山名考

ルベツネ山

 村上啓司(1979)は、コイカクシュシビチャリ川とサッシビチャリ川との合流部にもう一つの無名沢が合流して三股となっており、北海道実測切図(通称道庁20万図)がその三股に「レペト゜子ー」と記していることから、これが変形してルベツネになったようだとし、「レ(三の)プトゥ(川口)ネ(である)イ(所)」で、三股の意味であったとする。また、その少し下流のコイカクシュシビチャリとコイポクシュシビチャリの二股に、道庁20万図にトペト゜子ー(ママ)とあるのは「ト゜(二の)プト(川口)ネ(である)イ(所)」で、二股のことであるとする。村上啓司(1979)の言う「無名沢」は2017年現在の地形図では「ベニカル沢」と言う名が記されている。

 榊原正文(2004)はルベツネ山の名について「恐らく、“ルペシナイru-pes-nay(道・(それに沿って)下る・河谷)”に由来すると考えられるが、この河谷がどこにあったのかは現在のところ不明」とする。また、道庁20万図でのレペト子ー(ママ)は「レペトゥニ re-pet-un-i 3つの・川・ある・もの」で、村上啓司(1979)と同じ三股の合流点のことだとしている。その少し下流の二股の「ト゜ペト゜子ー」については「トゥペトゥニ tu-pet-un-i 二つの・川・ある・もの(合流点)」としている。


ルベツネ山・サッシビチャリ川周辺の地図

 大正4(1915)年のルベツネ山山頂に置かれる三等三角点「留辺津根(ルベツ子)」の選点時の点の記を見ると、東川(静内川本流)を二股で「シユウンベツ」と分けて右股に入り、その上手の二股で左股の「ルベツ子川」に入り、途中から尾根に取り付くのが三角点までの順路とされている。「シユウンベツ」はsumの方のコイボクシュシビチャリ川のことで、現在のコイカクシュシビチャリ川〜サッシビチャリ川が「ルベツネ川」と言うことと思われる。点の記でのルベツ子川本流は三角点「留辺津根」の置かれた高まりを東に見て更に北方へ遡っているので、ルベツネ山の名はルベツネ川の水源の山と言うことではなく、三角点の名がそのまま山名になったものと思われる。初期の学生山岳部や、営林署の林相図から山名とする時に見られる手法である。三角点「留辺津根」の名は通ってきた中で一番最後の地名であったルベツネ川の名に因んだと言うことだと思われる。

 「ルベツネ」には、記録の見られない「ルペナィ」より、「レペトゥネー」の方が音が似ている気がする。三角点の名は地名を記録する為のものではないので地名として捉えるとおかしな事になるものがあるが、順路は通称でも地名に基づいていなくては役に立たない。「ルベツネ(子)」という川の名があったと言うことは、よく似た音のレペト゜子ーは三股の名では無かったのではないかと思われる。ルベツネ川の名がその三股のことから来ているとすると、現在のベニカル沢やペテガリ沢(現在のコイカクシュシビチャリ川本流)は何故ルベツネという名では無いのかと言うことになる。また、レペト゜子ーの名の振られた辺りは現在は東の沢ダム湖の底だが、手元の昭和54年発行の地形図で見ると、ベニカル沢落ち口はサッシビチャリ川落ち口とは200mほど離れており、その間の細い川筋の両岸には岩場のマークが続いていて、三股と見なせたのかどうか微妙な感じがする。三等三角点「留辺津根(ルベツ子)」と同じく大正4(1915)年のシビチャリ山山頂に置かれる三等三角点「染退山」の点の記の順路では「『ルベツ子』川二又ニ至リ更ニ『ルベツ子』川ヲ溯行」と書かれていて、ルベツネ川落ち口は二股の扱いである。また、ト゜ペト゜子ーの場所は「トベツ子」と書かれている。

 ルベツネ川とされた現在のサッシビチャリ川は源頭の1599峰(現在は標高1600mとされる)に向かっては日高山脈中部日高側の河川の中では遡行が容易だと聞いている。「北海道の山と谷」では難易度「!*」である。道として使える、ru putu ne -i[道・の出口・である・もの(川)]で、レペトゥネー、ルベツネはその転訛であったと考える。

 どこからの道の出口か。1599峰の向こう側は屈曲していて距離が嵩み、通行困難な区間も続くヤオロマップ川(歴舟川本流)流域である。松浦武四郎は安政5年にリイセナイ(ピセナイ沢)まで静内川を遡行し、それより上流の地名についてアイヌの人に聞き取り、「トヘツ子イ 是二股也。・・・是よりして右の方 サツシヒチヤリ ・・・其名義は干たシヒチヤリと云儀也。・・・源はサツナイの方え行とかや。・・・案内・・・の申口のまヽを志るし置もの也。」としている。サッシビチャリ川源頭は札内川源頭に接していないが、静内川と札内川を連絡するルートであったことが考えられる。静内川でもコイボクシュシビチャリ川は札内川源頭と接しているが通行困難な区間が続き、且つ遠回りとなる。サツナイの方へも行くらしいのに「出口」というのは、十勝側にいたアイヌの人が名づけたかと考えてみる。


札内川〜静内川山越えルート推定

 ルベツネ川の名を道の出口であるru putu ne -iと考えたので、札内川の方を入口として二つのルートを考えてみる。但し、机上での仮定である。榊原正文(2004)はサッシビチャリ川からヤオロマップ川に下り札内川支流トムラウシ沢へ抜けるのがルートではなかったかとするが、地形図を見る限り、ヤオロマップ川からトムラウシ沢へ抜ける沢筋には中程に等高線が谷線を殆ど形成せずに標高差150mに渡って密集している部分があり、溯行も下降も相当困難なのではないかと思われる。当該箇所は航空写真(国土地理院)や衛星写真(GoogleEarth)で見ても岩盤が大きく露出しているのが見える。この沢筋は下流で札内川支流一の沢に抜ける沢筋も分岐しているが、こちらの源頭もそれなりに厳しそうである。トムラウシ沢源頭からの下降のみを尾根に頼るとしても屈曲して距離が嵩み、河原が続く札内川に比べると、そう楽でもないヤオロマップ川に長い距離を与けるのは得策とは思えない。

 以前、札内川二ノ沢からヤオロマップ川に出て1599峰に登ってみることを考えたが、伝え聞く所によると1599峰北東面直登沢も北西面直登沢も相当困難であるらしい。二ノ沢を越えた南側の沢もヤオロマップ川579mへの落ち口の300mほど奥の滝場の通行が難しいと聞いている。そこで、二ノ沢の乗越から500mほど西の1292m峰に標高差150mほどを上がり、南に延びる尾根からヤオロマップ川に下りると考えてみる。二ノ沢から1292m峰まで直登しても良い。下りのヤブ尾根はそれほど困難ではない。ヤオロマップ川は中二股(標高540m付近)から上はそれほど困難では無さそうで、上二股からヤオロマップ左沢に入ればヤブも薄くヤオロマップ岳に容易に上がれるようだ。ヤオロマップ岳からは南峰を経て南に延びる尾根を下ってサッシビチャリ川に下りる。二度の稜線越えがあり、ヤオロマップ川とサッシビチャリ川へ急傾斜の尾根末端で確実に安全に下り立てるのかに机上での検討では疑問が残るが、ヤブ尾根登りはごく短く時間的には最短ルートとなりそうである。ヤオロマップ岳の西の通称リンゴ畑(1569m)の南東面沢も通行が楽らしいので、そこからサッシビチャリ川へ下りるかとも考えてみるが、山上での視界に一望できる範囲で遠回りとなるので使いたくない気がすると思う。ヤオロマップ左沢から直接リンゴ畑へ上がるのは、ヤオロマップ岳に上がるのに比べて等高線の密度が倍になるので相当困難と思われる。

 もう一つはコイカクシュサツナイ川からコイカクシュサツナイ岳に上がり、日高山脈主稜線を南下してヤオロマップ岳に至るものである。コイカクシュサツナイ川上二股からコイカクシュサツナイ岳までの急峻で長大な尾根登りが、残雪期はともかく刈り分けなどされなかった当時に使われたのかどうかという気もするが、コイカクシュサツナイ岳の登路として積雪期にさほど差がないというのに夏尾根と冬尾根の区分があるのは、厳冬期はともかく昔から年間を通じて使われたルートだった名残では無いかと考えてみる。コイカクシュサツナイ川の夏尾根・冬尾根の取り付きより上流の溯行は相当難しいようである。雪の多い時期はヤオロマップ川には入らず、冬尾根から登って、ヤオロマップ岳まで主稜線を南下し、サッシビチャリ川に下りることなく1839峰とシビチャリ山を経てサッシビチャリ川の谷の広がる落ち口付近まで尾根を辿るのも良いかと思われる。

 静内川の方から札内川へ抜けるのは、リンゴ畑に上がり主稜線を少し遠回りする形でコイカクシュサツナイ岳まで辿り、夏尾根なり冬尾根なりでコイカクシュサツナイ川に下りたかと考えてみる。ヤオロマップ岳に直接や1839峰との鞍部に上がるサッシビチャリ支流はどれも難しいという。また、1599峰やリンゴ畑から尾根伝いにヤオロマップ川へ下りたとしても、札内川への尾根までヤブ漕ぎの少ない沢筋で容易に登れる気がしない(私が断念した札内川二ノ沢から沢筋でロープ等を使わずにヤオロマップ川に下りたという2016年8月のブログ記事を見かけたので、二ノ沢へなら越えられるのかもしれない)。冬期はサッシビチャリ川の谷の狭まる辺りから尾根に取り付き、シビチャリ山と1839峰を経由して稜線伝いでコイカクシュサツナイ岳冬尾根に下ったかと考えてみる。

 松浦武四郎が安政5年の聞き取りで現在のコイカクシュシビチャリ川をサツシヒチヤリという名でサツナイ方面へ行くらしいとしたことは先に述べた。「干たシヒチヤリ」としているが、ダム湖が作られるほどの細く深く谷を穿った山奥の大きな川が乾いているはずはない。榊原正文(2004)はサッシビチャリのサッの部分を「サッナィ オマ」の略ではないかとしているが、少し略し過ぎのように思われる。サッシビチャリの名は日高側のアイヌの人が名づけた、チャッシビチャリcar-SIPICAR[口の・静内川]ではなかったかと考える(知里真志保(1956)はr がs の前でs になる転化を地域を限らず挙げているが、田村すず子(1988)は北海道東部の一部でなるという。)。

 松浦武四郎が聞いた時はサツシヒチヤリの静内川本流(コイボクシュシビチャリ川)への落ち口がトヘツ子イであった。道庁20万図ではト゜ペト゜子ーである。アイヌ語のr は人によってさまざまな発音があり、破裂に近いd に近いr を持つ人も多いという。トヘツネイ/ト゜ペト゜ネーもru putu ne -iのドゥペトゥネイかドゥプトゥネイを経た転訛であり、名づけられた時期が違う(恐らく古い)為に別の訛り方をしてレペト゜ネー/ルベツネと並立したと考える。トゥペトゥネイから現在のサッシビチャリ川落ち口までの区間が本流に準ずるコイカクシュシビチャリ川とする意識が強くなり、支流扱いのレペト゜ネー/ルベツネがそれより上の区間を指すことになったので、下流側の落ち口付近のみがトヘツネイ/ト゜ペト゜ネーとなったと考える。

参考文献
村上啓司,日高の山名について,写真集 日高山脈,山口透・鮫島惇一郎・村本輝夫,北海道撮影社,1979.
北海道庁地理課,北海道実測切図「浦河」図幅,北海道庁,1893.
榊原正文,データベースアイヌ語地名4 日高T 静内町,北海道出版企画センター,2004.
山田秀三,アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集1,草風館,1982.
北海道の山と谷再刊委員会,北海道の山と谷 下,北海道撮影社,1999.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.
知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
田村すず子,アイヌ語,言語学大辞典 第1巻,亀井孝・河野六郎・千野栄一,三省堂,1988.



トップページへ

 資料室へ 

 山名考へ 
(2017年5月7日上梓)