冬の海別岳
朱円から
海別岳(1419.1m)
沢登り糠真布川五の沢 + 冬山

 「たおやか」の言葉の似合う知床半島起点の山。知床半島縦走はこの山がスタートになる。昔、夏道があったこともあるようだが、冬に登られることが多い。夏に登っても小さなお花畑が山頂で待っていてくれる。日本画家の後藤純男の「雪晴れる羅臼岳」(1987)で羅臼岳の代わりに描かれている。


海別岳の広域地図★沢登り・・・五の沢入口まで
参考時間・・・幌泊BS-1:10-鉱山道路入口-2:35-五の沢入口

 幌泊バス停を後に道路を4.5q南下し、約1時間で通称「鉱山道路」の入口に達する。途中にある昔の木作りの案内板には、もう擦れて殆ど読めないが海別岳に二本の登山道が記されていた。鉱山道路の入口は何の変哲もない分岐で、只の林道と変わりない。この先、水を汲める場所がしばらくないので、鉱山道路入口の横の沢で水を汲んでおきたいが、草が生い茂っていて沢に寄るのには躊躇してしまう。100mほど進むと広場に出る。地形図上の崖記号の所は昔の採石場と思われる。普通乗用車ならここまでであろう。続く鉱山道路はしばし荒れている。

 五の沢入口まで、この鉱山道路を二時間かけて登る。広場から見えている部分は荒れているが、その後はしばらくきれいである。途中雨裂の大きい箇所もあったが、標高550mのカーブ(下の地図上A地点)まではオフロード車なら入れると思われる。わりと新しい轍が見られた。その先も、もう少しは車でも走れそうな状態だが、奥に転車出来るスペースがない。オフロード車でも550mのカーブまででやめておくのが無難だろう。

 鉱山道路は標高550mのカーブ(A地点)まで地形図に載っているのとは全く違う所を通っているので注意を要する(下の地図参照)。登り始めて一時、自分がどこを登っているのか分からなくなって不安になった。

海別岳の地図1海別岳の地図2

 鉱山道路は殆ど展望がなく、登山は「禅」の世界である。標高600mを超えると時折路盤がネマガリタケに覆われる箇所が現れ、登るにつれてそうした箇所が増えてくる。標高700mを超えると殆どネマガリタケに覆われるが、まだ足元ははっきりしている。ネマガリタケの丈も低めだ。標高750m附近で4,5本の小沢を連続して横断し、ここが最初の水場となるが、秋まで水が流れているかは定かでない細い流れだった。そのすぐ先の地図上の一番はじめの沢らしい沢二本(上の地図上B地点)は水が流れていなかった。

 小さな出コブを回り込む。このコブの北側にはクライミングを楽しめそうな岩場が見えた。回り込んだ先の出コブの南側(上の地図上C地点)には雪渓が残っていて、沢にはそこそこの水量が流れていたが、この沢も雪渓が消えると水も流れなくなるのかもしれない。

 C地点から五の沢入口にかけては時折背丈も越え、足元もはっきりしなくなるほどネマガリタケが繁茂するようになるが、まだ何箇所か、路盤がきれいに残って広い更地のような箇所がある。ネマガリタケが進出する前に樹木が生育し、日照が遮られてネマガリタケが進出できなかったのであろう。

 四の沢の支流、四の沢と連続して渡渉する。沢を横断する部分では鉱山道路の路盤はすっかり水流で破壊されていて、本当にトラックが走るほどの道があったのか信じられないほどだ。四の沢支流と四の沢は水が涸れることは無さそうな雰囲気だった。

 五の沢が近付くと若干木々が疎らになり、針葉樹の大木が目につくようになる。疎らになるのは鉱山道路の峠を吹き抜ける風が強いせいであろう。ネマガリタケの鉱山道路への進出が著しいのもそのせいだろう。目印テープはあるし、地形的に太い道路が走っていたのは分かるのだが、鉱山道路上でも植生は周りのヤブと殆ど一体化している。


鉱山道路入口は平凡

五の沢入口も平凡

幌泊バス停

★沢登り・・・五の沢入口から山頂まで
参考時間・・・五の沢入口-1:00-5m滝-1:25-山頂

五の沢の地図 「とっておき北海道の山」ではタイトルの下に「中級の沢」などと書かれているが、初級・初心者向けの沢と言えそうである。入渓点までの長い歩行時間を考慮すると中級と言うことだろうか。

 沢に入ってしばらくは平凡な流れである。小さい二股を過ぎてまもなく、沢幅が狭まり小さなゴルジュが現れるが、中は浅く、柔らかい岩質(粘土?)で足場もホールドもあり、すぐに終わってしまう。左岸に巻き道を示しているような目印テープが見えたが、平水なら巻く必要は感じられない。

 このゴルジュの先に、沢が開けた箇所の右岸に上がるように目印テープが下がっていた。踏み跡は特に見られなかったが、鉱山道路の峠付近から山頂に向かっても目印テープが続いている様子が、前日硫黄鉱山跡に向かった際に見て取れたので、もしかしたらこの二ヶ所の目印テープは、五の沢下部を早巻きする為の営林作業道跡をつないだルートとしてつながっていることがあったのかもしれないと考えてみる。五の沢を通して遡行しても時間的に大して変わらないとは思うが。

 続いて更に平凡な沢を遡っていくが、幾つか2m程度のきれいな小滝はある。全く滝がないわけではない。それなりの滝壷もあるが簡単に越えられる。両岸が少し切り立ってきて、残雪が現れ出した。まもなく沢の奥に5mの五の沢「唯一」と言うことになっている滝が見え出す。


小ゴルジュ

5m滝と右ロープ

5m滝アップ

 滝のすぐ右の岩壁に太いロープが掛けてあったが、ロープに頼らなくても登れると思う。左岸に大巻きするような目印テープも見えたが、必要ないのではないか。滝のすぐ左のルンゼも登降出来そうだが、こちらは人跡が無い雰囲気。滝の岩壁にはエゾコザクラが咲いていた。


雪渓を登ってゆく
稜線が見える

 滝の上では火山らしい黒いサシの入った白っぽい岩盤のナメがあるがすぐ終わり、再び平凡な沢になる。山頂稜線が見えるようになる。標高1050m附近から雪渓が現れ、1300m附近まで続いていた。前年秋に歩かれた方の話では、雪がなくても特に問題になるような箇所はなかったとのこと。「とっておき北海道の山」の中でも「小さな石を敷き詰めたような谷筋」とのことで問題はないのだろう。傾斜は急ではない。


源頭

 雪渓が終わり、源頭に至ると岩盤が続きヤブは無い。今回はそこそこの水流が最後まであった。山頂直下には大きな雪田があり、水はそこから出ていた。この雪田をキックステップで登りきるとすぐに稜線の一角で、エゾカンゾウの群落が迎えてくれた。北峰と山頂との鞍部にはエゾカンゾウの大群落でオレンジ色に彩られた箇所が見えた。低いヤブを押し分けて山頂を目指すと最後に5mほど丈の高いハイマツブッシュがあり、その先に八畳ほどの裸地になった山頂広場があった。最後のハイマツブッシュの中に、夏に海別岳を目指す人の殆どはここを通るだろうに、踏み跡は発達しないのだろうか。

 山頂の西側へは踏み跡があり、その先のこじんまりとしたお花畑が広がっている。小規模だし特産種もないようだが種類豊富で彩りに溢れたお花畑であった。

 天候は曇りで霞みが濃く、羅臼岳や斜里岳は霞んでぼんやりとしか見えなかった。オホーツク海と碁盤目状に割られた斜里の道路はよく見えた。北峰は山火事跡か、ハイマツが広く枯死している様子が見えた。斜里岳は斜里や清里の町から見るより間延びして見えた。下山の準備をしていると、それまで殆ど見えていなかった斜里岳が急にはっきりと、黒っぽく見えるようになった。下山を始めるとまもなく雨が降ってきた。急に見えるようになったのは雨の前触れだったようだ。


エゾカンゾウ

ハイマツが枯死している北峰

★海別岳硫黄鉱山跡
参考時間・・・五の沢入口-0:50-硫黄鉱山跡

 海別岳の北東麓の植別川上流の一角に硫黄鉱山はあった。昔の地図ではそこに温泉マークが記されていたと言うが、現在は何も記されていない。「とっておき北海道の山」の中でも薦められているので行ってみる事にした。

 「とっておき北海道の山」では五の沢入口より鉱山跡まで片道40分と書かれているが、道は記事が書かれた頃より樹木が茂ったのであろうか、行きも帰りも50分ほど掛かった。特にヘアピンカーブまではネマガリタケが生い茂って状態が悪い。峠から標高にして150m程下ることになる。


硫黄鉱山跡・一段目

硫黄鉱山跡・二段目

 草むらで鉱山道路が終わり、植物の少ない荒涼とした地が現れる。硫黄鉱山跡に到着である。硫黄分で漂白された土の崖が広がり、何箇所か礫が水平に積まれ、後始末をした様な風景である。シラタマノキやイソツツジなど、火山性の荒地に強い植物が禿げちょびた様に所々に生えている。「とっておき北海道の山」の頃は建物の残骸などがあったようだが、今はそれも見えない。歩き回ってみると草むらの中や泥の中に木材がたまに埋もれているのを見るだけだ。3時間の歩行の末にやっと辿り着ける場所と考えれば多少の感慨はあるが、ニセコの五色温泉など、硫黄鉱山跡としては共通する風景であり、「ここならでは」というわけではない。

 「温泉」は二ヵ所で湧いている。一ヶ所は瓦礫の更地の奥の、もう一段瓦礫を積み上げた下から、もう一ヶ所はそこから笹ヤブを少し漕いだ先の谷状地形の所。但し二ヶ所ともチョロチョロ程度で温度もぬるく30℃以下と思われ、湯船を地面に掘ったとしてもザブンと浸かり楽しめると言う感じではなかった。硫黄分が沈着している。後者では噴気も見られ、シューシューと音がしていたが、噴気は冷たかった。これでは温泉マークが抹消されても仕方ないかも・・・。昔はもっと本格的な温泉だったのだろうか。また、周辺の沢では鉄分が沈着して赤くなっているものもあった。

 この硫黄鉱山は昭和24-25年にかけて採掘されたのだという。

(補記2006/1/15)
その後、ネット情報で硫黄鉱山温泉はこの硫黄鉱山跡から更に2km奥にあるらしいことを知る。硫黄鉱山跡の傍らの沢を上流に行くのか、それとも植別川本流を更に遡行するのか下降するのか、全く別の方面に獣道でも続いているのか分からないが、自分の行ったところはどうも鉱山跡ではあっても温泉とは違ったようだ。


★積雪期
参考時間・・・ウナベツスキー場-1:30-尾根取り付き-3:45-山頂-1:00-尾根取り付き-0:45-朱円六線BS

 朱円もしくは峰浜から、シマトッカリ川と海別川に挟まれた広い尾根を辿る。除雪はかなり手前までしかされておらず、スキーで滑らない傾斜の緩い平坦地を長く歩かなければならない。林道をはずれてしばらくは作業道跡があるが、曲がりくねっているので適当にショートカットした方が良いのかもしれない。標高500mから700mにかけては気持ちの良い森である。700mを越えると小海別岳が見えるようになるが、植生はハイマツ林となり、雪上でもハイマツのシルエットがボコボコしている。雪も硬めでそれほど楽な滑降はさせて貰えなかった。広大な雪原となった流氷に覆われるオホーツク海は日本でも他にはありえない「平原」の光景だろう。見えているだけでも関東平野より広そうに感じてしまう。

 標高1050mの出コブは「お立ち台」とも言うべき。山頂までスノーモービルの跡があった。動植物への悪影響を言われる以前に、自然への畏敬の念を感じさせないエンジン音を響かせて山頂を渉猟する行為はとても嫌な感じがする。


★山名考


海別川河口付近旧河道の地図

 ウナベツ(海別)は海別川を指し、海別川の水源の山の意であろう。よく目立つ美しい山であるからか、昔の絵図などでもウナベツ山などとして見る。

 ウナベツは永田地名解でアイヌ語の意味は訳して「灰川」とされ、山田秀三(1984)もそれを受けたように書いているが、87-50万年前に活動していたとされる海別岳が火山灰を海別川に注いだ様子を見た新人類は居たはずがない。雌阿寒岳などの少し離れた新しい噴火の灰で海別川が覆われていたら海別川以外の周りの他の川も灰で覆われていたはずだ。何らかの訛音でウナペッの音になっていると考えるべきである。

 川の名はは落ち口や河口付近の川の特徴で名づけられることが多い。明治28(1895)年の北海道実測切図で海別川の河口付近を見ると、河口から西に浜に沿って2kmほど流れ、Uターンしてその内陸側をまた約2km東に浜に沿って流れ、そこから海別岳に向かっているのが見て取れる。河口付近で浜に沿って流れる川はよくあるが、二重に浜に沿っていた海別川の流れ方は変わった印象を受ける流れ方だと思う。現在はUターンの所であった奥蘂別川との合流点ですぐに海に注いでいるが、旧河道の水面が残っているのを地形図(2017年)に見ることが出来る。

 この、二重に浜に沿って流れている内の内陸側を指して、内陸側すぐにあることを言ったアイヌ語の awe -na pet[内・の方の・川]がウナペッの元ではなかったかと考える。「内」の意味の aw、「内側」の awna が位置名詞なので、先行詞無しの位置名詞と言うことで長形の awe で、アクセントの無い語頭の a が訛音で落ちたと考える。-na の接尾した語には連体的に用いられるものもあるということで、「の方の」と訳した。

 松浦武四郎の安政3年の日誌のラウシ小休所より眺望の図で「ヲクシヘヤウ」とある山の名は、だいたい北北西の方位とシヤリ岳(斜里岳)とサマツケノホリ(遠音別岳)の間の位置で同じほどの高さで描かれていることから、海別岳の別称で OKUSPE or[奥蘂別川・の所]と言うことと思われる。海別岳は奥蘂別川(おくしべつがわ)の水源でもある。山田秀三(1984)は海別川のUターンする所で注いでいた支流の奥蘂別川について、「北海道の地名」で海別川と合わせて一つの項にしている。昔は海別川が本流扱いで奥蘂別川が支流だったが、今は奥蘂別川が本流の扱いで海別川が支流らしいと言う。奥蘂別川の河道も昔は現在のように直線的ではなく、北海道実測切図では河口近くでもう少し西側を流れていたように描かれているが、海別川との合流点は現在とほぼ同じようである。奥蘂別とは本流海別川のUターンする所で注いでいた支流ということで o- ik us pet(/pe)[その尻・関節・につく・川(/もの)]で、アイヌ語の母音の連続を嫌う傾向で「オクペッ/オクペ」に約まったものと考える。

 松浦武四郎の安政5年の日誌にウエンベツ(植別川)やムイ(崎無異川)の源として出てくる「ウエンヘツノホリ」等は海別岳の別称だろう。植別川の源の nupuri[山]の意と思われる。植別(ウェンベツ)は wen pet[悪い・川]のように言われてきたが、山田秀三(1984)の植別の項の「諸地にウェンペッ,ウェンナイ(悪い・川)がむやみにあるが,ほとんどが,どうして悪いかが分からない」、「とにかく全道的に,ウェン(悪い)のつく川がやたらあることに留意したい」で、「むやみ」「やたら」と「とにかく」強調してあるのは、なぜ wen という音なのかということを更に考えなければならないと言いたいようである。

 地名アイヌ語小辞典の ahun-ru-par の項には、wen-ru-par という別称が挙げられている。ahun の項では「[<aun]」とされている。9例挙げられた ahun-ru-par の別称の中で、唯一「悪い(wen)」という価値判断の入っている wen-ru-parwen は、aun の転訛ではないのかと考えてみる。

 植別川は知床半島の川の多くが河口から源頭まで半島脊梁に直交する向きに流れているのに対して、上流が西に寄って脊梁と平行している。知床半島で他に脊梁と平行して流れているのは岩尾別川と、ルシャ川・ルサ川の西股くらいである。この上流での流れ方を言った aun pet[入り込んでいる・川]の転訛がウェンベツではなかったかと考えてみるが、類例を集めたい。或いは e- aun pet[その頭・入り込んでいる・川]かとも考えてみる。岩尾別川も似たようなことを言った e- w awe o pet[その頭・(挿入音)・内・にある・川]ではなかったかと考えてみる。他方のウェンベツ等も天塩の遠別川など中上流で横に入り込んで長くなっている流れ方の川が多い気がしている。アイアンとか、アーラといったアイヌ語地名も(ヤーラもか)、aw hon[内・腹]や awe oro[内・の所]の転訛で無いかという気がしている。こうした地表上での位置関係を命名した頃のアイヌの人達は洞窟のあり方を言うのと同じように「内側」や「入り込んでいる」と捉えていたのでないか。名詞/位置名詞とされる aw が位置名詞語根でもあり、位置名詞語根に接尾してその方向に移動することを表す自動詞を形成する接尾辞 -n が間に母音を入れて awen入り込む]という aun/ahun と同義の言葉として用いられたが後に aun/ahun に集約されても用いられなくなり、アクセントの無い語頭の a が訛音として落ちて、元の意が忘れられて wen[悪い]というアイヌ語地名の音になっているのではないかという気がしている。

参考文献
北海道立近代美術館,後藤純男展,北海道放送,2002.
岸憲宏,海別岳五の沢,とっておき北海道の山,三和裕佶,東京新聞出版局,1995.
鈴木醇・石川俊夫,知床半島の地形及び地質,網走道立公園知床半島学術調査報告,網走道立公園審議会,1954.
渡辺隆,蝦夷地山名辞書 稿,高澤光雄,北の山の夜明け,高澤光雄,日本山書の会,2002.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
守屋以智雄,南千島と知床半島の火山,日本の地形2 北海道,小疇尚・野上道男・小野有五・平川一臣,東京大学出版会,2003.
北海道庁地理課,北海道実測切図「屈斜路」図幅,北海道庁,1895.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 下,北海道出版企画センター,1978.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.



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(2005年7月22日上梓 2017年5月16日山名考追加 10月6日改訂 2020年7月9日改訂)