」とある。

 ギョウジャニンニクは多かったが、ギョウジャニンニクを韮と言いきってしまうのは問題があるように思われる。ギョウジャニンニクはアイヌ語でkitoだが、遠目に見て山にギョウジャニンニクが生えているのが見えたりはしない。奥地で崖が多く危険なこの山を、札幌近郊なら他でも採れるギョウジャニンニクがある山と覚えておく必要はあっただろうか。

 定山渓天狗岳が併流する小樽内川と白井川の股の間にあることを言った、キトウシヌプリとはペタウヌプリpetaw us nupuri[川の二股・につく・山]、或いは〔petaw us -i〕 nupuri[川の二股・につく・もの(処/山)・(の)山]の転訛でなかったかと考える。キトウシ等の名は道内の他にも見られるが、他の場所については検討していない。

 伊勢鉢という鉢が昔は使われていたのか。古語辞典等に見ていない。定山渓天狗岳は円錐を思わせる山容だが、伏せた摺鉢に例えるには鋭過ぎるような気もする。伊勢鉢の付く山の名は地形図にある木古内町の他に雷電峠の西方1100mの、687.2mの三角点のある高まりの名で松浦武四郎の安政3年の記録に「イセハチノホリ」があった。そこから雷電海岸に下ったセバチ鼻はイセバチの語頭のイの落ちたもので、松浦武四郎はイセバチはアイヌ語のエショパケの訛りだろうと推測している。エショパケはpes pake[水際の崖・の頭]で、そこが崖の海岸の先端と言うことだが、、松浦武四郎がアイヌ語でエショパケも聞きながらアイヌ語のイセバチノボリのイセバチはエショパケの訛りだろうとの推測には疑問が残る。この山は海上から伏せた摺鉢のように見えそうなのが地形図から見てとれるが、木古内町の伊勢鉢山は伏せた鉢に見えるのかよく分からない。だが、アイヌ語で山を指すnupuriの付いたイセハチノホリのイセバチが、日本語の伊勢鉢とも考えにくい。定山渓天狗岳や木古内町の伊勢鉢山が水際の崖の頭に位置すると言う事も無さそうである。

 渡辺隆(2013)は松浦武四郎の安政3年の記録の「シュマサンの山」を天狗山/シュマノホリと同一としているが、今の小樽市街地の手宮仲川がシュマサンで小樽商科大学の上の小田観蛍銀河碑のある山か、峰続きでより目立つ小樽天狗山がシュマサンの山で、定山渓の天狗山とは無関係と思われる。松浦武四郎の安政3年の記録にはシユマサンが「少しの岩のサキ有」とあり、浄応寺の坂のある岩尾根が海に突き出て、その横で落ちる手宮仲川がアイヌ語のsuma sam[岩・の傍]ということであったと思う。小樽天狗山は手宮仲川の流域に接していないが、有幌にあったヲタルナイ運上屋元に付いて「後ろにはシユマサンを帯びて家居す」ともあり、他にそれらしき小樽天狗山を指したと思われる山も出てこないので、小樽天狗山のアイヌ語での呼び方がシュマサンの山と言った感じであったと考えておく。塩谷から稲穂峠を越えて下るシュマサンがルートとして重要であったからシュマサンの名が目立つ山の名となったか。

 クロカ子山/黒金山ともされたという。剥き出しの岩崖の「くら(ー)・が(助詞)・ね(嶺)」か、T峰とU峰、或いはU峰とV峰との明瞭な鞍部のある山と言うことの「くら(鞍)・が(助詞)・ね(嶺)」の転訛が「くろがね」でないかと考えてみる。

参考文献
1)橋場滋・宮沢醇,札幌近郊の山,日本登山大系1 北海道・東北の山,柏瀬祐之・岩崎元郎・小泉弘,白水社,1997.
2)札幌山岳クラブ,北海道の山々(マウンテンガイドブックシリーズ39),朋文堂,1960.
3)一原有徳,北海道の山(アルパイン・ガイド11),山と渓谷社,1962.
4)松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
5)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
6)永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
7)渡辺隆,山の履歴簿 第1巻,北海道出版企画センター,2013.
8)松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 上,北海道出版企画センター,1978.



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(2002年4月24日上梓 2002年10月13日修正 2003年3月30日滑沢支流の大滝写真挿入 2020年5月1日山名考追加)