白草山

 裏木曽の小郷から拝殿山、今の三国山、鞍掛峠を経て御嶽山に至る国境稜線の尾根伝いの道と九つの土塚が、享保14(1729)年に飛騨側から信濃側に入っての伐木「切越」を抑止する国境線の明確化の為に稜線の「伐明ケ」(掘り下げ・刈り分けなど)と共に尾張藩の御山守によって設けられていて、一番目の倉掛峠(鞍掛峠)に続いて二番目の土塚が白草山付近にあった。尾張藩の松平君山や水谷豊文も辿った御嶽山までのこの国境稜線の道の北半分は昭和一桁頃に下呂温泉宿泊者向けの御嶽山登山道として下呂温泉湯之島から尾根伝いに寺田小屋山などを経て剣ヶ峰まで再整備されたようだが、長大さが敬遠されて大部分は早々に廃道に戻ったようである。今の鞍掛峠からの廃道化しつつある三国山登山道と白草山登山道と、白草避難小屋から箱岩山までの縦走路は御山守の道の名残である。

★御厩野コース

御厩野コース地図1
御厩野コース地図2
御厩野コース地図

 濃飛バス加子母線で御厩野下車。御厩野の集落から白草山が大きく見える。鞍掛峠が鞍を掛けたように下がっているのも見える。神明から更に登って墓地の脇を回り込むと森の中の道となり日陰で休まる。舞台峠と黒岩登山口の辺りを結ぶ山腹の林道を横断して、登山口の 400mほど手前の御厩野川の一の谷橋の袂から川辺に踏み跡があるので入って奥の左岸の枝沢で水を汲む。この狭い谷間となって最初の比較的大きな枝沢の谷の名が一の谷なのかもしれない。橋の袂に数台分の駐車スペースがある。

 更に400mほどで登山口。登山口には2台分の駐車スペースがある。林道の更に70mほど先に路肩の広い所があって自動車が数台は停められそうである。


御厩野から白草山と鞍掛峠

一の谷橋

一の谷橋奥で沢水を汲む

登山口

 登山口からヒノキの植林の急斜面に付けられた細い道を斜めに登っていく。一回ジグザグを切って 1160 で尾根に出るとその辺りだけ低い笹地で明るい。ここからしばらく尾根線を登る。地形図で見ると斜面の等高線の密度が高いのでこの尾根も急登だろうと早合点してしまっていたが、尾根自体は長尾根で尾根線の傾斜は実は緩い。

 1260mで地形図にある尾根線に忠実な登山道と違って右手の斜面に入る。左手の斜面に入る道型も分岐しているが、ヤブなので少し入ってみて様子を見ることもせず右手に進む。1295.9mの四等三角点「中尾」の所は小さな尾根の鼻で谷側の木がなくて御厩野と小郷の展望がある。三角点の測量の為に木を切って除いているのだと思う。三角点は道の山側にある。この2005年選点と新しい三角点の測量もこの道で上がって行われただろうに、地形図の登山道の位置の記載は直されないものなのだなと思う。


急斜面の道

1160付近 笹地

緩い長尾根

1260 から右手斜面へ

横手道となる

三角点「中尾」の元へ

三角点「中尾」から
御厩野と小郷展望

道の山手側に
三角点「中尾」

三角点「中尾」は
 新しいタイプの標石

 鼻で曲がって更に横手道を登り、1345m標高点のコブの西の鞍部の脇に出ると北側から沢の音が大きく響く。源頭で水場になっている北側の沢の水量が多いようである。鞍部からわずかに登るとその沢の方に入っていく古い道型が分岐していたが、笹薮が被っていたので中には入らず先に進む。歩きやすい緩やかさのまま一登りで主稜線上に戻る。

 先の主稜線上も緩やかだが、だいぶ高いところまで来たので周りの尾根がなくなって植林下でも明るい感じがしてくる。1470m辺りで正面に四角い天狗岩が立ちはだかり、左脇を抜ける。天狗岩は4-5mの高さの立方体のような印象の巨岩で南面と西面は壁のようだが北面は崩れており登れる。上面も立方体のように平らだが、周りの植林の背が伸びてきているようで、展望は小郷から小秀山方面のみで、白草山の方は見えない。


1345mコブ鞍部の先
右手の谷の方へ分岐

谷の方へは
笹が被っていた

明るく
なってきた

天狗岩現る

天狗岩

天狗岩北面

天狗岩上面

天狗岩から小秀山方面

天狗岩から小郷方面

 天狗岩の先でまた右手の横手道となる。ごく緩い斜面で横手道にする必要はなさそうな感じだが、すぐ先の水場に寄り易くする為の横手道のようである。標高1510mの水場は道から右手に15mほどまっすぐ下りた所で、水が流れているのは道からも見える。下り立ったところで湧いている湧水である。登山日前に続いていた長雨の影響もあっただろうが、豊富な水量であった。

 水を汲んで道に戻って緩い樹林の斜面を登っていくと、1559m標高点のコブの北東で笹原に出る。皿の底のような笹原である。笹原を横断するのは50mほどで再び樹林に入り緩やかな斜面を登りほぼ平坦となった先に避難小屋のプレハブとトイレが見えて突き当りである。避難小屋の所が鞍掛峠コースとの合流点である。避難小屋は扉が壊れて閉められず、床が抜けていた。


水場下り口

水場

笹原に出る

笹原

避難小屋が見えてきた

避難小屋前左折

 避難小屋前の突き当りを左折する。避難小屋の前後の50mは本当に平坦なところである。避難小屋から50mほど進んで緩い尾根の傾斜を登る。尾根線は溝状の窪みに道があるが、御山守の掘り下げなのか雨裂なのか、この辺りははっきりしない。1590m辺りで東側の笹の丈が下がり御岳山が見えると、道の西側に白草土塚がある。白草土塚は高さ1.5-2m(基底面が水平でない)、直径6mほどの円形の土盛りで外縁に30pほどの高さで石積みして裾を固めている。頂には御料林の標石が立っている。

 白草土塚から先の登り道では今の踏み跡の西側に藪で見えにくいが明瞭な御山守の切明ケの掘り込みが並行している。その掘り込みも登るにつれて今道以外の周りの藪が濃くなって見えなくなり、何らかの林業上の措置なのか右手の笹薮に格子状の刈り分けを見ると白草山山頂広場に出る。御嶽山が大きい。


白草土塚
道の北側から

白草土塚
横に入って見る

土塚頂の
御料林の標柱

土塚の裾が
石で固めてある

御山守の切明ケの
掘り込みが平行

山頂から
御嶽山

★山名考

 御厩野の字限図によると小字白草は御厩野コースを登って水場の辺りから上で避難小屋の辺りを含む緩傾斜地のようである。

 御厩野川(竹原川本流源頭)沿いの急斜面の上に広がる緩斜面地の広がりということの、「ひら(枚)・かさ(上)」の訛ったのが「しらくさ」と考える。

参考文献
太田尚宏,尾張藩「御山守」の職域形成と記録類,pp1-25,14,国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇,国文学研究資料館,2018.
樋口好古,平塚正雄,濃州徇行記,一信社,1937.
松平秀雲,吉蘇志略,信濃史料叢書 第4,信濃史料編纂会,信濃史料編纂会,1914.
水谷豊文,木曽採薬記 2巻,国立国会図書館蔵写本(特7-89)デジタル資料.
久保太四郎,日本に名所が又一つ:下呂温泉と飛騨案内,小田垣印刷所,1932.
小島一祐,信飛国境の峠と山 ―その歴史的研究―,pp12-20,34,山と渓谷,山と渓谷社,1935.
下呂町史編集委員会,飛騨下呂図録,下呂町,1980.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.



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(2021年9月20日上梓 2023年1月22日URL変更)