八剣山
小金湯付近から

山名考

八剣山(観音岩山)


午手控の
ウハトラシ図模写

八剣山の
稜線

 松浦武四郎の安政5年の蝦夷地調査の手控(フィールドノート)に、サッポロのアイヌの人、エリモの言葉として「ウハトラシ」と、その名を説明する模式的な図と、「山也 如此子を抱きし如く立也。上が大きく中が中、下が小さし」と説明がある。幕府への復命書として書かれた日誌では「ウバトラシ」とある。日誌の解読で秋葉實(1985)が観音岩山のこととしている。松浦武四郎はこの記録の数日前に八剣山の麓を歩いているが、春先の後に中山峠と呼ばれる山越え(現在の中山峠の場所ではなさそうだがその近傍)と残雪の中でのニセイケ(nisey -ke[崖・の所])の高巻きの連続する上流域の豊平川に沿った歩行で、前日は午前中の内から定山渓温泉と名が付く前の定山渓温泉で露営して休んだものの、翌日も豊平川筋の五か所ほどのニセイケの難所通過が続いて相当疲れていたのか、この山の実際のスケッチは無いようだ。日誌でのウバトラシの説明も実際に見た印象ではなく、殆ど手控の模式図と、エリモの説明からのように思われる。アイヌの人々はイナゥをこの山に捧げたと言う。

 記録のウバトラシは、剣が幾つも横一列に並んで次第に高まるように山頂を為す八剣山の山容を指したアイヌ語の、ウパトゥラシ u- pa turasi -i[互い・の上手(かみて)・に沿って上の方へ行く・もの(山)]ということと思われる。或いは一つながりの合成自動詞として名詞的用法で u-pa-turasi[互いの上手(かみて)に沿って上の方へ行くこと(山)]か。

 「五剣山」とも「七剣山」ともいわれたと言う。剣を何本も立て連ねたような山容ではある。天空に聳える巌山ということで天巌山とも呼ばれたと言う。観音岩山の名は山中に観音を祀ってある岩山であるところからというが、山中で観音堂や石仏を見たことが無い。また、「定鉄マナスル」とも呼ばれたという。定山渓鉄道沿線のマナスルということだろう。

 五剣山だったのが「戦後のインフレのためか」八剣山になったなどとされるが、稜線の尖峰の数は五とも八とも七とも数え難いものがある。「ほき(崖)・の(助詞)・せり(山)」の、北東北出身者のような古風な発音の「fokinoseri」の訛ったのを聞いたのが「ごけんさん」、「ほき」と同根で強調して促音を入れたと思われる、「はっけ(岨)・の(助詞)・せり(山)」の訛ったのを聞いたのが「はっけんさん」と考える。七剣山は南北に薄くギザギザに荒れた押しつぶされたような稜線が続く「ひしげ(拉)・の(助詞)・せり(山)」ということが「ひちけんさん」と聞かれたということではなかったか。五剣山については「がけ(崖)・の・せり」かとも考えてみる。

 観音岩山というのは、観音が祀られたとか、岩が観音のようだということではなく、剥き出しの岩の斜面が垂直に立ち上がっているように見える「かね(矩)・を(峰)・の(助詞)・いわやま(岩山)」か「かね(矩)・の(助詞)・いわやま(岩山)」の「かね(矩)」を強調して撥音を入れた「かんねのいわやま」が、「かんのんいわやま」の元と考える。天巌山というのは垂直の岩肌が湧き上がるように露出している「たぎり(滾)・せり(山)」の強調して撥音を入れた「たんぎりせり」の訛ったのが「てんげんさん」ではなかったか。

 剣竜山ともされたという。剣竜類のステゴサウルスの背中のような山と言うことだったのだと思う。

参考文献
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集5 午手控1,北海道出版企画センター,2007.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985..
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
札幌市教育委員会文化資料室,札幌地名考(さっぽろ文庫1),更科源蔵,北海道新聞社,1977.
札幌市教育委員会文化資料室,札幌の山々(さっぽろ文庫48),北海道新聞社,1989.
朝比奈英三・鮫島惇一郎,札幌から見える山,北海道大学図書刊行会,1989.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
渡辺隆,山の履歴簿 第1巻 北海道南西部,北海道出版企画センター,2013.



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(2013年3月31日上梓 2019年9月26日改訂)