理科と社会の本
理科が好きです。




自己決定権は幻想である・・・小松美彦/洋泉社
 自己決定権は確かに幻想かもしれない。人間と言うものが、自分ひとりでは生きられないと言うことを忘れているから「自己決定権」と言う言葉が出てきたのかもしれない。しかし、これを突き詰めると「権利」というものが全て根拠を失うような気もしてしまう。近代合理主義・民主主義の根拠となる天賦の自然権のようなものをどう考えるべきなのか、ちょっとわからなくなってしまう。インフォームドコンセントなんかも自己決定権という幻想に抱かれたタテマエの儀式のような気がしてきた。

 関係性。全ての人は全ての人の中に存在し、その存在が時空全ての人に影響を与えると言う考え方は量子論にも似ている。その人の存在はカラダという境界の内側でとりわけ存在確率が高まってはいるけど、存在の位置は完全には決定し得ない。自分探しなどムダと言うことだ。また、自分の存在は世界中の人に影響するどころか、過去の人にも未来の人にも影響を与える。不確定性原理によって存在位置と運動は同時に決めることが出来ず、量子の波の存在確率は全空間に広がり、その存在は過去の状態にも未来の状態にも影響を与えるという量子論と同じだ。近代合理主義もようやく素粒子レベルに追いついたということか。

 書き方に文句を言わせていただくと、前半は言葉が練られ過ぎていてややわかりにくい。後半は著者が熱くなり過ぎている。しかし、熱さが社会への危機感と言うことは、自分もまた感じていた危機感と共通するだけに「言わなければならない」と言う思いでは共感できた。それを自分よりは上手に表現してくれた著者には感謝する。(2007年5月13日)

ミトコンドリア・ミステリー・・・林純一/講談社ブルーバックス
 ミトコンドリアって丸くて小さい静かなモノかと思っていたけど、動いたり伸びたり縮んだり繋がったりする代物だったらしい。高校や大学一般教養レベルの生物学知識では時代遅れらしい。 それぞれのミトコンドリアDNAは遍在で働いていて、核DNAとは全く異なる仕組みで働いていて、想像以上に高機能だということが分かった。

 著者が呼びかけるように共生を決めたミトコンドリア由来の核DNA(ミトコンドリアが核に預けたDNA)が、ミトコンドリアの中に残るミトコンドリアDNAのあり方のほうが幸せっぽいからミトコンドリアの中に戻ったり、真核生物のDNAをミトコンドリアDNAのように遍在協力型にすることは、DNAのサイズが大き過ぎて実現出来ないと思うけど(それ以前にそこまで介入も出来ないよね)、生物はこういうものだと決まっているというわけではない、という固定観念を破る必要は人間の生活に必要だ。 硬直化して誤った印象を与える知識を再生産している教科書制度って何なんだろう・・・。新しい知見を常に学び、そのあり方を覚え、また糧にしていくことが人間が心豊かに生きることに繋がる気がする。(2007年5月13日)

言語の脳科学・・・酒井邦嘉/中公新書
 言語って人間だけが獲得した本能的な機能だったのだ。チンパンジーとの1%くらいのDNAの差というのはきっと体表の様子とかだけじゃなくて脳の中に 言語機能を持たせられるかどうかなんだね。空を飛べなくても文句言えないと思った。言語機能は局在と言う話が何度か出てきたけれど、今まで絶滅していった他の人類では、この局在している機能の一部しかなかった人類と言うのもいたのだろうか?

 現在の脳科学がおかれている具合、探究の進み具合が理解できた。しかし、チョムスキーの生成文法は結局よく分からなかった。著者の「前著」を読まなければならないのかも知れない。

 見えないものを見えるようにしてきたのが科学で、脳が完全に見えるようになるまでにはまだまだ達していないんだね。人類の科学の究極なんてまだまだ口にすべきでない。 言語学が脳の生理学を通して客観的・具体的に明らかになっていく。言語学のみならず社会学のような学問もいずれ、こうした形で少しずつ不可知だった部分が切り崩されていくのだろうか。その道はこの著で描かれるような遅々としたペースのままかもしれない。しかし、フロンティアはまだ残っている。人間の可能性に閉塞感を持つのは早すぎる。(2007年4月6日)

プリオン説は本当か・・・福岡伸一/ブルーバックス
 この著者は狂牛病は証拠は見つかっていないし明言もしていないがウィルスによるのではないかと考えているようだ。 科学の最前線をめぐるお話はわくわくする。分かりやすくて面白い。プリオン説提唱者プルシナーはこのことでノーベル賞も貰ったけれど、ノーベル賞をもらえれば正しいってもんでもないんですかね。 日本の科学者がノーベル賞をもらえないのは、基礎研究が軽視され応用ばかりやっているからというような批判もあるが、この本のプルシナー受賞のくだりを読むと、日本に欠けていたのは基礎研究ではなくノーベル賞をもらうためのロビー活動だったような気がする。 それでもらえるノーベル賞なら日本の科学者はノーベル賞をもらうために奔走しなくてもいいような気がする。ノーベル賞至上主義にはこれからは与すまい。また、生物学系研究者の肉体的に大変な研究生活についても改めてよく分かった。一聞には信じられないほど多くのマウスやラットの命を犠牲にして人間が狂牛病で苦しむ恐怖から解放されるべく日々きつい肉体労働で研究している人々がいるのだ。

 アメリカの狂牛病検査体制はやはり怖いという印象を改めて強く感じた。科学的以前に倫理的に感情的に信じられない。そんな自分が理性的ではないとは思うのだが・・・。(2005/3/17)

泡宇宙論・・ 池内了/ハヤカワ文庫/\580/1995.8.20
 泡宇宙に限らず宇宙論の最新がわかりやすく書いてある。大宇宙は泡構造であるということを身近な例から説明している。ビックバンの爆発や超新星の爆発のなごりだそうだ。きのこ雲のようなものだね。
 わかりやすく面白く、学問的にもソツのない文章だ。最後の方で若干、専門用語の説明が足りなくなっている感じがした。でも問題ない。
 勉強になったし天文学に疎いあまいものこでも作者の感じているロマンの片鱗を一緒に見ることが出来たように思う。「ゾウの時間ネズミの時間」などと共に現代のサイエンス読み物の白眉と言えるだろう。

毒草を食べてみた・・・植松黎/文春新書/\690/2000.4.20
 何が偉いかって、掲載されている毒草を実際口に入れて検証している所が偉い。今は無き科学雑誌「クォーク」に連載されていた頃は、美しいボタニカルアートの挿絵も良かったが、文章だけでも十分美しさが伝わってくるのに驚いた。やはり自ら体験したことのみを語るのが科学の第一歩だよなと思う。もちろん初めて食べて絶命した人の尊い犠牲があってこそだが、歴史の中で時々こうして再検証することは忘れっぽい人間にとって犠牲を伴っても必要なことでないかと思う。私はジャガイモの芽のソラニンでギブアップした。あんなに頭痛がするとは思わなんだ。毒と知らずに味見してしまったものは他にもあるが、自らの知識の無いものを口にする時は、この人を見習ってごく少量にして、あわてて飲み込まないようにしようと思います。(2004年5月)

ウイルス進化論・・・中原英臣・佐川峻/早川書房/\560/1996.7.31
 ウイルスは病原体ではなく、本来、我々生物の一器官で進化の為のDNAの変更を速やかにその時点で生きている生物に広めるものだと言う説をわかりやすく説明している。病気を広めてしまうのは、そうした器官としてのウイルスの故障・不具合によるものだという。そしてダーウィン進化論の矛盾をついて今西錦司の進化論を元に、生物はウィルスによって発展してきたと言う独自の進化論を展開する。確かに他の今西進化論の本とは進化論が少し違うようだ。しかし、書き方が上手なのでこのウィルス進化論が全く正しいような気がしてしまった。
 何でも悪い奴は撲滅してやりゃいいと言うのは確かに暴論であり、一見無用に見えるものにだって意味があるという、人生論的な意味も読後に感じた。また、ウィルスが種間を越えて遺伝子を移動させると言うのも宇宙船地球号的美しさを感じた。(2004年5月)




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