御嶽山 黒沢コース下部旧道(松尾滝〜中の湯)

 黒沢道は六合目の中の湯まで車道が通じ、七合目まで御岳ロープウェイが通じているが、昔はそこまでも当然自分の足で登られた。昔は王滝からの登路も屋敷野で黒沢からの道と合流して現在の黒沢道に近いルートだったと言う。車道開通前の黒沢からの道は一本と言うわけではなく、何度も切り替えられたり、登りと下りでも分かれていたりしていたようで、現在(2013年)の地形図に記されている旧道はその歩かれた昭和40年代頃の中の湯までの車道の開通前の最後のものの一つに過ぎないが辿ってみた。


★松尾滝〜八海山小屋


松尾滝付近拡大地図

 松尾滝は黒沢の常住最奥の霊神場で、滝下に四合目の碑石がある、松尾滝は文久年間に作られた人工の滝である。車道から松尾滝の参道の石段を登ると滝までに三回左に入る道があって、三つ目で左に入るのが旧道で四合の古い標石がある。ここは右に入る路盤もあり、右に入ってもすぐに倒木とヤブで通れないのだが、路盤は滑らかに山の斜面をトラバースで下りて、霊神場の脇などをを通って滑らかに車道まで下りており、今の車道ができる前の旧道の続きだったようである。急な参道の階段を避けて石段から左に入る一つ目は緩やかに四合目標石の上手の車道に下りている。二つ目の左に入った先は行き止まりである。

 左に入って松尾滝下からしばし緩やかに霊神場を見ながら進むとジグを切っても急登となる。山手側に鉄筋コンクリートで補強された大きな岩窟があり、そこも霊神場になっていて、この辺りまでは草刈などがされている。山肌は急斜面でジグを切っても急な登りだが掘り込まれてよく曲げられた歩き易い道である。小さな尾根を一つ回りこむと尾根の鼻の上に立岩と霊神場がある。この立岩などは昔は何か名前があったのではなかろうか。

 立岩を過ぎて西側のクボに入って東に向きを変え、同じ尾根をもう一段上がったところに鳥居の跡と鳥居の柱の間に一つ霊神碑があった。道の真ん中に霊神碑があるということになるのだが、すぐ左上手の小規模な霊神場からどう滑ったのか立ったまま移動してきてしまったらしい。この鳥居跡から斜面トラバースををもう一登りで尾根筋に乗る。鳥居跡まで入り組んだ急斜面でそれほどのヤブでは無かったが、尾根筋に出て熊笹のヤブがやや濃くなる。広く平坦な尾根が終る所の道の両側に霊神場があった。この辺りの霊神碑は霊神号でなく行者号であったり、自然石のものがあったり、古い霊神場もあるようなのだが、コンクリのブロックで基壇を固めた新しそうな霊神場もある。

 松尾滝築造前の文化7(1810)年の水谷豊文の木曽採薬記の御嶽山登山の記録では今の赤岩巣橋らしき赤岩橋を越してから「是ヨリ御嶽ヘ上」り、サルバナ峠、マサゴヤ、千本松原、中小屋、湯山と地名が続く。赤岩巣橋から正小屋にかけて峠となりそうな処は大祓滝の裏手の小尾根の標高1160mほどの鞍部しかないので、後の大祓滝の下や護摩堂ヶ原も通らず、岩井沢の奥から尾根に上って鞍部をサルバナ峠と呼び、稜線を伝って標高1240m辺りから緩い斜面の横駈けとなって松尾滝の上を通って正小屋に続く旧道であったのかもしれないと考えてみる。地名において「さる」は断崖の立岩や崖地、突出地に用いられる例が多く見られるようである。大祓滝の裏手の小尾根は大祓滝を擁しうる崖地とも、低く突き出した突出地とも見なせそうな地形である。その鼻先を成す尾根の峠ということがサルバナ峠でなかったか。


岩屋の霊神場

道の脇に立岩

真ん中に霊神碑立つ鳥居跡
左の木は鳥居の柱の跡
右の石は台石の跡

唐松の道
サルバナ峠推定の地図
松尾滝〜正小屋の地図

 左に山の斜面を登っていく。標高1250mで山の鼻を一つ回り込んでしばし水平道である。唐松と水楢の林である。水の無い小沢を木橋で渡ると車道に飛び出る。車道に出ると「正小屋」のバス停があるが小屋などは無かった。

 正小屋のバス停の前で車道を渡る。車道から200m程先の霊神場まで刈分けされていた。霊神場は幾つか道の右側(山手側)に連なっていて、下手の霊神場には新しい納骨堂などの建物もあった。200m程奥の霊神場の前からまた笹薮の道となる。この先の地形図にある細かい道は別荘地の分譲の跡のようだが、建物は下手寄りに一棟見えただけだった。それも別荘だったのかどうか分からない。分譲地の中の道は一部はアスファルト舗装もされていたようだが、アスファルトの上まで草が生えている。標高1380mで分譲地を出るが、ここから標高1450mまでは、路盤はよく残っているが猛烈な笹薮である。分譲地のすぐ上手右側にはやや大きな霊神場があり、上手の車道側に鳥居があるが、霊神碑はどれも下手の旧道の方を向いている。標高1450mまでの間に更に幾つか右側に霊神場があるが、いずれも上手の車道側に入口はあっても霊神碑は全て下手の旧道の方を向いている。標高1450mの車道に上がる地点は車道の路盤に埋められて不明瞭である。

 標高1450mで車道に上がり、ヘアピンカーブを一つ右へ曲ってすぐに左手に旧道の分岐がある。ヘアピンカーブのところから白川に下りる林道跡もあるが、それとは別である。100m程先の霊神場まで刈分けされていた。刈分けされている間の右手に幾つか霊神場があった。敷地は広く取られているが霊神碑が少ししか並んでいない霊神場もあった。一帯は唐松林で100m程先の霊神場の前から笹薮の道となるが標高1380〜1450mの間ほど笹薮は濃くなかった。唐松林が途切れて右手頭上に構造物が見えてくると八海山小屋の直下である。樹冠が切れているのでヤブが濃くなるが短い。八海山小屋の裏手でアスファルト道に出る。アスファルト道を戻るように辿ると八海山の霊神場である。木曽駒方面の展望地で、振り返れば御嶽山の山頂も見える。小屋の右手の霊神場の一角に霊神碑その他に囲まれた岩場があり、八海山御神水と言う雫が落ちていた。御神水の右手に駐車場があり、更に100m程アスファルト道を東へ緩く登るとバス道に出る。車道の五合目で、八海山のバス停がある。


正小屋バス停

唐松林の道
次第に笹藪に覆われた
部分が増える

八海山

八海山から木曽駒方面を望む

八海山付近の地図★八海山小屋〜中の湯

 八海山小屋の裏手から更に野道を登る。少し上に霊神場があり、そこまでは刈分けられていたが、そこから車道までの100m程はまた笹薮の道であった。車道に合流する所ではガードレールに隙間があった。御嶽三社大神の鳥居までは車道を辿る。御嶽三社大神の所は地形図に鳥居のマークがあって注意していたのだが、沿道に数ある霊神場の一つに過ぎない。

 御嶽三社大神の鳥居の辺りで、昔は倉本からの登山道が合流していたようだ。御嶽三社大神の鳥居から千本松見晴山荘を挟んで五合半の石柱までは、地形図では稜線の北側に、稜線側に法面を以って記されているが道の跡を見つけられなかったので車道を辿った。開田の西野と乗鞍岳の見晴らしがある千本松見晴山荘は閉まっていた。御岳ロープウェイの鹿瀬駅も見える。見晴山荘の上手の霊神場は霊神碑が車道を向いていた。御嶽三社大神の鳥居から五合半の石柱までの旧道は本当に車道より北側の地形図の位置にあったのだろうか。

 五合半の石柱から中の湯の駐車場までは通して刈分けられていた。1731.0mの三角点のすぐ東の位置に三笠山神社があり、そこまではよく整備された遊歩道のような道であった。道の右手(北側)は唐松の植林で明るく、左手は自然林のようだが針葉樹が多く暗い。「千本松原」の名は、旱魃の際に唐松を千本植えよと言うお告げに従ってカラマツを千本植えた事に因むと言う。見られるカラマツは若木であった。三笠山の直下がやや急斜面であるが丁寧にジグザグの切られた歩き易い道である。三笠山には社と霊神場と崩れた小屋とベンチがあった。

 三笠山神社の先の道は平坦な台地の上のクロベの森となる。ごく緩い起伏の最高点に白川神社がある。鳥居と石碑などがあるが社はなかった。周りに笹薮が茂っているが御嶽山頂が望め、南側が切れ落ちている雰囲気がある。西のノゾキというのはこの辺りか。一旦緩く少し下ってまた登りになる。全体的に緩やかな広い尾根だが、その中でも急な斜面では丁寧にジグザグを切って掘り込まれた歩き易い道である。大体稜線上だが一部で尾根の北側の横手道である。コメツガが見られるようになる。横木を敷いた中の湯より上と似たような道になると、まもなく広い中の湯の駐車場に飛び出す。


御嶽三社大神

千本松見晴山荘

乗鞍岳の見晴らし

唐松の道

三笠山神社

白川大神

コメツガが現れる

中の湯駐車場

参考文献
生駒勘七,御嶽の信仰と登山の歴史,第一法規出版,1988.
水谷豊文,木曽採藥記 2巻,国立国会図書館蔵写本(特7-89)デジタル資料.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.



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(2014年7月27日上梓 2023年1月22日URL変更)