大天狗岳 (567.1m)
だいてんぐだけ
小平蘂川 十五線沢(サンパオマ)左股

 天塩山地の前山。長城のような岩壁は天狗の名にふさわしい。密生するヤブも天狗の名にふさわしい。天塩炭田の夢の跡も興味をそそる。


 千曲橋から林道を遡る。天塩山地に多い、泥で湿った感じのする林道である。林道脇にはエゾコザクラが多く咲いていた。

 林道は比較的新しく改修された形跡を最後にヤブに還って辿れなくなる。地図上では後、数百mは続いていることになっているが地図上の道の最後までは辿れない。

 入渓するとまず、水が濁っているのが目に付く。白濁していてとても飲む気にならない代物である。これはここの地層が白亜紀後期や第三紀の固結度の低い泥岩などからなり、泥の粒子が水流に浮いているのが原因のようだ。夕張山地の三笠ダム桂沢湖や芦別ダム芦別湖が濁っているのと同じ理由である。

 また河原には普通の小石に混じって真っ黒な石炭が転がっている。他の石と同様に研磨されて、那智黒のような丸くツルツルの外見になっているのが面白いが、砕いてみると簡単に砕け、やはり石炭である。これだけ立派な石炭が転がっていると言うことは、まだ有望な炭田が眠っているのでは?といぶかしみながら進むと突然、コンクリートの建造物群が左岸の河畔に現れる。

 どうやら石炭を貨車に積み込む為のホッパーの跡のようだ。奥には貯水槽や大規模な法面被覆ブロックなどがあり、石炭鉱山の積み出し場の跡のようである。ということはここまでは、昔は鉄道が通っていたと言うことなのだろう。帰宅後、Wikipediaなどで調べてみると、昭和40年代まで留萌から達布まで天塩炭砿鉄道、昭和30年代まで達布から先は達布森林鉄道というものが小平蘂川に沿って運行していたらしい。それらの支線でもあったのだろうか。ここは既に天塩炭砿鉄道の営業エリアではなく達布森林鉄道のエリアであるが、森林鉄道でも石炭も運んでいたのだろうか。河原に落ちていた石炭はこの石炭積み出し列車からこぼれ落ちたものかもしれない。アプローチの林道も勾配が一定で緩やかに作られていて、嘗て鉄道が通っていたことを感じさせた。小さなSLが石炭を積んだ貨車を引いて、この今は無人の山奥をコトコトと運行していたかと想像してみると郷愁感に堪えない。

 明治30年発行の北海道実測切図にはこの辺りに炭鉱のマークがあったが鉄道は描かれていない。昭和33年発行の地質図を見ても、この地に廃坑を含め炭鉱のマークや名は記されていない。いったい、どのような歴史があったのだろうか。

 岩は柔らかくスパイク足袋でも滑らない。


石炭の混ざった河原の石

炭鉱ホッパー跡

 ホッパー跡より上では河原に石炭は見られなくなる。やはり先の石炭は貨車からこぼれたものなのだろう。そのかわり、恐竜の卵のような真ん丸なノジュールが時折転がっているようになる。化石で有名な小平蘂川流域、トンカチを持ってこなかったのは迂闊であった。サイズは15〜30cmくらい。

 斜面崩壊由来のような雪崩斜面を何度か過ぎ、1mほどの川幅いっぱいの小さな滝(F1)を越えるとまもなく190m二股である。二股は両方とも小さなナメ滝になっていて、右股は小さな甌穴が連続しておりかわいらしい。水が澄んでいれば、さぞかし美しいのであろうが濁っていて甌穴や滝つぼの底は見えない。


沢の様子〜滑床も少しある

F1

二股を左に入る

右股の甌穴

 左股に入ると川幅が狭まって両岸が切り立ってくるが、ゴルジュやいやらしい滝が現れたりすることはない。小さな斜面崩壊の土砂が堆積した狭い谷間が何度も現れる。こうした柔らかい土の上は山菜が多い。稀に左からの支流では水が澄んでいるものもある。よく見極めて汲むべし。240m二股では初めて大天狗岳山頂直下の切り立った崖が見える。崖はどうもハングしているようだ。

 最後に傾斜が掛かってくると雪渓が現れ、これが370m付近まで続いていた。370m付近は三股になっており左と中の間の尾根に取り付いて潅木と草原を登っていった。右と中の間の尾根でも登れそうだった。


二股から先の沢の様子

最後は雪渓登り

大天狗岳東壁

 尾根を登るにつれ大天狗岳の山頂付近が再び見えてくる。190m二股で右を採れば、山頂への最短ルートだが、ここから見る限りそのルートは無理のように思われる。

 途中から急傾斜の草原から潅木林に変わるが、それほどのヤブを漕ぐことなく稜線に飛び出す。稜線上はしばらくは薄いヤブだが、傾斜が掛かるにつれヤブが濃くなり、500mを超えると猛烈なネマガリタケのブッシュとなる。崖のすぐ脇なら地下水が回らずヤブが薄いかと期待して崖に寄ってみるが、水を保ちやすい泥岩由来の土壌な為か、崖を回りこんでまでヤブが同じように茂り、全くの徒労である。

 最後に小さなコルを越えて、もう一踏ん張りで長いヤブ漕ぎにピリオドを打つ。しかし、三角点はネマガリタケに囲まれたヤブの中で展望はそれほど望めない。西方には苫前町の風力発電を、北方は小天狗岳(575m)の大天狗岳と似たような姿を木の間越しに見ることが出来る。


大天狗岳北方の575m峰は
「小天狗岳」と地質図に
載っていた

 東側の急斜面のヤブの下に露岩が見えているので少し降りてみるが、次第に薄くなる植生につかむものがなく、あと少しが恐くて降りられず、露岩の上に立つことは叶わなかった。しかし、南方の白鳥山から、三頭山、釜尻山、小平蘂岳の天塩山地主稜線をすっきりと見ることは出来た。


★川名考

 十五線沢は明治時代の「北海道実測切図」では「サンパラマ」というアイヌ語地名が記されていた。現在の天狗山(376.0m)は「サンヌプリ」でsan nupuri[棚・山]、天狗の滝北東の374m峰が「ポロサンヌプリ」でporo 〔san nupuri〕[大きくある・棚・山]かと思われる。天狗山から天狗の滝を経て北東に続く崖地形を小平蘂川沿いを移動するアイヌの人々がsan[棚]とみなしたものかと考えてみたが、天狗山は細長いが棚のように平らになっているわけでもなく、その名がその位置で正しいのなら何か別の解釈を、位置が間違っているのなら本来の場所を考える必要があるように思われる。松浦武四郎の東西蝦夷山川地理取調図の草稿である川々取調帳にはサンパロマプが下流側のサンウトロマプとサンケシヨマプと共に描かれている。十五線沢はsan par oma p[棚・の口・にある・もの]で、天狗の沢(滝の沢)がsan utur oma p[棚・の間・にある・もの]、石炭沢がsan kes oma p[棚・の下端・にある・もの]のように思われるが、サンをsan[棚]としたのは暫定である。

現行地形図 石炭沢川 天狗沢川 十五線沢川
東西蝦夷地大河之図
(今井八九郎)
サン サンバ サンバヲマフ
川々取調帳
(松浦武四郎)
サンケシヨマプ サンウトロマプ サンパロマプ
北海道実測切図
(北海道庁)
サンケショーマ ポロサンウトロマ サンパラマ

 明治時代の北海道実測切図でサンパではなくサンパとなっているのはなぜだろうかと思っていたが、今井八九郎のヲベラシベ川の図には十五線沢と思しき位置に「サンバヲマフ」とあった。san pa oma p[棚・の上手・にある・もの]かと思われる。この図か写したものが何らかの形で道庁に入り、ヲがラに読まれたのではないかと思う。山田秀三は地名を検討する際にはなるべく古い資料を当たるようにとしている。今井八九郎の東西蝦夷地大河之図は天保3年から5年(1832年から1834年)の測量の成果なので、松浦武四郎の安政3年から4年(1856年から1857年)の聞き書きの手控である川々取調帳より古く、重きを置きたい気がする。

 だが、東西蝦夷地大河之図のヲベラシベ川では川々取調帳のサンケシヨマプに相当しそうな川がサンと、サンウトロマプに相当しそうな川がサンバと書かれて、その次がサンバヲマフである。サンやサンバは川の名として記されているが、サンに対してサンバがあり、サンバに対してサンバヲマフがあるのを見ると川の名ではなかったのではないかという気もする。

 また東西蝦夷地大河之図ではサンの下手の本流左岸にベンケケ子ヘツが描かれ、これが中記念別川のことなら右岸と左岸でずれているか、順序が狂っていることになる。ベンケケ子ヘツは山越えで石狩川枝川のイタヱベツに行くように注があるが、イタヱベツが山越えルートとして有名な恵岱別川のことならおかしな書き込みである。ベンケケ子ヘツの下手本流左岸には「カムイテシ 岩山」が鋭く描かれているが、小平蘂川筋の中流でカムイを付けて呼ぶ岩山があるとしたら天狗山以外に考えにくい。この図は注意して見る必要があるように思われる。この図か類似のものを参考にしたような印象の北海道実測切図も疑ってみた方が良いようにも思われる。川々取調帳ではパンケケ子ベツとペンケケ子ベツがサンパロマプの上手で右岸支流として描かれており、こちらも注意して見る必要がある。

 更に考えたい。

参考文献
北海道庁地理課,北海道実測切図「鬼鹿」図幅,北海道庁,1897.
松浦武四郎,秋葉實,武四郎蝦夷地紀行,北海道出版企画センター,1988.
谷澤尚一・佐々木利和,今井八九郎の事蹟 ―東西蝦夷地大河之図を中心に―,pp58-92,42,北海道の文化,北海道文化財保護協会,1981.



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(2006年6月19日上梓)