山名考

蝦夷松山


蝦夷松山地図

 雁皮山の南の肩の細尾根とでも言いたい所の山名である。細尾根は板のように薄く、東面は急峻に切れ落ちている。北海道地名誌は「昔蝦夷松を産した山に名づけたと思われる。」としているが、このような特徴的な地形で最高点とも言いにくい場所に付けられた山名が蝦夷松を産した故と考えるのは字面に捉われ過ぎていると思う。

 川や谷の源頭ということで、その川や谷の名をそのまま山の名とする例は多いが、蝦夷松山を源頭とする川や谷に蝦夷松沢とか蝦夷松谷という名の川や谷は見当たらない。

・まつ

 まず、後半の「まつ」について考える。

 南アルプスの大唐松山を源頭とする大唐松沢は100m近い高さの、本流の荒川右岸に続く岩壁に滝となって落ちる。

 魚沼市の唐松山を源頭とする魚野川支流の唐松沢は本流にあたる大倉又沢に落ちる直前の右岸に150mに渡って30mの高さの崖がある。


荒川支流大唐松沢の地図

大倉又川支流唐松沢の地図

 荒島岳の「もちがかべ」は尾根線上の壁のような急斜面である。

 越美山地の岐阜県と福井県の境の山上にある夜叉ヶ池の東側直下の岐阜県側の急斜面は「夜叉壁」とも「餅ヶ壁」とも呼ばれるようである。

 屋久島の方言で釣り針の先端の「もどり」を「まち(区)」という。九州南部では魚を突くヤスの「もどり」を「まち(区)」という。全国的には「まち(区)」は刀剣の刃や棟と中子との境の段になっている所をいう。

 衣服などの幅の足りない部分に補い添える布を「まち(襠)」といい、厚みを補うなどの為に加えられる。

 屋久島のネマチノクボは山裾の末端が垂直に切れ落ちて沢に落ちているのが右岸にずっと続いている谷である。ネマチのクボの断面を考えると障子尾根の斜面が斜めに下りてきて、高さが足りないから下端で岩壁になって垂直に補っているように見えるクボである。

 口永良部島の寝待の岬は、岬の両脇に野池から下りてきた山の斜面が100mの高さで切れ落ちる断崖がある。

 湯檜曽川支流マチガ沢は、湯檜曽川を遡ってきて最初に谷川岳東面の切れ落ちた断崖絶壁が見通せる沢である。

 以上より、切り立った断崖を指す、恐らく元は段差の意の「まち(区)」が「まつ」に転じうると考える。

 大唐松沢・唐松沢の「からまつ」は大きな岩の切れ落ち段差であることを言った「くら(ー)・まち(区)」の転と考える。

・えぞ


河原木蝦夷館の地図

 次に、前半の「えぞ」について考える。

 「おそごえ」とか「うそごえ」という山の尾根を越える峠道は各地にある。「おそ」や「うそ」は尾根を指す「をそ(峰背)」の転と考える。

 函館山の斜面に引っかかるようなコブであるエゾダテ山は、直線的で定高性の汐見山の尾根の斜面に、ちょうど歯並びに対する歯茎のように、土手のように貼りついてある。歯茎のことを古語で「どて(土手)」といった。

 八戸市の河原木蝦夷館は南側が低平な水田地帯で北西側が台地続き、北側は浅い谷を挟んで台地続きの、細長い丘陵上に広がる南部山健康運動公園一帯の字名である。五戸の方言で一方が台地つづきで一方は川や沢になっている所を「たて」というという。


田尻沼部蝦夷塚の地図

渡利蝦夷穴の地図

 大崎市の田尻沼部蝦夷塚は萱刈川沿いの低平な水田地帯に突き出した細長い直線的な尾根線上に登る道のある丘陵の南片面にあたる地区である。

 福島市の渡利蝦夷穴は松保から五本松への越え道の西側の尾根線を成す高台と松保側の斜面の字名である。

 以上より、細長い山や丘を指す「をそ(峰背)」の連濁した「をぞ(峰背)」が「えぞ」に転じうると考える。

 八戸市の蝦夷館は連濁した「峰背(をぞ)・だて」、大崎市の蝦夷塚は尾根伝いに南方へ丘越えする連濁した「峰背(をぞ)・坂(ざか)」、福島市の蝦夷穴は「峰背(をぞ)・塙(はなわ)」の転と考える。

・えぞまつ

 蝦夷松山の「えぞまつ」は「をぞ(峰背)・まち(区)」の転で、蝦夷松山東面の急峻な一枚斜面を指していたと考える。その急斜面の所の山ということが「えぞまつやま」であったと考える。

 全ての蝦夷の付く地名の「えぞ」という音が「峰背」と考えるわけではない。エゾアナ(蝦夷穴)と言った各地にある地名の中には、和人がよく知らぬアイヌ系の人の風習に想像を巡らせて住居跡や墓の跡と考えてエゾアナと呼んだ穴の辺りということもありうると思う。だが、エゾダテ(蝦夷館)という地名をアイヌ系の人たちの城跡に基づくと考えるのは河原木蝦夷館に限らず違うのではないかと思う。城や砦の跡は穴のように一目で分かるようなものではなく、山や丘と言った一目で分かるものの一角である。峰背ではないこともあるかもしれないが、何らかの地形を指す音の転訛でエゾとなっていると考える必要があると思う。亘理郡山元町の坂元蝦夷前は北側の台地への登り口にあたる小さな小字だが、登って越える尾根線が顕著でない。用水池の脇でもあり、用水池のある沢の名が井戸沢のようなので「ゐ(井)ど(処)」とほぼ同義の「ゐ(井)・さはめ(沢目)」の転が「えぞまえ」でないかと思う。輪島市の杉平町蝦夷穴のようにエゾアナであっても、円山の蔭の河原田川沿いの平地の丸く引っ込んだ「をぞ(峰背)・わ(曲)・ど(所)」の転でないかと後半の「アナ」も疑いたくなる例もある。

 夜叉ヶ池はほぼ稜線上に位置する池で坂内川筋と日野川筋を結ぶ峠である。越える尾根ということの「をそ(峰背)」の転が「やしゃ」で、坂内川側から登ってきて尾根を越える直下の垂直のように見える急斜面が尾根の斜面の「まち(区)」であり、「かべ(壁)」であった「まちがかべ」の転が餅ヶ壁で夜叉壁であると考える。


坂元蝦夷前の地図

杉平町蝦夷穴の地図

夜叉壁の地図

参考文献
陸地測量部,北海道仮製五万分一図「大舟峠」図幅,陸地測量部,1896.
NHK北海道本部,北海道地名誌,北海道教育評論社,1975.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
小学館国語辞典編集部,日本国語大辞典 第2版 第12巻 ほうほ-もんけ,小学館,2001.



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(2022年6月12日上梓)