ホロホロ山の位置の地図ホロホロ山(1322.1m)
コノエオサレベツ川

 かつては沢コースと言う夏道があった。

広域地図1
広域地図2

 道南バスの胆振線代替バスの三階滝入口BSで降りて旧道(一部は林道として再利用中)のアスファルトの上で前夜泊、三階滝すぐから入渓。道庁のホームページによると三階滝からコノエオサレベツ川には三階滝から取水施設辺りまで床固工されるようで、三階滝から標高550mあたりまで河床に沿って測量の新しい木票が見られた。今後、工事で川床が三面張りにされると思われる。標高500mほどで左岸に取水施設を見る。ここまで未舗装路が通じていて、ここから入渓すると30分ほど短縮できそうだ。

 自然を楽しむ三階滝の公園の上流を人工的に固めてしまおうと言うことか。


入渓直後の
様子

床固工で
埋められる準備

薄紫の霧の煙の上がる
滑床

 570mあたりから時々滑床が現れる。蒸した暑い空気に冷えた沢水が接して苔生した滑床に湯気が上がり、朝日が差し込んで幻想的な雰囲気だった。標高610mほどに高さ2m直瀑のF1がある。この滝は高さは2m程度だが、3mくらい前方にハングしていて滝壺巡りが出来る。滝の落ち口に立つと、この下に空洞があるのかとお尻がムズムズする。下流部の滝はこの一つだけだ。


F1

F1の下には大きな空洞

一旦伏流する

滝場にかかる

 620m二股は支流の左のほうが幅が広いが水量と本流は右である。800m二股の先の810m辺りで一旦伏流し、950mくらいで水が戻り、980mくらいから1080m二股まで大滝とも呼ぶべきほとんど一つのナメ滝(F2?)だが、集塊岩というか、丸い石の隙間を粘土で埋めたような岩であまりきれいな感じがしなかった。簡単に直登出来る。

 1080m二股で滝は終り、水流はホロホロ山と徳舜瞥山のコルに向かう右にのみあったが、右は水があっても両側からヤブがせり出しており、左は涸れ沢ながら開けていて歩きやすそうだったので左を行くことにした。

源頭部地図
F2

F2の岩

 ずっと開けた涸れ沢が続いて1250mまで楽に歩ける。途中に一箇所、15mほどの高さの岩場(涸滝)があり、これを直登するのには少し注意が必要だが巻き道が右岸にあった。1250mで沢地形は消失し、ここからは薄いヤブで1300mくらいのホロホロ山の北のコルに出た。薄いヤブだがハリブキが多く漕ぎにくい。


土の溝のような
部分もある

15m涸れ滝

道のように
草がない

沢地形の終点

 昔のガイドブックにあったホロホロ山・沢コースはコノエオサレベツ川の800m二股辺りから沢沿いだったように描かれていたが、これは自分が辿ったコースと同じで、1250mで突き当たってから一旦左に回りこんで北尾根からホロホロ山に登っていたのかもしれないと考えてみたりした。現在の地形図に北尾根の途中で消える登山道のように。


 ホロホロ山からは徳舜瞥山を経て日鉄鉱山跡登山口に下りたが、8年前に登った時よりオダマキがずいぶん少なくなっているような印象を受けた。この山のミヤマオダマキは人為的に種が蒔かれた移入種で在来の他の高山植物に影響が懸念されてきたが、抜き取りなどがなされていたのだろうか。自分でも「外来種は抜いてしまえ」と感情的な気分も起こったが、いろいろ誤解されると面倒なので止めておいた。徳舜瞥山の山頂には一株だったが白花のミヤマオダマキもあった。下界の店頭で見かけるのと同じ白花ミヤマオダマキは葉っぱの色も白っぽく、草丈も一回り大きく如何にも園芸種なので違和感があった。フランスギクも相変わらず多い。これも移入種で在来種への影響と自然本来の景観を壊すものである。


ミヤマオダマキ

白花のミヤマオダマキ

フランスギク

チシマギキョウ

★川名考

 コノエオサレベツ川という名はカタカナで長く書かれてアイヌ語のようにも思われるが、アイヌの時代にこの名の川はなかった。この川の名は近代以降の誤りが発端である。山田秀三の「北海道の地名」の中にその流れが書かれている。本来は現在の三階滝川が長流川の大支流としてシラウオイコヘノエオサルベッ「白老・に向かって・曲がっている・長流川」だったのに、三階滝川の和名が地図に記載されるにあたって、南側にあった三階滝川の支流に「コノエオサレベツ」と前半が省略されて、後半もあまり聞かない形で記載されることになってしまったという。

 コノエオサレベツでは本来のアイヌ語の音からも遠ざかり、省略される前の意味も為さない。コノエオサレベツ川も三階滝川本流同様に白老方面に向かっているとは言え、残雪期に標高の高いホロホロ山を越えて、曲がりくねって出コブの続くホロホロ山の東側の尾根から白老に向かうとはアイヌの人にしても現実的とは思えない。夏場でもホロホロ山からトドマツ川に下りるくらいなら三階滝川を遡った方が早い。長流川の名をオサレと書いたのも江戸時代の記録ではオサルやヲサルが多く、永田方正が聞いた時にそう訛っていたのか古老が説明したのか分からないが、永田地名解の中ではオサレはアイヌ語の「投げる」と言う意味とされ、投げるが如き急流だからオサレペッであると説明されているが、長流川がそのような急流でないのは見ればすぐに分かる。こうして川の名が変わっていくというのは何だか残念な気がする。

参考文献
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.



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(2008年8月13日上梓)