関谷峠

 地形図(2022年現在)の道の位置が少し違うのでページを作ってみる。飛騨側からは木曽街道/鎌倉街道/江戸街道である。木曽側では飛騨街道である。


広域図

峠付近拡大

 2012年の訪問時は長峰峠に向かう国道361号線の関谷峠の入口となる所に小さな関谷峠の標識があったが、2022年には見なかった。関谷側から見ていく。

 国道361号線から入って未舗装の路盤を進むと一度上手の谷筋に入る道を分けて、その上手の谷川を橋で渡った所がT字路になっており、右がアスファルト舗装で関谷の西又川の左岸に続いており、左は地道がまっすぐに山に向かっており、左に入って山に突き当たった所から森に入り、斜面を緩やかに登り始めて南側の谷筋に入る。この谷川を渡って山に突き当たるまでは道が直線で構成されていて未舗装でも新しい感じである。西又川の護岸工事などに合わせて圃場整備された、古い道から切り替えられた道と思われる。古い地形図だと上手の谷筋へ入る道を分けた辺りから山際を巻いて登り始めの所に至ったようだが、登り始めの所から北側に伸びる古い路盤があるものの短く、橋で小沢を渡って上手の谷筋へ入る道より下手の耕地跡を巻くように続いていたようである。上手の谷筋に入る樹林下の道に入ってみても道の分岐のようなものが見当たらない。

 大きな谷の右岸の高い所をゆるゆると登っていく。2012年も2022年も道にヤブは殆ど掛かっていなかった。谷筋が二股になり、まず左股に入って渡り、中尾を巻いて右股に少し入って折り返し、中の尾を何度かジグを切って右股右岸斜面を幅広の道で登る。峠が近づいて空が明るくなり、峠直下でまた何度かジグを切って峠に着く。中の尾に取り付いてから幾つかはっきりした古い路盤の分岐を見る。一つは右股を詰めた先から上がってくる路盤で、次は左股を詰めた先から上がってくる路盤であるが、右股も左股も下の方は路盤が残っていないように見える。水のある谷詰めの道は分かりやすいけれど荒れやすいので、なるべく水流から離れるのを早くするように切り替えられてきたのだと思う。続いて峠直下からジグを切らずに直登する掘り込みの古い路盤である。峠直前で右に分岐する路盤は今の峠の100mほど南の広く緩い地形の所で稜線を越えているが、上栗尾側の末端が分からない。



森に入って振り返る

右岸を登る

左股を渡る

斜面を登る

関谷側峠直下

 峠には馬頭観音が二体と地蔵が一体ある。峠の東側は斜面を北にトラバースしながら下っていく。50mほどで折り返して谷に下りていくが折り返す所の古い路盤が地すべりで流れているようで、少し階段で下りる。関谷から上栗尾の間で階段が目に付くのはこことそのすぐ下の辺りだけで、全体で見ればマウンテンバイクでも快適に走れる道だと思う。谷筋に下り着くと、谷底から峠にグリグリ掘り込んで直登するより古い路盤があるのが分かる。

 谷の左岸の植林の中の幅広の掘り込み道をまっすぐ下っていく。谷筋は広く道の右手の谷側は畑だったような雰囲気だが今は植林である。標高1250mの谷が合わさる所でガクッと折れて林道に出る。林道はすぐ上で行き止まりである。林道は作業道を合わせて藤沢川の手前の畜産農家の跡らしき所に出る。家屋や畜舎はないが、飼料置き場のようなコンクリの施設がある。すぐ先の藤沢川を渡る上栗尾橋から舗装路となる。大屋と藤沢を結ぶ直線の通りの上栗尾橋に入る十字路には関谷峠を指す道標がある。


関谷峠

上栗尾側峠直下

北へトラバース

階段

左岸の道

道の谷側は畑だったよう

参考文献
開田村石造文化財調査委員会,開田村の石造文化財,開田村教育委員会,1993.



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(2022年8月28日上梓 2023年1月22日URL変更 8月8日改訂)