山名考

ピセナイ山

 山の西側のピセナイ沢に基づく山名である。

 ピセナイ沢は松浦武四郎の安政5年の記録に「リイセナイ」とあり、「其名義は本名ヒイセナイにして、むかし此処に土人鹿取り居て、鹿の糞袋を取り、それに油を入置しに、跡にて犬が喰てしまゐしと云によつて号る成」と説明されている。

 永田方正(1891)はリセィナイの訳を「?」とし、「此処断岸絶壁登ル能ハズ恐クハ『ニセイナイ』ノ訛ナランナレドモ土人ハ『リセイナイ』ナリ苗ヲ抜キ取ルノ義ナリト云フ」と説明した。永田地名解はリセィナイの項の隣にピセナイ(魚腸川?)と記している。永田方正にはリイセナイとピセナイを一つの地名の記録違いとみなすことは出来ないかもしれないとの含みがあったのかもしれない。

 榊原正文(2004)は地形図上での渓谷(断崖)の分布と松浦武四郎の記した解釈の一般性の無さから永田方正のニセイナイ説を支持している。また、静内川本流に流れ込むピセナイ沢の砂礫生産量が莫大である事が現地での観察から見て取れた事から pi-us-nay(小石・群在する・河谷)も考えられるかとしている。永田の聞いた苗を抜き取る説も一般性が無い。アイヌ語の pise は魚の浮き袋や熊の膀胱や風船状にふくらんだ袋を指すと言う。「鹿の糞袋」や「魚腸」といった解釈はこれによったのだろう。

 だが、松浦武四郎の記録でリイセナイに断崖の存在が特に書かれていないのが気にかかる。航空写真(国土地理院)や衛星写真(GoogleEarth)でも砂礫の量の多さが見てとれるピセナイ沢は〔pi us -i〕o nay[小石・ある・所・にある・河谷]ではないかと考える。pi us nay かとも考えてみたが、リセイナイという音韻転倒と思われる記録があるので、pi us -i が先にあるセは訛音の開音節と考える。リイセナイとピイセナイの違いは、p は破裂音であり、r の音を破裂の強い d のように発音する人も多いと言うことで、d と相通していたのが r と捉えられたものと考える。

 ピセナイ山は、アトゥサヌプリとも言ったと言うが疑わしい。更科源蔵(1963)が静内町史でピセナイ山を「ピセナイ沢の水源にあるので、ピセナイ山と呼ぶようになったが、昔はアト゜サヌプリといった。アト゜サとは裸のことで、木の無い裸山の意。松浦地図ではアイタサノホリとなっている。」としているが、松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調図(=松浦地図)ではアイタサノホリはシビチャリ川支流のリイセナイとはかなり離れていてリイセナイの水源になっていない。静内町史(1963)の更科源蔵によるアイヌ語地名解では静内町域の地図に無いアイヌの人から聞き取ったと思しき山名が幾つも記されているが、ピセナイ山の項で松浦地図でリイセナイと結び付けられないアイタサノホリをピセナイ山の別名としてアト゜サヌプリの名の記録とみなしているのは、アイタサノホリの方からアトゥサヌプリの名が出てきたのではないかと言う疑いを拭えない。アイタサノホリ(アイタサフノホリ)は松浦地図での三石川筋最奥で静内川筋ではホカエヌタフナイ、元浦川筋ではコエホクヲシヨシナイなどの源に位置しているが、松浦武四郎の文章での三石川上二股(三石ダムのすぐ上の湖底)の右股の水源という記録を読むと鳧舞川と三石川の間の山ではないかと思う。「アイタサ」は本当にアイヌ語の atusa であったのだろうか。更に同じ静内町史の地名解の中の静内川支流セタウシの項の「松浦地図にはセタウシは沢の名で、山の名には見当たらず、アイタサノホリという山が記入されている。セタウシの奥にあり、狼が犬のさわぐように沢山いたというので、この山もセタウシ・カムイヌプリと呼んで、木幣をあげた人があったという。」と言う記述はどう考えればよいのであろうか。ピセナイ山の三石町側の斜面に笹原が広がっているのを atusa と表現したかと考えてみるも、木が全く生えていないと言うわけではない。

参考文献
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
榊原正文,データベースアイヌ語地名4 日高T静内町,北海道出版企画センター,2004.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
田村すず子,アイヌ語,言語学大辞典 第1巻,亀井孝・河野六郎・千野栄一,三省堂,1988.
金田一京助,増補 國語音韻論,刀江書院,1935.
更科源蔵,アイヌ文化,静内町史,静内町史編纂委員会,静内町役場,1963.
松浦武四郎,東西蝦夷山川地理取調図,アイヌ語地名資料集成,佐々木利和,山田秀三,草風館,1988.



トップページへ

 資料室へ 

 山名考へ 
(2014年1月26日上梓)