ピシカチナイ山広域地図山名考

ピシカチナイ山

 山の西側に下る十勝川支流ピシカチナイ川の源頭の山といった意味合いである。


ピシカチナイ川落合附近の地図

 国土地理院の地形図では三角点「菱勝内山(ピシカチナイザン)」のあるピークに山名を付しているが、山の最高点は、その200m程南西の岩場を廻らせた地点であることが等高線から分かる。最高点の標高は三角点「菱勝内山」の1308.2mに対して、1310mを超えている。

 川の名のピシカチナイは松浦武四郎の安政5年の聞き書きに「ビシカチンナイ」とある。明治24年の輯製20万図には現在のピシカチナイ山と思しき位置に「ヒシカチンナイ山」とある。明治27年の北海道実測切図(道庁20万図)では現在のピシカチナイ川と思しき位置に「ピシュカチンナイ」と書かれ、山の名「ピシカチンナイ山」が見られる。ピシカチナイ山南東の然別川支流ピシカチナイ沢は松浦武四郎のシカリヘツ筋の聞き書きなどに見当たらず、明治の地図にもその名が無く、後年にピシカチナイ山の名から付けられたもので無いかと思われる。

 ピシカチナイ川の吐合のすぐ十勝川下流左岸に大きな水際の崖(pes)がある。「ピシカ」は pes ka[水際の崖・の上]ではなかろうかと考えてみた。その水際の崖の上からピシカチナイ川落ち口へ長い尾根が一本下りてきている。十勝川下流側から来てピシカチナイ川はその尾根の後ろに入っていくように見えそうである。ピシカチンナイはそのことを言った pes ka tu un nay[水際の崖・の上・の山の走り根・に入る・河谷]ではなかったかと考えてみた。或は左の図の tu の、等高線の間隔の揃ったより末端の標高440mより下の部分のみを tu と考えて pes ka o〔tu un nay〕[水際の崖・の上・にある・山の走り根・にある・河谷]かと考えてみた。

 輯製20万図には十勝川左岸の叙上 pes の下手と思しき位置にポンヒシカチンナイとあり、今のピシカチナイ川と思しき位置に「ポンヒワチンナイ」とある、道庁20万図では今のピシカチナイ川の位置にピシュカチンナイと、叙上 pes の下手の十勝川左岸支流にポンピシュカチンナイと名が振られる。この pes 下手の沢の落ち口の更に下手の十勝川左岸に小さな水際の崖が今の地形図に描かれるが、この沢の周囲に tu と呼べそうな地形を見出せない。ポンはアイヌ語の pon[小さい]で、ポンピシュカチンナイはポンペカトゥンナィで叙上 pes と白雲橋の間の水があるのかどうかも分からない小さな谷のことだったのではないかと考えてみた。

 だが、以上の考え方はすごく回りくどい気がする。地名にして呼ぶならもっと簡潔であるべきのような気がする。tu un nayという地名が他にあるのかと問われても思いつかない。また、tu と呼ばれるものがあったと考えたが、トゥの音が急言(?)されることで ci チになるのかどうかも怪しい。

 pes kot nay[水際の崖・についている・河谷]かと考えてもみたが、ピシカチナイ川落ち口から崖まで800m以上の距離があり、離れ過ぎている気がする。pes koci ne -i[水際の崖・の窪み・である・もの]なら道庁20万図のポンpシュカチンナイは何とか該当するかも知れないが、古い記録に「ン」が入っていることを説明できないし、pon を除いてもピシカチナイ川を指すことは出来ない。

 pes ko- ciwnu -i[水際の崖・に向かって・流れ出る・もの]かとも考えてみた。だが、ピシカチナイ落ち口と水際の崖は800mほど離れているし、向かい合ってもいない。

 この辺りの十勝川は支流の落ち口を含めて地形の変化に乏しい。その中での大きな水際の崖と、それに一番近い相応の支流がピシカチナイ川である。

 永久保秀二郎の「アイヌ語雑録」に、「カッ」という音で「辺(へん)」と和訳があるという。辺(へん)以上に説明がないのでよく分からないが、三角形などを為す直線の「辺」ではなく、「そこらへん」の「辺」と考えて、所属形として kaci を推測して pes kaci un nay[水際の崖・の辺・につく・河谷]と考えるとピシカチンナイやピシカチナイの音に近く、シンプルにピシカチナイ川やポンピシュカチンナイと思われる谷の場所を表現できる気がした。kat[かっこう;有様]で所属形が katu であるのはアイヌ語辞典にあるが、松浦武四郎の手控にアイヌの人からの聞き取りで「どこそこ(の)カチ」と書かれているのをたまに見る。カチは「水源」とか「源なり」とされるが、そうとも言い切れないものもあるように思われる。その川の水源の辺りということで結果として源なのだと言っていたこともありそうである。アイヌ語では母音が連続するとどちらかが追い出されることがあるので、un の u が追い出されてピシカチンナイ、更に同種の子音が並ぶと一つになる事があるのでンナイがナイになってピシカチナイとなることが考えられる。だが、800mの距離が「そこらへん」と言えるのか、「そこらへん」という曖昧な言い方では、往来して実踏するアイヌの人たちにとっては場所を特定できない気がする。

 南十勝の歴船川の名はアイヌ語の pe rupne -i[水・大きい・もの(川)]でないかとされるが、ヘロチナイとかペロツナイとの記録がある。アイヌ語の carpar はどちらも口の意で、アイヌ語では c/p に相通する場合があるようである。pes の所の上手の所にある河谷ということの、pes -ke pe un nay[水際の崖・の所・の上(かみ)・にある・河谷]と考えるとピシカチンナイやピシカチナイに変化することがありそうで、kaci を用いるよりはっきりとピシカチナイ川の位置を表せそうである。pe の和訳をイタリックとしたのは辞典等に見ていないからである。「川上」のような意味は見ており、pen- のように pe を要素として含みながら川の上に限定されない上(かみ)の意を含むことばがあることから位置名詞として想定した。道庁20万図のポンピシュカチンナイの位置は説明できないが、上で考えた白雲橋のすぐ下手の小流なら説明できる。

 地形図上だけの検討であり、この水際の崖がどれほどのもので、ランドマーク足り得るのかどうか、また、白雲橋のすぐ下手に名付けるほどの小流がありうるのか、現地へ行って確認する必要はあると思っている。国土地理院の航空写真や衛星写真(GoogleMap)を見てもどうも判然としない。地名アイヌ語小辞典で「崖;とくに水際の崖」などとされるアイヌ語の pes だが、アイヌ語沙流方言辞典では「海岸の砂浜(otanikor)より上の、山になっている所(段丘(?))の斜面」とある。それほど高くなく、岩崖が大して現れていなくても斜面が周りと比べて立って横に続いていたら pes と言えるのではないかと思っている。

参考文献
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
陸地測量部,幕末・明治日本国勢地図,柏書房,1983.
北海道庁地理課,北海道実測切図「夕張」図幅,北海道庁,1894.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集5 午手控1,北海道出版企画センター,2007.
松浦武四郎,秋葉實,武四郎蝦夷地紀行,北海道出版企画センター,1988.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
中村一枝,永久保秀二郎の『アイヌ語雑録』をひもとく,寿郎社,2014.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集3 辰手控,北海道出版企画センター,2001.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集4 巳手控,北海道出版企画センター,2004.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1982.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.



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(2014年3月2日上梓 2017年4月9日改訂 2023年3月11日改訂)