アネヌプリ=シキシャナイ岳(1058m)シキシャナイ川北面直登沢

 初めて幌尻岳に登った若い時、国道237号線の登山口への分岐からこの山を見て、「あれが戸蔦別岳?」と勘違いしてしまった鋭鋒。すぐ横には幅の広がった少し高い頭の広い山があり、幌尻岳かとも思ってしまった。アイヌ語の山名は江戸時代の記録があり、アネヌプリである。


戊午東西蝦夷山川地理取調日誌下巻
61ページより

ア子岳(左)
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ホロサル付近からの絵
日誌本文では「ア子ノホリ」

国道237号の
幌去橋付近から見た
シキシャナイ岳(左端)と
三角点「弓部」の山

 国道237号線の道南バス敷舎内バス停(大字岩知志)から50mほど沙流川下流側の道路をくぐる小沢を沙流川に下って沙流川本流を渡渉、手元の地形図(平成14年発行)ではイワチシ川となっているシキシャナイ川を遡って川沿いの林道に取り付く。この小沢は函地形になっているが、小沢なので問題はない。上流には田んぼがあるので富栄養化しているのか日当たりが悪いわりに藻が多く、飲用は不適だろう。

 このバスは旧国鉄富内線の代替バスだ。1日3往復しかしていない(他に通過急行便が1往復)。国鉄富内線があった頃と今と、どちらが使いやすかったのだろうか。

シキシャナイ岳の地図1シキシャナイ岳の地図2

敷舎内バス停

沙流川右岸小沢の滝

水の少ない沙流川本流

シキシャナイ川出合

 最新の地形図ではイワチシ川となっているが、この川の本来の名はシキシャナイ川である。少し前の地図で「シキシャナイ沢」と書いてあったのを見た覚えがある。沿う林道の名前は敷舎内林道であり、途中で渡る橋は敷舎内横断橋、川向かいの地区名は敷舎内、水源の山の名はシキシャナイ岳である。イワチシ川は沙流川左岸のもう少し上流の別の川の名前と考えている。

 敷舎内地区の沙流川は、岩知志ダムの下からそのダムの貯水で発電する岩知志発電所の間にあり、送水管に水を抜き取られて水が流れていない。カヌー関連の資料で、この区間はライニングダウンだという話を読んで、普通は渡渉できない大河・沙流川でもこの区間なら渡渉できると狙っていた。ダムから発電所への導水管が下を通る国道237号線の橋が二本あり、その橋の名が一本は「送水橋」、もう一つが「余水橋」であるのを現地で見て、水は余っても沙流川にはまず流れないと確信した。しかし、河原にはやや泥水が流れた跡があった。大雨の後は流れることもあるのだろう。しかし、ここのところ大雨はなかったからまず大丈夫だろうと判断した。ダメだったら林道を遠回りして戻れば良いのだ。しかし、この水流のバイパスというものも自然破壊的であると感じる。おかげで今回渡渉できたけれど。

 つながっている林道(沙流川林道)をゲートから歩くと10kmほどある上、この林道はアップダウンや登り返しがあるので、林道を歩くなら沢登りでショートカットするこのルートの方が早い。

 等高線が込んでないので何もない川を予想していたが、シキシャナイ川に入るとすぐにチョックストーンの10mの立派な滝が現れて驚いた。しかし簡単に巻けて、しばらく薄暗い谷が続くものの、その後は明るい河原が続くようになる。黒い蛇紋岩、赤い赤色チャート、白い石灰岩の川原石のコントラストが美しい河原だ。このあたりはアオダモの木が多い。この後も山頂取り付きに掛けて、アオダモの涼やかな赤い花がそこここに咲いていた。


F1

F1巻く途中から

変わった岩が多い

これも変わっている
こういう岩は
何と呼ぶのか

F1落ち口

峡谷部出口

赤いのは赤色チャート
白いのは石灰岩
黒いのは蛇紋岩

 標高200mで敷舎内横断橋から林道に入り、林道をシキシャナイ岳の北側まで詰める。240mの二股までは非常に状態が良い。240m二股では平成18年の大水害の林道復旧工事をしていた。だから林道の状態が良かったのだ。この工事は標高340mまで林道を復旧させるつもりのようだが、二股から先は林道はまだかなりボロボロだった。あちこちで路盤が崩壊・消失し、起きてしまった崖崩れは尾根間近まで及び、導水管だけが無残な姿を晒していた。或いは導水管すら跡形もない。また上部ではこうした崩壊地はショートカットしようと沢に降りてみたりしたけれど、沢の中は崖崩れの結果としか思えない大量の倒木が散乱してバリケードを組んで行く手を阻んで歩けたものではない。460m付近は大きな土場跡の広場になっているが、この広場より先では林道の路盤上に地割れが多く見られるようになる。今崩れているだけでなく、これからも山の崩壊は続いていくのだろう。


河原が広がる

林道が上にある山崩れ

アオダモの花

敷舎内横断橋

ナワシロイチゴ

崩れゆく黒色泥岩の河原

 左様に林道のある右岸は山が壊れかかっているものの、林道のない左岸は右岸より傾斜が厳しいにも関わらず、殆ど斜面崩壊は見られない。林道造成が山と森と川を壊してしまったと言うことではないのか。

 途中林道から見下ろす沢は深く険しいものの、沢として!*くらいでないかと思った。林道があっても渓谷の部分は沢通しで面白いかもしれない。290m付近の狭隘部では泥岩からなる層雲峡大函のような柱状節理の切り立った崖のあるチャラ瀬が見下ろせた。暗いナメ滝も見え、このあたりは面白そうだ。林道からは時々シキシャナイ岳が見えるが、振内・幌去付近から見るほどは尖ってはいない。


林道自体が山崩れ

ここまでは復旧する?

林道から見下ろす渓谷

 標高400m付近には河床へ下りていく分岐がある。420mで左岸から合流している沢沿いに林道跡が見下ろせるのでこの林道跡につながっていると思われる。分岐では小さな斜面崩壊が起こり、そこにヤブが茂って本筋の方が分かりにくくなっている。

 林道標高550m付近の九十九折から上では林道跡の路盤にそれなりの木が生えるようになる。完全に笹薮に覆われ林道跡を辿るのも困難な部分も現れる。土場跡であろうか、フランスギクの一面に花咲く空き地があったりして、この花を誰が愛でるのだろうと心寂しく思うと共に、このようなところに外来種が茂っていて問題はないのかとも同時に感じたりする。コクワの枝が幾つか垂れ下がる場所があった。付近の蕗の原ではフキが押し分けられていた場所や、目に付く新しい熊の糞も多くなり、ここまで奥に入るとヒグマもそこそこは居るのだろう。このあたりは沢筋からやや離れているが、地図上では見下ろせそうな気もする滝マークがある。滝が見えるかと期待していたが見えなかった。


フランスギク

コクワの花

オオチャバネセセリ?

林道 最後の方

シキシャナイ岳が見える

広場(土場跡)

 地形図上の林道の終点で、地形図通り、林道は終わっているが、この先、作業道は登った沢そのものをブルドーザーで均したようで、倒木と裸地の散乱したひどい状態の沢だった。林道650mに大きな崩壊地があったので少し遠回りになる林道は最後まで辿らず沢底へ630mで入渓し、林道終点前は沢詰めで通過した。

 戦後の造材は、時代の要請があったとは言え、残された負の遺産も大きかったのではないかと感じた。一度崩壊してしまった山の斜面の植生は、崩れやすく植物が生育しにくい蛇紋粘土の多いこの地域では復活はかなり難しいのであろう。しかし、このまま放っておいて良いものとも思えない。土砂災害で崩壊した林道を復旧工事するのもいいが、林道造成と放棄で起こった人為災害は放置で良いのか。今直している林道とて、この一旦作ってしまった林道を崩れるままに放置していたから上流からの土砂で今回壊れたのではないのかという気もする。いずれ下流のダム(これもいろいろな意味で作るべきではなかった二風谷ダムだが)に土砂と流木が溜めることになり、ダムの寿命が短くすることだろう。何の目的かまでは分からないが途中まで林道を整備しても、新しく更に上流で起こり続ける過去の人為による土砂崩れを防止することは出来まい。この古い林道から起こる土砂崩れを止める為の土木作業というのもまた難しそうではある。


稜線まで伸びる山崩れ

ひどい沢だ

むき出しになった導水管

 標高690mで北面直登沢に入ると、すぐに水流はなくなる。しかしほどほどの青い岩盤が続いていて登っていて面白い。水が少しでも流れていれば尚良かったのだが。その後、平らで薄く鋭く手の切れそうなガレが不安定に積もるガレ場を過ぎ、続く沢地形はどんどん傾斜がきつくなる。950mほどで沢地形がなくなり、登る分に最低限の程度の薄いヤブをつかみながら登り、1000mで東の肩に出て、更に急傾斜をヤブをつかみながら登ると、最後にハイマツやシャクナゲが出てきてヤブが濃密になると山頂に到着だ。この沢地形は850mあたりに二股があって自分は広い左を入ったが、右を入ると山頂直下数mにまで沢地形が続いているようだ。この右の源頭が肩から山頂へ移動している際に見えたが、自分の登ってきたところ以上に傾斜がきつく、恐ろしくてとても登れないように思われた。


蛇紋岩に掛かる滝

詰めの青い岩盤

源頭の様子

 山頂は東西にやや長く、そこそこの樹木があり、すっきりと周囲は望めなかったが、少し雪の残る幌尻岳と戸蔦別岳は木の間越しに見えた。北の岩内岳は山肌いっぱいに広がる橄欖岩採取場が痛々しい。1m四方の裸地があり倒木などで座って休憩できた。


山頂の様子

東方
戸蔦別岳は写ったが
幌尻岳は枝の陰になってしまった

北方
岩内岳
橄欖岩砕石中

下りの斜面

 下りは直登沢の傾斜が急なので、直登沢のすぐ東の尾根上を降りることにした。この尾根の上半分はフラットでほどほどのトドマツの疎林の笹ヤブで、笹薮の中に倒木が隠れていると言うこともなく下りる分には非常に歩きやすかった。しかし登るにはやはり沢詰めのほうが早いかと思われる。

 下半分はブルドーザーの押した作業道跡が山腹に平行に何本も走り、中途半端な雑木には蔓植物が絡まり、ヤブの中には倒木が数多く、あまり歩きやすくなかった。折を見て直登沢に降りてしまったほうが早いように思われるが、あまり早いと沢壁が崖になっていて下りられない。

 林道を下山する際、周辺の小沢やシキシャナイ本流は、山崩れで発生した倒木で溢れかえっているので、林道のショートカットや沢詰めでの下山は得策でない。時間が余計に掛かる。

 林道復旧工事区間では法面固定の為、沢床を埋め立てて迂回し、河原を車が走っていた。河原に多数の重機が並んでいた。次の大雨でこれらの重機や燃料タンクやプレハブやらが置き去りにされないことを祈る。一箇所、乗用車なら渡れる足首ほどの高さの流れを渡渉する箇所があった。林道歩きを挟んで両端に沢歩きがあるだけに、林道歩きが長いからと登山靴に履き替えてしまうのは微妙である。

参考文献
斉藤康一・矢野哲治,日本の川地図101,野田知佑,小学館,1991.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.



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(2007年7月21日上梓 8月11日画像挿入 2017年5月17日山名考分割)