シララヌプリ(310m?)

 中頓別町にある明治時代の地図にその名があったが、今ではどこだかわかっていない山。現在の地形図を見てもその名はおろか、ヒントさえ載っていない。非常に美しい響きで復活させたいので、現地に行って探してきた。


★プロローグ

 明治24年北海道庁発行の北海道実測切図「枝幸」の図幅には兵知安川と茂兵知安川の間の尾根上に「シララヌプリ」の文字があった。そしてその箇所には小さな岩場マークが記されていた。アイヌ語地名と思われ、非常に美しい響きである。続く明治31年の陸地測量部発行の北海道仮製五万分一図(以下、仮製5万図)「ポロヌプリ」図幅(現在の「中頓別」図幅)でもシララヌプリの名は書かれ、ちょっとヘンテコな岩場マークが描かれていた。その位置は尾根上の真ん中であった。


北海道実測切図「枝幸」図幅(明治24年・北海道庁発行)より

 しかし現行の国土地理院発行の地形図には、この山の名どころか、岩場のマークすら、この周辺には描かれていない。シララはアイヌ語の sirar[岩]と考えられる。アイヌの人は山の名前より川の名前を付け、山の名前は川の名が移って呼ばれる例がままある。しかし、江戸時代に蝦夷地の各地を歩いて記した松浦武四郎は、頓別川流域について調査が少なく、明治の永田方正の地名解も頓別川流域がかなり手薄で、どちらを見てもシララの付く川の名をこの辺りに残していない(北オホーツク・宗谷地方は江戸時代終り頃の当時の日本人(和人)によるアイヌに対する搾取が蝦夷地の中でも特に苛烈で、その地に住む者を根絶やし寸前にまでしてしまっていたらしい)。シララヌプリは明治時代に永田方正とは別に道庁関連で採取された純粋に山の名前であるかもしれない。とすれば、描かれていないだけで岩はあるのかもしれないと考え、現代の手段で調べてみた。

 まずはお手軽なGoogle Earth。しかしこの付近は深い山間で都市から遠い為、画質が粗く、岩も樹木も全く識別できない。続いて、国土地理院のホームページから、測量の為の航空写真を見ようと考えた。しかし、なぜかこの辺りの航空写真は公開されていない。元々期待はしていなかった。以前、別の地形図の間違いに気が付いて、航空写真を国土地理院に実際に見せてもらいに訪ねたことがあったけれど、細かくて自分の目では何も識別できなかったから。ホームページからでなく実際に訪ねたら見せてもらえる可能性も残っているけれど、もうほぼ結論も出たので行かないと思う。

 仮製5万図と現行の「中頓別」図幅の5万分1地形図を見比べて、昔の地図は大雑把で誤っている箇所もあるので、川筋などを比較し、昔の地図のシララヌプリの位置は339m標高点からその300mほど南までの高まりの周辺と考えた。この予測を元に現地に行って見ることにした。

 周辺の三角点には「白楽山」の名が付いているものがあった。これはシララヌプリの名を受けたものかもしれない。しかし、位置がシララヌプリとは離れている。

 アイヌ語のsirar[岩]と言う単語は「波かぶり岩」と言うような意味で使われる例が多く、その為に誤って潮の満ち干そのものを表す言葉とされてしまったことも過去にあるもので、岩は岩でも水と関連の深い「岩」であるという。山の上では波をかぶることはありえない。しかしこのあたりの緩やかな山並み=山波の中に見えたり見えなかったりする岩であれば、海面近くで波をかぶる岩のようにsirarが使われてもいいかな、と想像を逞しくしてみたりする。


現行20万分の1「枝幸」地形図
(山旅倶楽部)より
他の地名は三角点の名

北海道仮製5万図「ポロヌプリ」
(明治31年・陸地測量部)より

★山行記

 道道120号線を兵安から歌登に向かい、山間部に入った白岩2号橋付近から入山。1/25000地形図にある通り、白岩2号橋の北詰から短い道路が左岸に分岐している。この先は採石場のようだが雪に覆われて稼動していない。もしかしたら採石場「跡」かもしれない。この道路をスノーシューで少し辿り、適当に尾根に取り付き、兵知安川と茂兵知安川の間の尾根に上がる。雪に覆われた斜面には作業道が見える。夏場もこの尾根に上がるのはそれほど難しくないのかもしれない。白岩2号橋の袂には白い岩がある。雰囲気がどうも石灰岩のようだ。帰宅して地質図を調べるとやはりこの辺りには石灰岩が分布している。採石場で採掘していたのも石灰岩だったのかもしれない。


白岩2号橋袂の白い岩

登りの途中で稜線を見上げる

登った斜面の様子

 尾根に上がると地形図どおり、尾根の上は非常に広々として平らである。339mピークがすぐに見えるが、目の前に岩はない。しかし南側に岩があるかもしれない。ガッカリしながらも諦めずに登る。東方には三角点「神居岳」748.9mがそびえている。後方には三角点「禿岳」493.0mがある。それなりに立派な山だ。


北方 三角点「禿岳(かむろだけ)」

東方 三角点「神居岳」

 339m標高点に立っても岩はなかった。南方を見渡しても岩は見当たらない。しかし西方には、そこだけ針葉樹の緑の目立つ岩峰があった。標高は339mよりやや低い。位置も稜線上ではない。しかし岩場はそこしかないようなので、行ってみることにした。


339mピークへの最後の登り

西の方に岩場が見えた

 40mほど標高を下げて、鞍部に達し見上げると10mほどの垂直の岩肌を持つ白い岩の20mほどの高さの岩峰であった。周囲は全て傾斜がきついが、北側は雪が溜まって段になっており裾を歩けるので北側を回り込み、西側に出てみると、傾斜がきつく岩の露出している部分も多いものの潅木の続く部分があったので、空身になって雪を削ったり踏み固めたりしながら足場を作り、潅木を掴んで頂上へ登ってみた。頂上付近はアカエゾマツが密生する狭い岩場の上だった。あまり展望は開けないが、ここから339m標高点の南側に連なる稜線を見ても、やはり岩場はない。ハンディGPSでは標高312mを示していた。2mは積雪があったと考えると標高はほぼ310mであろうか。地形図では290mの等高線までしか描かれていない。

 この岩峰がシララヌプリだったのではないか。この339m標高点の稜線は標高点は打ってあっても、どこにも山らしいピークはなく、339mピークももちろんヌプリと名づけられるとは到底思えない扁平で、しかも他の稜線と一体化している姿である。その地点が同じ稜線上の北方の344mピークや南方の三角点「白楽山」386.4mピークより低いなど、この稜線の最高地点でないことと、1/50000地形図でヌプリと付けられるほど等高線で山の姿でないことは明治の地図でも誤りなく認識している。しかしその上に明治時代の地図に岩場マークと共に岩場を意味するsirarの音をつけた「シララヌプリ」と記された。昔の調査は川筋の測量と川筋からの見通しと聞き取りが主体であっただろう。地図上での山としての存在感は今も昔も弱いが、稜線に登って岩峰を目の前にすれば位置も姿も山らしい姿である。明治の測量人は稜線まで上がっていまい。冬の測量では寒さで移動と作業が困難で、強烈なネマガリタケの広がるこの辺りを夏場は川筋しか歩けない。自由な残雪期はごく短い。川筋を測量しながら案内人に「この上の稜線は平坦で広いが、とても大きな岩が一つありシララヌプリと呼ぶ」と案内人のアイヌから聞き取ったのではあるまいか。

 前述のようにsirarは地名では川の名前、特に河口や合流点における波をかぶる岩として「岩」と使われる例が多い。岩の多い兵知安川では波かぶり岩は多く見られるが大支流である茂兵知安川が別にある以上、本流である兵知安川をsirar petの類で呼ぶ意味はないし、波かぶり岩が多過ぎて、シララヌプリの周りの支流を同様に呼ぶことも識別の意味がない。そして山上にはポツンと識別対象になりうる岩峰がある。

 中川裕著アイヌ語千歳方言辞典にはsirarの項の用例としてシラ ヌプリsirar nupuri「岩山」が載っている。シララヌプリはアイヌ語のsirar nupuri[岩・山]と考えて良さそうである。或いはsirar e- an nupuri[岩・そこに・ある・山]かとも考えてみる。


鞍部から岩峰を見上げる 木が多い

狭い山頂

 下山後、兵安の南方の神崎地区からこの岩峰を見上げてみたものの、それほど目立ってはいなかった。一度は名前が消えてしまっても仕方ないピークである気もした。


★おまけ カムイヌプリも見つけた

 自動車で白岩2号橋をあとに兵安方面に走っていると前方に岩峰が見えた。非常に鋭い。これが道庁20万図や仮製5万図にある「カムイヌプリ」であろう。やや北方の三角点「禿岳」の読みが「かむろだけ」で「カムイ」に似ていたり、西方の三角点「神居岳」は、「カムイ」であったりして、これらの位置にカムイヌプリの指す位置はどこだったのだろうと疑問に思っていたが、この岩峰を見て本来の「カムイヌプリ」はこの岩峰(地形図では254m標高点)で間違いないと確信した。これはほぼ間違いあるまい。しかし、三角点「神居岳」はそれなりに立派な山であるだけに、これはこれとして「カムイヌプリ」だったかもしれないと考えてみる。


北海道仮製5万図「ポロヌプリ」
(明治31年・陸地測量部)より

南東から見上げたカムイヌプリ

カムイヌプリ地図

 禿岳(かむろだけ)は、このカムイヌプリなどが坐す山体としてkamuy e- rok[カムィ・そこに・座る(複数形)]の音に当て字されたのかもしれないと考えてみる。

 この岩峰も石灰岩であろう。白岩2号橋の「白岩」は白い岩も袂にあったが、シララヌプリの音を受けて、なおかつ白い岩もあるので付けられた名前かもしれないと考えてみる。



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(2007年4月6日上梓)