リビラ山の位置の地図リビラ山(1291m)

 2002年に登山道が開削され、日高山脈の山として北海道夏山ガイドにも紹介されたものの2003年の台風10号による林道崩壊で殆どアプローチできなくなっていた山。2008年、林道は何とか日帰り登山が出来るまでに回復していた。

リビラ山の地図1
リビラ山の地図2

 ゲートから先、3kmまで林道は平成19年の日付できれいに修復されていたが、それより上流では全く手が入っていなかった。もう直すつもりもないのかもしれない。2003年の台風の後は林道は更に下流から歩行すら困難な状態にまで崩壊し、林道ゲート付近から沢詰めで歩くことを強いられ、今回の林道終点まで到達するのにも2時間近く時間がかかり、沢の中の状態も悪く終点より上流でも今回より多くの時間がかかったと言う。2002年には370m二股までしっかりした林道があった。


林道終点から

路盤が残る部分もある

上流では渡渉が多い

 3kmから先、林道の痕跡は残っていて路盤がしっかり残っている箇所では楽に歩けるが、そうした部分は半分くらいである。他は河原のゴロゴロとした石の上を歩く。しかし地形図上で二重線で道路があることになっている370m二股までは右岸のまま本流の渡渉はない。河原の石は様々な色がありきれいであるがゴロゴロしていて歩きにくい。途中には里平大滝の立派な標識が残っていたりする。


里平大滝

 370m二股から先は十数回の渡渉があった。靴を濡らすこともしばしばである。河原の石は相変わらずゴロゴロで、歩みは遅々として進まない。488m二股付近は河原の石が大量に堆積していてキャンプ適であろう。この二股を左に入るとまもなく里平大滝が見えてくる。滝の高さは20m程度でないかと思う。きれいな直瀑である。

 里平大滝を前にして戻るように左岸の斜面に作業道跡があり、これを登って滝を巻く。この作業道跡を上がるとすぐ下で分けた二股の右股と、里平大滝のある本流(左股)に挟まれた鼻の様な尾根の上の稜線に上がる。右股の岩は本流と異なり真っ黒で本流とは様相を異にしている。地質図で見ると右股の流域だけ粘板岩となっていて、周囲一帯は主に輝緑凝灰岩である。

 さらに作業道跡は稜線上に続くが、次第に左に入り急斜面をトラバースするようになる。途中に左に入る枝道跡がいくつかあり注意を要する。トラバースは入口と出口付近が不明瞭である上、ロープが張られた足場の小さい危険な部分もあるのは「夏山ガイド」の紹介の通りである。不明瞭な部分を下りて滝の上に出る。トラバースの途中から地図にある巨大な崩壊地が見えるようになり、この手前に下りる。

 滝の上で再び渡渉し、しばらくして右岸に数mの高さで水から離れるようになる。そのまま尾根取り付きまで右岸の少し高い所に道が続く。尾根取り付きの手前で沢の中がすっかり赤色の枝沢を渡渉する。この沢の赤色は赤色チャートっぽい。赤色チャートは古代の放散虫と言うプランクトンの死骸が降り積もったものからなる。ここの赤色チャートはやや柔らかいようで粘土質に風化しているらしく、流れている水は赤い粘土で濁りやすい。しかしここが最後の水場となる。水が濁っている時は少し下りて本流の粘土の混じっていない水を汲むと良いだろう。


488m二股右股は
黒い岩ばかり(粘板岩)

大崩壊地

巻き道

尾根取付手前の
赤い沢

リビラ山の拡大地図 赤い沢を渡るとすぐ尾根に取り付く。はじめは沢沿い斜面の草むら、ロープがあってすぐに雑木林の急斜面となる。ものすごい急斜面で手を使わなければ登れない急斜面だ。一部痩せ尾根状の岩場があるがすぐ終わる。さらに急斜面を登り続けると稜線までの中間ほどの高さで、林床のきれいだった雑木林からネマガリタケの生い茂るダケカンバ林となる。ここから稜線までは更に大変であった。広い幅でネマガリタケは刈り分けられているのだが、急斜面で刈られたネマガリタケが敷き詰められているので非常に滑りやすく掴むものがない。片手で不安定にネマガリタケに掴まりつつ、ポツポツとあるダケカンバに寄りかかってしばしば休みながらの登行であった。これも歩かれ続け、草が生え、道が馴染むと気にならなくなるのであろう。


岩場

 稜線間近で、稜線上まで上がらずトラバースとなる。このトラバース区間も斜めの路盤に刈られたネマガリタケが敷き詰められて滑りやすく歩きにくかったがごく短い。トラバースが終り、稜線上に出たところは少し広くなっていて休憩に適である。南側の三角点に向かっても稜線上に踏み跡のようなものがあったが、どこまで続いているのかは確認していない。

 稜線上は草原とネマガリタケと樹林のミックスであった。草原にはお花畑が混じり多くの花が咲いていた。樹林ではシャクナゲが見ごろであった。急斜面を登りきって山頂標識のある芝生の旧門別町山頂。山頂標識は根元が腐って倒れていた。この先、最高点まで「夏山ガイド」では軽いヤブ漕ぎのように書いてあったが、その後に刈り分けられたらしく、道は更に最高点近くまで続いていた。小さな鞍部を越えて最高点のすぐ手前に広く刈り分けられた部分がある。最高点までは標高差にしてあと50cmほどだが、どういうわけか最後までは刈り分けられてはいなかった。しかし胸ほどのヤブの中にやや薄い部分が続いており30mほどヤブを漕ぐと最高点であるが、展望は刈り分けられた広場のほうが良い。

 貫気別岳はのっぺりしている。イドンナップ岳ものっぺりしている。幌尻岳は大きいのだが意外と低く見える。ここから見る山で一番輝いているのはやはり1839峰であろう。天を衝く姿が望めた。


稜線から山頂を望む

ハクサンシャクナゲ

チシマフウロ

旧山頂から本当の山頂へ

旧山頂から貫気別岳

★山名考・地名考

 リビラ山のリビラは里平川の水源の山の意と思われる。リビラ川・里平(リピラ)を、松浦武四郎は安政5年の日誌に「リイヒラとは高き平(ピラ)と云義なるべし」と記している。扇谷昌康・島田健一(1988)は「リ・ピラ(ri-pira 高い・崖)であるが、その原地のリピラ(高い崖)とは、どこを指したものか未だ確かめられない」としている。新門別町史(1996)もアイヌ語のri pira[高い・崖]が語源であるとしているが、「正しいリピラの地は不明」としている。リビラ川落ち口付近を地形図で見ると、厚別川と里平川の合流点の新和地区のわずかに下流の左岸に土崖が描かれている。だが、その高さは高めに見積もっても20mほどで、航空写真(国土地理院)や衛星写真(GoogleEarth)で見ると全て樹林で覆われており、「高い崖」とは言えそうにない。

 里平大滝は松浦武四郎の案内のアイヌからの聞き書きでホロソウと書かれた滝であろう。poro so[大きい・滝]である。近年では近隣の賀張川に「ポロソの滝」という名所が有名になりつつあるようで、これもporo soであろうが、里平大滝もポロソウと呼ぶと紛らわしいかもしれない。賀張川のポロソは松浦武四郎の記述には出ておらず近代以降の地元の古老によると言う。

 扇谷昌康・島田健一の「沙流郡のアイヌ語地名T」(1988)に、リビラ大滝を含む厚別川流域のアイヌ語地名をまとめてある。だが、リビラ大滝を含む道路の無い山間部への実地調査には入っておらず、地図が示されているがリビラ大滝に関わる地名の位置については疑問の残るものがある。

リビラ大滝周辺の地図 松浦武四郎は安政5(1858)年の蝦夷地調査で厚別川流域を歩いているが、リビラ川流域の地名についてはアイヌの人に聞き取りをしただけのようである。リビラ大滝と関わると思われる地名としてポロソウの他に、シヨウハラホクシナイ、シヨエンコロクシナイが聞き取られている。

 明治時代の北海道実測切図(通称道庁20万図)や北海道仮製五万図では、これらの川は現在は林道のあるリビラ川中流域の左岸支流とされているが、ポロソウ(里平大滝)の位置を踏まえておらず、実地で確認しながら地名を振ったのではなく、松浦武四郎の記述を元に振られたものではないかと思われるものがある。扇谷・島田(1988)は、これらの明治の地図の位置を踏襲している。

 松浦武四郎はシヨウハラホクシナイについて「右の方小川也。其名義は滝の下に有る沢と云儀のよし也」と書いている。シヨエンコロクシナイについて「左の方小川。其名義は滝の上に有ると云儀のよし也。」と書いている。シヨエンコロクシナイについては「左りの方小川。其名義は滝の上に有ると云儀のよし也」としているが、左右が明治時代の地図と異なっている。

 里平大滝のすぐ南に登山道も通る顕著な尾根の鼻がある。この尾根がso-enkor[滝の・鼻]かと考えてみた。

 シヨエンコロクシナイは、扇谷・島田(1988)はso-enkor-kus-nay[滝の・鼻・を通る・川]としているが、尾根(滝の鼻)を通っている川の姿というもののイメージがどうも湧かなかった。或いは「人間が」滝の鼻を通っていく川ということか。下から上がってきてリビラ大滝の右手に鼻のように延びた出崎があり、一旦この出崎に上がって滝を越えて上流に向かうので、シヨエンコロクシナイのシヨエンコロとはこの出崎のことで、そこを通って上流へ向かう沢だと言うことを言っていたのかと考え直した。

 とすると、リビラ大滝のすぐ下の488m二股の右股がシヨウハラホクシナイということになりそうである。これより下流の支流だとすると、大滝が意識されなくなると思う。

 地名アイヌ語小辞典にenkorの項があり「鼻」などとされているが、萱野茂のアイヌ語辞典ではenkorは「鼻声だ,鼻音.」とされているのが気に掛かる。アイヌ語沙流方言辞典では「口の中の上あごの奥のやわらかいところ、軟口蓋。/(語構成の要素としては『鼻の中』を表すらしい。)」とされている。enkorは鼻先のような地形は指すのかどうか疑問が残る。

 また、松浦武四郎の記録に挙げられたリビラ川筋の地名に於いて、シヨウハラホクシナイとシヨエンコロクシナイだけ、「クシ」という音が入っているのが気に掛かる。扇谷・島田(1988)は「so-par-pok-us-nay 滝・口・の下・についている・川」として、松浦武四郎も「右の方小川也」としているが、本流に比べても殆ど同じ規模の大きな谷であり、二つは対の関係にあるのではないかと思う。シヨエンコロクシナイは里平川の枝谷の名ではなく、488m二股から上のリビラ大滝のある本流扱いの谷筋の名ではなかったかと考える。

 エンコロが鼻でないとして辞典を見てみると、アイヌ語沙流方言辞典にemkoという位置名詞があり、「(川の)奥の方」などとされている。シヨエンコロとは、〔so emko〕 orかと考えたが、何だが回りくどい言い方な気がする。山田秀三の「北海道の地名」にある十勝の佐念頃はよく分からないが、ここの場合はso emkoho[滝・の奥の方]を聞き誤ったのではないかという気がする。シヨエンコロクシナイはso emkoho kus nay[滝・の奥の方・を通る・河谷]、シヨウハラホクシナイはso paro pok kus nay[滝・の口・の下・を通る・河谷]ではなかったかと考える。

 松浦武四郎の聞き書きでは本流の更に上流にパンケカッケン、ペンケカッケン、ヌンペシナイ、エトワン、クカルシベツといった沢があることになっているが地形図上の河谷との照合は難しい。上流域ではなく地名の空白域となるシヨウハラホクシナイより下流の、里平川中流域の地名との順序の混同があったかとも考えてみる。

 リビラ山と思しき地名としては「ヒリカコツ」が「左に山有。此山木計(ばかり)にして草無が故に、至極うつくしき場所なる故に号(なづく)る也。」と、リビラ川筋の最後で説明されている。ヌモトル川の源頭の山としても「リイヒラ、ヒリカコツの岳」とあり、芽呂川源頭附近で描かれたと思われるスケッチで尖った山に「ピリカヌウ」と解読されてあるのも「ピリカコツ」の字であったと思われる。その音はpirka kot[良い・跡]かと考えてみたが何の跡なのか分からず、そのままでは山の名にはならない気がする。明治時代の地図ではピリカコッが見られないが、里平川右岸支流としてピリカペッを記載しており、扇谷・島田(1988)は、これらを同地として川の名としている。

 また、松浦武四郎は里平川の源流を先に続けて「其源はニイカツフ川すじなるアイマヘツに行、ヒウ、リイヒラ二川並びて行よし也。」と、アイヌの案内した人に聞いたことを記している。リビラ山のすぐ南の鞍部は里平川の源頭で、新冠川支流でアイマベツ沢の一本上流側の右岸支流であるモウレルカシュペ沢(2017年現在の名)を経て、新冠川筋へ向かうことが出来そうである。松浦武四郎の記録ではモウレルカシュペ沢は「シイウシヽカシベ」とあり、その右岸支流として道のあることを言うru pes nay[道・それに沿って下る・河谷]と思われる「ルベシナイ」があり、「是よりしてヌカ平えの山越道有しより号しとかや」とされているが、ルベシナイはヌカビラ川への鞍部より里平川への鞍部の方が標高が低く、地形も緩そうである。

リビラ山山頂南鞍部付近の地図 地形図でリビラ山の南面の山頂直下を見るとそれほど高さはないが崖記号が横に延びている。航空写真(国土地理院)・衛星写真(GoogleEarth)を見てもどうもはっきりしないが横長の崖はあるようである。里平川は門別や波恵、ヌモトル、里平辺りのアイヌの人が新冠川筋へ出る道であり、里平川源頭のリビラ山の南の、樹林に覆われて林床のヤブが少なく通りやすい鞍部がpar -ke[口・の所]で、登っている途中(標高900mの谷間か)や鞍部から見えるすぐ北のリビラ山の南面の崖を指して、par -ke o kut[口・の所・にある・岩崖]或いはpar -ke kut[口・の所・岩崖]と呼んでいたのが訛って「ピカコッ」となったのが、すぐ上の山の名のようになっていたのではないかと考える。

 里平川の名も、どこにも探せていないri pira[高い・崖]ではなく、ru paro[道・の口]だったのではないかと考える。川の名となるような高い崖があったとしても、川の分岐で識別できる落ち口付近に限られるだろうと考えているが、扇谷・島田(1988)の立ち入って見ていないらしい里平川の山間部でも、林道と登山道をを通った限りだが里平川全体の名と成り得るような大きくて目立つ高い崖は見た覚えがない。

 知里真志保の「アイヌ語入門」で、川も生き物であるとしてその頭は水源の方とされているので、ショウハラホクシナイのハラを川の一部である滝の「下」であるのに「口」とすることには躊躇があったが、ru paroのように移動する全体を通して考えれば、滝下への入口でも「口」と表現されてもおかしくないのではなかったかと考えてみる。

 先に述べたシヨウハラホクシナイ右股の源頭の標高はリビラ山南鞍部の標高より低いがその差は50m程度である。リビラ川422m二股からモウレルカシュペ沢545m二股までの距離を測ってみるとシヨウハラホクシナイ経由の方が500mほど短いが、ショエンコロクシナイと共にkusを用いて表現されたと考えられるということは、ヤブが薄いといった理由でリビラ山の南鞍部も好まれて両方通路として使われたと言うことではなかったか。

 ピリカペッは同じ破裂音である、k をp と聞き誤ったか、ピリカコッの意味が分からず似た音としてk をp に置き換えてピリカペッとして川の名となってしまったものではなかったかと考えてみる。

参考文献
梅沢俊・菅原靖彦,北海道夏山ガイド4 日高山脈の山々,北海道新聞社,2005.
北海道立地下資源調査所,5万分1地質図幅「比宇」,北海道立地下資源調査所,1959.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,,北海道出版企画センター,1985.
扇谷昌康・島田健一,沙流郡のアイヌ語地名T,北海道出版企画センター,1988.

門別町史編さん委員会,新門別町史 下巻,門別町,1996.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
萱野茂,萱野茂のアイヌ語辞典,三省堂,1996.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
知里真志保,アイヌ語入門,北海道出版企画センター,2004.



トップページへ

 資料室へ 
(2008年8月14日上梓 2017年4月15日改訂)