山名考

ワイスホルン

 ヨーロッパアルプスの本家ワイスホルン Weisshorn の標高が約4500m(45×100.0)であることから1045mのこのピークがひっくり返って(45+1000)、ワイスホルンという名前になったという説を1998年に倶知安町の人に聞いた。Weiss-horn[白い・角]である。角川日本地名大辞典ではスイスの3772mのワイスホルンに似ていることからの命名と記す。3772mのワイスホルンという、標高約4500mのワイスホルンとは別のワイスホルンがヨーロッパアルプスにあるのかどうかが分からない。

 山麓に因み「小沢岳」ともいったという。

 「ワイスホルン」の命名が北大スキー部との説と、ドイツ人との説がある。昭和6年の「北海道の山岳」は「以前北大スキー部によって命名」と記している。昭和6年の北大スキー部部報には「ワイスホルン」とあるが、北大スキー部が命名したような文脈は読み取れない。昭和3年の菊地Gによる「隠れたる名勝地『神仙沼』」では「其処は何時か独逸人が来て日本のワイスホルンであるとさえ賞めはやした」としている。

 大正13年の加納一郎は「岩雄登北方の1045.8mの峰をワイスベルヒと新称する。真白な山膚がいかにも長い滑走を誘惑するように小沢村のほうに出ているからである。」とする。ドイツ語の Weiss-berg[白い・山]である。

 大正13年から昭和3年までの間に、ワイスベルヒからワイスホルンに変更される何らかの動きがあったと言うことなのだろうか。それがどこかのドイツ人が来て何か言ったのを北大スキー部員が受けたのか、北大スキー部員が独自にワイスベルヒからワイスホルンに変更したのかがよく分からない。約4500mのヨーロッパアルプスのワイスホルンのようには角と言うほど尖っていないニセコのワイスホルンは、ワイスベルヒの方が良かったような気もする。

 「小沢(こざわ)」の地名について山田秀三(1984)は「昭和29年版北海道行政区画便覧は『小沢村名の由来はサマツケナイ(横向きの沢の義)が語源で、小さき沢多きの意である』と書き、北海道駅名の起源は『サ・ルペシペ(夏越える沢道)で、安政三年村垣淡路守廻浦の際、それを夏小沢と解し、小沢と名づけたのである』と書いた。」と二つの説を記し、「この辺ではシマツケナイの水源の余市方面に山越えする沢にサクルベシベの名が残っている。とにかくそんなあたりから出た名なのであろうか。」と、曖昧にまとめているが、これは後者ではなかろうか。

 村垣淡路守範正の公務日録の、安政4年2月16日の条を見ると「新道地名甚覚兼候夷言に付、早々改候様、和語に直し為出候処、・・(中略)・・○サクルベシヘ 夏小澤と申事 小澤」とある。尤も、村垣範正は私的な日記である「千しまの枝折」では2月14日の条で「此辺の地名、夷言を改て唱よといふもおこかまし」としている。

 だが、サルペシペは、村垣範正の日録ではヘンケシヤマチケナイ(現在のシマツケナイ川)の上流の支流の扱いで、ヘニケシヤチケナイ(ママ)には「上横澤」の和語が同時に宛てられている。旧小沢村の中心地である本村はヘンケシヤマチケナイの出合で、上横澤であったはずなのに小沢となっていたのがよく分からない。サルペシペの名は後にシマツケナイ川全体の名まで拡充していたのだろうか。その辺りも山田秀三(1984)が曖昧にまとめた理由の一つでもあっただろうか。

参考文献
角川日本地名大辞典編纂委員会,角川日本地名大辞典1 北海道 上巻,角川書店,1987.
田中三晴,北海道の山岳,晴林堂,1931.
菊地G,隠れたる名勝地「神仙沼」,pp52-53,27(12),北海道林業会報,北海道林業会,1928,
天野時次郎,ニセコ連峯の地理歴史,pp21-33,3,倶知安高等学校研究紀要,北海道倶知安高等学校,1959.
小池茂,ニセコ附近の温泉と山,pp99-105,1,北大スキー部報,北海道帝国大学スキー部,1931.
加納一郎,北海道の山と雪(加納一郎著作集3),教育社,1986.
加納一郎,北海道に於ける積雪期登山,pp90-106(1-17),18(2),山岳,日本山岳会,1924.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
東京帝国大学文学部史料編纂掛,大日本古文書 幕末外国関係文書 附録之四,東京帝国大学,1926.
東京大学史料編纂所,大日本古文書 幕末外国関係文書 附録之七,東京大学,1967.



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(2015年11月5日上梓)