翠明橋付近から見た
野塚岳

ニオベツ川の大滝
野塚岳(1353.2m)

 南日高、天馬街道野塚トンネルの上にそびえる双耳峰。下に天馬街道が走ったことでアプローチが良くなったこともあるのか、「北海道の百名山」に選ばれて登る人が増えているようだ。南隣のオムシャヌプリと殆ど相似形をなす。天馬街道のおかげで日高の山の中では、かなり標高差の少ない沢登りが出来る。ガイドブックで双耳峰の鞍部にニオベツ川から上がるルートが初歩的な(「!」)として書かれているが、このルートは源頭部で崩落があったのか、詰めが難しかった。沢の雰囲気は全体的には美しく快適である。


野塚岳の地図1
野塚岳の地図2

★ニオベツ川直登沢(右図青線)

 野塚トンネル南口から沢に入る。沢は高く護岸されていて下りるのは大変(以前は梯子があった)。下流側の道路の下を流れる暗渠の出口あたりが高さが低く、ロープを結べる白樺が生えているのでここからずり下りるのが良かろう。懸垂下降とまでは必要ない。

 しばらくは坦々とした河原を行く。踏み跡も時折ある。ニオベツ川は一直線で野塚岳と西峰のコルの源頭まですっかり見渡せる。920m二股の手前からナメ滝が現れるが、傾斜が緩くどちらかと言うと滑床である。

 920m二股を左に入ると、あとはガレの詰まった沢が続き、コルの直下で崖になり行き詰まる。

 920m二股の右には正面に大きな五月雨状の滝が見えている。この滝は高さはあるがホールドは沢山あり、足場も取れるので難しくはない。下りることもできる。

 あとは小滝が続き、ヤブ漕ぎなしで山頂に出る。全体的に足場は取れるが狭く、日高らしく平均傾斜が結構あるようには感じる。


★下降尾根(右図赤線)

 このルートは夏も冬も使える。野塚岳の南の鞍部の平坦地の野塚平の少し南で分岐する尾根である。地面には薄い踏み跡があるが登りに使うにはネマガリタケを漕ぐのが大変だろう。雪のある時期も取り付きの傾斜が急なので登りだしに苦労するかも。尾根の分岐点のピークはこの辺りの稜線にしてはヤブが深いので、野塚岳から下りてきたら、登らずトラバースするように下降尾根に入ると良いと思う。雪のある時期は疎林で気持ちがよい。無雪期はスパイク足袋が良い。


★豊似川ポン三の沢支流(右図水色線)

 このルートは夏と春に使える。割合広い。冬場は雪崩の心配がある。夏場に沢から登る分には特に滝などはないと聞いている。残雪期はただ沢筋に沿って歩くだけである。ポン三の沢は変な名前だが、土木現業所での呼び方が分からなかった下から三番目の支流の沢ということの「支三の沢」ということだったようである。本流と同じ位の大きな支流なので、北大山の会の「日高山脈」にある「豊似川左岐沢」か、松浦武四郎の地図の「コヱポクトヨイ」に準じて「コィポ豊似川」などの方が良いのではないかと思う。


★野塚岳北東尾根(右図茶色線)

 このルートもトンネル北口から尾根取り付きまでに雪崩の危険はあるが、上記の沢詰よりはマシだろう。また、野塚岳本峰北西尾根(点線)も残雪期には使われているようだ。もう一本北の尾根(点線)ならトンネル北口に直接出るが少しアップダウンがある。


★山名考

 野塚川の源頭の岳の意であろう。

 野塚は永田地名解が「Nupka pet ヌカ ペッ 野川 『ノツカベツ』ト云フハ非ナリ」としている。地名アイヌ語小辞典に拠ってnupka pet[原野(/野原)・川]と考えたくなるが、原野や野原のような野塚川のようなほどほどに大きな川なら、川のどこかに必ずありそうな所のことで名づけられるだろうかという気がする。衛星写真(GoogleEarth)で見ると、識別対象となることの多い河口一帯は砂利の河原と森林が主で、野原は少ないようである。森林が多いというのは昔から変わっていないのではないか。山田秀三(1984)の「北海道の地名」で自身の野塚の解釈が示されていないのは、引用している永田地名解を他の例と比べて疑わしく感じていたと言うことではないかと思う。nupkaの地名の所は緩傾斜地を少し上がった所が多いようである。野塚川下流域は僅かな傾斜はあるが、緩傾斜地とは言い難い十勝平野の平原である。

 萱野茂のアイヌ語辞典ではヌカ(nupka)を「丘」としている。野塚川は河口から600m程の幅の30m程の深さの河谷が続き、十勝平野は丘の上という感じだが、丘の下の野塚川を「丘」とは呼ばないだろう。

 清冽な川であり、nupki[濁り水]の転訛とは考えにくい。

 野塚川源頭域の沢登りは難しいものが無いようである。ニオベツ川三股から野塚平に上がるのも容易だという。野塚川の谷は直線的に十勝平野に出る。日高幌別川から十勝へ抜ける夏道が野塚平を越えており、その出口側のru-put -ke[道の・出口・の所]の転訛だったのではないかと考えてみる。日高山脈主稜線の標高は十勝岳と楽古岳の間の鞍部の方が低いが、ルートが少し曲がって距離が伸びる。グループによって様々なルートが山越えに使われたのだろうが、そうしたルートの名が使わない他のグループにも伝わる内に、別の音に転訛したのではないかと考えてみる。

参考文献
道新スポーツ,北海道の百名山,北海道新聞社,2000.
北海道の山と谷再刊委員会,北海道の山と谷 下,北海道撮影社,1999.
土屋茂,アイヌ語地名から見た広尾町の歴史と風景,土屋茂,1994.
北大山の会,日高山脈,茗渓堂,1971.
松浦武四郎,秋葉實,武四郎蝦夷地紀行,北海道出版企画センター,1988.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
萱野茂,萱野茂のアイヌ語辞典,三省堂,1996.



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(2002年10月4日上梓 2017年10月10日改訂)