![]() |
![]() アベヤキ川流域から |
天狗岳(666m)
この地域には2つの天狗岳があるようで、西隣の三角点幌満岳(685m)も天狗岳としている資料もあるが、こちらの天狗岳の方がより尖っている。ライキウンヌプリとアイヌ語の名も伝わる。
北東斜面に作業道が多くあり、ポンニカンベツ川の林道からこれらをつないで標高500mまで上がった。ポンニカンベツ林道の天狗橋の手前に土場があり、広くなっていてここから作業道に入った。作業道はわりと新しいもので、周囲の展望も良い。袴腰山が背後に広がる。袴腰山西面の沢には大きな滝が掛かっているようだ。
標高500mの作業道終点から少しだけ若い針葉樹の植林があり、ミヤコザサを漕いで尾根を登った。途中、一部は植生が熊笹に変わっている。谷間からナキウサギの声が響いている。植林や作業道造成の際に重機も稼動したと思うのだがナキウサギも意外とタフなものだと思う。
尾根は痩せている。山頂はダケカンバの樹林の中だがもう落葉していたので遠望も少し効いた。幌満岳は北側に岩峰があり、確かにアレも天狗岳だと感じる。足元には新しい植林地、アベヤキ川流域には牧場が広がり里の山の雰囲気だ。ニカンベツ川流域にはアイヌコタンがあったという。この山はそうしたアイヌの人々日々仰ぐ山であったのだろうと感じた。
この山は東面だけでなく南面や西面も若い植林帯が山頂に迫っているので、その方面からも作業道をつないで登れるのではないかと思う。ポンニカンベツ林道を金舟橋から左折すれば南側に林道が続いている。
![]() 作業道下部 |
![]() 作業道終点 |
![]() 袴腰山 |
![]() 東尾根 |
![]() 作業道の上 |
![]() 頂上の様子 |
![]() |
![]() 山頂を望む |
![]() ポンニカンベツ林道 |
天狗岳の名は和名で、天狗の棲みそうな山と言うことと思われる。山容は天狗でも棲んでいそうな感じのする怪しげな尖り具合である。
1893年の北海道実測切図1)ではライキウンヌプリとあった。様似町史4)ではライケヌプリ(殺し山・意義不明)としている。ray-kew un nupuri[死体・ある・山]ということかと思われる。
道東の美幌町にはライクンヌプリがある6)という。伊藤(1997)によると、そのライクンヌプリは四等三角点「豊岡西」(112m)のある標高120m強の丘3)だという。「死者の・山」と訳してチャシ casi[砦(?)]があり、ここで美幌アイヌと北見アイヌの紛争があったと言う。〔ray kur〕nupuri[死ぬ・人・山]ということかと思われる。発音では音韻法則でライクンヌプリとなる。ここの天狗岳は日高地方南端に近く、十勝アイヌと日高アイヌの抗争の伝説はこの地域にある。また、天狗岳からは尾根の向こうのアベヤキ川流域や、それより南の海岸線がよく見えるのでニカンベツ川流域のコタンの見張台にもなりそうである。美幌のライクンヌプリと同じような位置付けは天狗岳でも可能な気がする。山容では美幌のライクンヌプリは地図で見ると丸い小山である。天狗岳のような鋭鋒ではない。
様似町冬島にはライクンナイがある4)。アイヌの一人がここで死んだからと様似町史では説明される。羅臼の陸志別川の支流にもライクンナイがあり、こちらも死人が出たことが命名の理由に挙げられる7)。
また、斜里の斜里川の支流にもライクンナイがあり8)、字来運となっている。はっきりしないが北海道実測切図で見ると現在のフカバ川かと思われる。
これらの説明は自然な地名という感じがしない。何かアイヌ語の音の転訛などで隠されているシンプルな地形などを表現した意味がある気がする。
天狗岳はニカンベツ川の下の二股の間に位置する山であり、下の二股は右股が本流で、左股がルベシュペ川である。ルベシュペ川の名は道内に多く見られる、アイヌ語の ru pes pe[道・それに沿って下る・もの]と分解される rupespe で幌満川上流域と繋ぐ道に沿って下る川ということであったと考えられる。右股の本流或いは本流の左岸の尾根は猿留川流域へ抜ける道であったと考えられる。河口から遡行して、その ru aw[道・の内]である下の二股の内側にある山ということを言った ru aw -ke un nupuri[道・の内・の所・につく・山]がライキウンヌプリの本来の音ではなかったかと考えてみる。
或いは海岸から見てそういう道の所の奥にある山ということで ru orke e- un nupuri[道・の所・の先・にある・山]かとも考えてみる。
他の上に挙げた死人の地名についても考えてみる。
様似町のライクンナイは冬島と様似山道の西の入口のオソフケシの間にある川である。様似山道より後からなった地名かどうかが問題だが、メナシ側から様似山道西半の前身となるコトニ・テレケウシの危険な海岸を迂回して山越えする道の入口であった、ru e- rik un nay[道・そこで・高い所・にはまる・河谷]かと考えてみる。羅臼町のライクンナイは陸志別川の陸境川の一本下流側の右岸支流のようだが、陸志内川は本流がオンネベツ方面への道であり、水量の増える陸志別川下流部の往来を避けて南隣の居麻布川筋に出る ru e- rik un nay[道・そこで・高い所・にはまる・河谷]かと考えてみる。もう一本南側の大川の植別川は左岸が段丘崖で下りるのは危険で水量が陸志別川同様に多い。
斜里川筋フカバ川はペケレイ川に合流して、更に秋の川と幾品川と合流して猿間川となる。猿間川は昔は海岸からすぐの所まで下って斜里川と合流していたようである。松浦武四郎の安政3年の記録では聞き書きで斜里川筋の地名として「・・・シヤリバ、アキシユイ、ライノロナイ、イタシナヘツ等」と出てくるが、ペケレイ川に相当しそうな川の名が出てこない。ライノロナイがライクンナイに音が似ているのが気になる。また、北海道実測切図ではペケレイ川のすぐ下流の猿間川左岸支流としてライペツが記され、これが松浦武四郎も踏査で記したライベツと思われる。斜里から斜里川に沿うことを道として上がり、釧路方面へはそのまま斜里川に沿い、中斜里市街地辺りのライベツが ru o pet[道・ある・川]でペケレイの向かいに乗り越して幾品川に入り根室方面へ向かう道であると考える。
ペケレイ川流域を二つの道に挟まれた ru awna[道・の内側]と呼び、ペケレイ川が RUAWNA or o nay[道の内側・の所・にある・河谷]転じてライノロナイで、ru aw -ke un nay[道・の内・の所・につく・川]転じてライクンナイとも言い、現在はペケレイ川支流の扱いであるフカバ川がその本流の扱いであったかと考えてみる。ペケレイは pa -ke rer[口・の所・の向こう(川)]で中斜里辺りの根室方面への入口の対岸にある川ということであったと考える。
美幌町のライクンヌプリは小さな山で、2kmほど南西に峰続きで200m程の標高の山(200.7mの二等三角点「郡丸山」のある山)があるので本当にその小山の事だったのだろうかという気がするが、チャシがあったのなら美幌と北見の境として見張るのはこの山よりわずかに低い石北線の緋牛内トンネルの辺りだろう。石北線に先行する美幌と北見を結ぶアイヌの道があり、その道を見張るチャシがライクンヌプリにある、ru orke un nupuri[道・の所・にある・山]か。
参考文献
1)北海道庁,北海道実測切図,北海道庁,1893.
2)田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
3)伊藤せいち,アイヌ語地名T 網走川,北海道出版企画センター,1997.
4)邑山小四郎,夷語地名解,様似町史,様似町史編さん委員会,様似町,1962.
5)伊藤せいち,アイヌ語地名発掘の旅(第13回アイヌ語地名研究大会in札幌配布資料),2009.
6)三木公,美幌の遺跡,美幌町史,美幌町史編さん委員会,北海道網走郡美幌町,1972.
7)松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 中,北海道出版企画センター,1985.
8)北海道庁地理課,北海道実測切図「屈斜路」図幅,北海道庁,1895.
9)知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1956.
10)萱野茂,萱野茂のアイヌ語辞典,三省堂,1996.
11)松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 下,北海道出版企画センター,1978.
![]() トップページへ |
![]() 資料室へ |