矢筈岳の位置の地図
矢筈岳の写真
矢筈岳(134.5m) 番屋峰(166.5m:未踏)

 屋久島の北の端、一湊の港を太平洋の荒波から守る山。

矢筈岳遊歩道・・一湊の矢筈キャンプ場駐車場から北峰とのコルまでは荒れたアスレチック広場なので何とか歩ける。しかし道ではなくヤブの少ないただの斜面として。コル手前には大きく立派なガジュマル(アコウかも)があり、そこより上の斜面は完全にヤブ。1m以上に立ち上がった沢山のクワズイモが人の往来の少ないことを示している。北峰には携帯電話のアンテナがあり、その点検の為かコルから弱い踏み跡があった。展望はどちらもヤブに覆われていてない。北峰の方が本峰より高いように感じたが三角点は南峰にある。2002年10月登頂。

矢筈岳の地図


番屋峰の地図一湊番屋峰遊歩道・・・一湊地区のパンフレットに載っていたが入口がどこだか分からなかった。パンフレットでは大浦温泉に至る道の途中のT字路(右は車道としてはすぐ行止り)になっている部分から遊歩道があるように描かれていた。しかし、そこと思われる辺りをうろついてみたが、ススキ(ダンチクかも)の深いヤブばかりで突入が憚られた。また、一湊の街側から山腹まで地形図(2004年現在)には車道のマークがあるが、その位置は少し実際と異なっている。中腹の上水施設まで車でも登れる道があり、大浦温泉側に回らずに人の多い一湊集落から直に上がる道もあるはずだと思い、上水施設から上側に踏み跡がないか探してみたが見なかった。雨が降っている中のヤブ漕ぎはつらいので登頂は断念。一湊のお年寄りに聞いてみたが、子供も大人も近年登ったと言う話は聞かないとのこと。山頂にはサバ節工場関連の施設があるという噂。

 番屋峰という名前は一湊、屋久島以外でも集落のそばの小山でよく見かける名前だ。魚群や怪しい船の接近を監視する小屋があったからこの名前なのだろう。

と、思っていたが、以下参照。


(補記2005/6/17)

 屋久島の番屋峰に関しては、魚群を見つけること故の番屋ではなく、船の出入りを見張る為の番所が「番屋峰」の由来であると言うご指摘を屋久島一湊御出身の木村秀海さんからいただいた。

---以下、掲示板からの転載(メールアドレス部分等は削除)---

644】 屋久島の番屋峰について 木村秀海  2005年3月24日

 はじめまして。偶然に貴ホームページを見て、屋久島出身でもないのに、これほど屋久島に熱心な方が居られるのだと思い、屋久島出身者として感謝しました。

  わざわざメールをお出しした次第は、貴ページに番屋峰を「番屋ヶ峰」云々と記述されておられるのが気になったからです。一湊の海から立ち上がっている小山は小字名を番屋峯(峰)といい、山の名も同じで「ヶ」は付きません。また頂上にサバ節関係の建物跡があるとされていますが、そうではありません。ほどんど知られていませんが、一湊には薩摩藩時代の末期に津口番所(つこうばんしょ)が置かれ、この番屋峰山上には外国船や密貿易船を見張るための番屋が建てられていました。詳細をお知りになりたいのであれば、上記の関西学院大学の私の研究室あてにメールをください。

661】 再々番屋峰について 木村秀海  2005年5月4日

 屋久島の港は永田・一湊・宮ノ浦・安房・栗生の四港が大きく、薩摩藩の「寛政上使御答書」には宮之浦村、長田村、栗生村(この村は集落という意味ではなく町村の村に近い)に津口番所があったと書いています。しかしこれは寛永年間であって、幕末には番屋峰があったところにも津口番所があったのですが、密貿易関係の文書は廃藩置県の際に大山綱良によって焼かれてしまいました。宮ノ浦と安房の番屋峰が港近くの小高い処にあるのは船の出入を監視していたからです。一湊と口永良部本村が密輸の根拠地だったことは最後の屋久島奉行の子川上久良の調査地図「密貿易所たりし熊毛郡上屋久村口永良部島全図」(貴重図書)が鹿児島図書館に残っており、それについての論文が『南国史話』(平凡社)などの外に3本もあります。

 魚群云々はトビウオ漁のときに海岸部の山腹から海が 産卵によって白濁するのを見張っていたのと混同されたのでしょう。これは一湊でも複数の山や小高い処で実施されていました(勿論番屋峰でも)。屋久島はカツオ・サバ・トビウオがとれなくなってから寂れて、昔の面影は全く無くなっています。一周道路の建設や石切場の泥で自然も破壊され、見る影もない有様です。海や川がきたなくなったのには憤りさえ覚えます。

---転載終わり---

なるほど、ありがとうございました。


 「屋久島一周 里のイラストマップ」(2006)を見ると一湊のパンフレットより写実的な(地形図に近い印象の)番屋峰の遊歩道らしき点線が描かれていた。T字路の所から北斜面をトラバースして北西から詰めて番屋峰に登るように点線が描かれているが、イラストマップなので地形図に落とすのは難しい。辿りやすい尾根伝いに番屋峰遊歩道があったのでないかと考えていたが、里のイラストマップの点線の印象を地形図に落として推定としておく。

参考文献
松田好行,屋久島の自然,八重岳書房,1977.
田中ミエ,屋久島一周 里のイラストマップ,生命の島,生命の島,2006.



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(2004年2月4日上梓 2022年4月11日改訂)