山名考
サマッカリヌプリ
松浦武四郎の安政5年の日誌に現在のサマッカリヌプリ北東の屈斜路湖岸の地名として「シヤマツカリ」とあり、「少しの峨々たる一ツの山有。此山峻しく辷りて上り難きが故に此名有るとかや」と説明されている。
明治28年の北海道実測切図にサマッカリヌプリ Samatkarinupuri とある。但し現在のサマッカリヌプリより1.9kmほど北の、美幌と弟子屈の境の886m峰(2014年現在、等高線からは890m以上ある事が見て取れる。896mの誤記か)に山名がある。また、現在のサマッカリヌプリの東の屈斜路湖岸にサマッカリとある。
更科源蔵(1949)は弟子屈町史でアイヌ語の「サマ(傍)チ(我々)カリ(廻る)」と解し、「急坂で通れず廻り道したところ」としている。アイヌ語 ci= は「我々が」などだが、「チ」は中相形形成の接頭辞 ci- と捉えた方が良さそうな気がする。sama ci-kari (-i)[その傍ら・を回される・(所)]と修正してみたい。
更科源蔵(1982)はサマッカリヌプリを「浜手の奥をまわっている山の意」としている。sa mak kari nupuri ということか。サマッカリヌプリ周辺に於いての「浜手の奥」というのがどの辺りに当たるのかちょっとよく分からない。サマッカリヌプリの名の前に湖岸地名としてサマッカリがあったようなのをどう捉えればよいのかも分からない。
鎌田正信(1995)はサマタ・カリ・ヌプリ(samata-kari-nupuri)[傍らを・回る・山]としている。
サマッカリヌプリの東面には屈斜路カルデラのカルデラ壁が聳え、斜面が急峻である。この急斜面を登れないので迂回する必要がある場所と言うことだったと思われる。
松浦武四郎の記録の「シヤマツカリ」の「ツ」が促音なのか、そうでないのかが問題であるが、サマタカリよりはサマチカリの方がサマツカリ/サマッカリと言う音に近いように思われる。サマツカリからサマッカリもそう遠くないように思われる。「サマッカリ」とはサマッカリヌプリ東山麓の屈斜路湖岸の一帯を急峻なカルデラ壁で登りにくいことを説明した地名であり、更科(1949)説を修正してアイヌ語の sama ci-kari (-i)[その傍ら・を回される・(所)]と考える。サマッカリヌプリとは、そのサマッカリの辺りの山というニュアンスであったと考える。サマッカリと文法的に同じ構造の黄金道路のトモチクシ(tomo ci-kus -i[その側面・を通らされる・所])もトモツクシと記されたことがあった。
参考文献
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
北海道庁地理課,北海道実測切図「屈斜路」図幅,北海道庁,1895.
更科源蔵,弟子屈町史,弟子屈町役場,1949.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
更科源蔵,アイヌ語地名解,みやま書房,1982.
鎌田正信,道東地方のアイヌ語地名 国有林とその周辺,鎌田正信,1995.
知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
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