有明山(2268.3m)
中房道(裏参道)

 有明山で標高差が最も少ないコースだが、急傾斜で厳しい。末端は二つに分かれている。穂高牧の栗尾山満願寺から大峠を越えて冷沢に沿って下り、信濃坂を越えて中房温泉から登る裏参道だったという。

有明山 中房コースの地図1有明山 中房コースの地図2

 有明荘裏の中房登山口第三駐車場の奥と、温泉橋東詰の第二駐車場の奥に登山口があり、一登りした所で合流している。第二駐車場の奥から進むとすぐに「たる沢の滝」がある。たる沢の滝は三段ほどの段瀑で、写真にすると迫力が伝わらない姿となってしまったが、現地ではその大きさにそれなりの迫力を感じる滝である。たる沢の滝から枝沢の沢水の流れる踏み跡を進むと細い道を谷に沿って上がり、枝沢の水源辺りで左に「三段の滝」の標識のある水平道が別れており、1,2分で三段の滝を中程の高さから眺めるロープに囲われた滝見の痩せ尾根の上に出る。樹木が茂っており、三段の滝はスッキリとは望めない。三段の滝分岐から少し登ると有明荘裏の第三駐車場からの道と合流する。

 有明荘裏の第三駐車場からはカラマツの疎林の下の、刈り分けられた笹の藪の中を登る。急登で知られる有明山の登山道だが、たる沢の滝と有明荘の合流点まではそれほど傾斜はきつくない。尾根を乗り越して第二駐車場奥からの道と合流する。この道は国土地理院の地形図(2015年現在)にあるより東側を通っているようである。GPSのトラックログを見ると、合流点から先も清水岳から続く稜線に出るまで、国土地理院の地形図(2015年現在)にある道はややずれているようである。


第三駐車場奥の
登山口

第二駐車場奥の
登山口

たる沢の滝

たる沢の滝から登る

三段の滝

 合流点からすぐに急傾斜となる。すぐに長い梯子が一つ現れ先が思いやられるが、梯子が掛かるほど難儀な急傾斜はその後しばらく出てこない。それでもロープの下がっていることの多い急傾斜が連続する。また、木の根道が多く、雨で濡れたりしているととても滑るので注意が必要である。

 林床に笹の茂る針葉樹の斜面を登り続けていると一旦左側の西斜面に入る。たる沢・三段の滝の上流から沢音が響いているが沢は見えない。もう一登りでまた尾根の上に出て一旦傾斜が緩む。四合目の標柱まで少しだけ傾斜の緩い尾根歩きが続く。四合目の標柱からは右手の南斜面の道となり再びきつい傾斜の道となる。斜面は次第に急峻になり岩壁を横断する第一の鎖場が現れるが、ここは足場がしっかりしておりそれほど危険ではない。鎖場を過ぎると下の方から水音が響くようになり、天上沢の源頭を横断する笹藪の中に水がわずかに流れているが、笹藪の繁茂と量が少ないことで汲むのはなかなか難しそうである。この水場が五合目のようである。


合流点
(推定ひらみど)

長い梯子
(推定白水ノ頭)

笹藪を
刈り分けた道

木の根道

四合目付近

四合目の
標柱

岩の多い道

最初の鎖場
(推定六兵衛)
危険ではない

五合目
水場の笹藪
(天上沢の上部)

六合目の
標柱

 水場から更に急登を登る。シャクナゲの茂る藪の中の急登である。たまに傾斜が緩む歩きやすい箇所が現れるが、その短さが悩ましい。連続する大岩の下の僅かに傾斜の緩む箇所に細く道が付けられている。湿った有明砂のザレた中の木の根を掴んでの登行となる。六合目の標柱を越えて更に急斜面をトラバースしながら急登で登る。標高では六合目の標柱辺りで半分登ったことになるが、この後がまだ長い。標高2200m付近に鎖場の岩場があり、短いが急斜面を鎖で下る。空に突きだした岩場で有明山の山頂が望めるが、落ちるとひねた木々の枝の上をどこまでも落ちていきそうで怖い。

 谷地形の度に上下を繰り返す急斜面を登りながらのトラバースを繰り返し、清水岳からの稜線が見えてきて八合目の標柱。稜線に出るとコメツガの森に芦間川の側から新しい風を感じる。傾斜は緩くなり、次第に樹高が下がってくるのを感じると北峰の金属の鳥居の裏に出る。


木の根・岩の根の
急登

平らな所も
ある

登り返しが
ある

八合目の
標柱

山頂間近
コメツガ林

 市川平八(1966)は、中房登山道は上から「曲り沢、天上沢の上部を通り、地獄、六兵衛、白水ノ頭など注意を要するところがある」としているが図示がないのでどこがそれらの地名の所なのか分からない。天上沢上部とは笹藪の中の五合目水場のことと思われるが、それより下に危険箇所は無かった気がする。強いて言えば水場の下手の鎖場か。白水ノ頭だが、有明山周辺の白水沢は南岳南西面を源頭とする曲り沢より一本下手の中房川左岸支流であり、中房登山道とは接していない。沢の「頭」と言った箇所を通過する所もなかった。1960年代とは登山道が付け替えられて変わっているのかとも考えてみたが、中房登山道の尾根線に比較的忠実で無茶振りな急登と四合目や六合目などの古い標柱を考えると昔から登山道が切り替えられていると言うこともないように思う。或いはこれらの地名の箇所が天上沢上部より下というニュアンスは深読みに過ぎて、七合付近の鎖場などが「地獄」かとも考えてみる。

 志村烏嶺(1907)は明治39年の記録で、「七合目付近路最も急峻、花崗岩の絶壁を蝸付猿攀して過ぐ、地獄谷と称す」としている。地獄は地獄谷でもあったのか。標高2200m付近の鎖場の処が七合目で「地獄谷」であったか。「登路には一合目毎に木標或いは石標あり。」とあり、「五合目に於いて小渓の底、わずかに流水を認む。」とあるから今の登山道は明治39年の登路と殆ど変わっていないと思われる。今、奇数合目の標柱が見当たらないのは木標で朽ちたのか。

 標高2200mの鎖場(七合付近)で登山道は一旦急角度で下がる。段があるような不揃いな所の地名に「ちぐはぐ」などという時の形容動詞語幹「ちぐ」が使われるようである。「地獄谷」は登り道が一旦下がる「ちぐ()・が(助詞)・たに(谷)」の転かと考えてみたが、「谷」の付かない「地獄」を説明できない。段のように不揃いな感で一旦下がる凹みということの「ちぐ()・へこ(凹)」の転が「じごく」で、「ちぐへこ」のある谷間が「じごくだに(地獄谷)」と言うことでは無かったかと考え直す。

 六兵衛は「ろくべえ」で「ぬけ(抜)・ばえ(碆)」の転でないかと思う。抜け崩れた巨岩ということなら、水場(五合付近)下手の最初の鎖場の岩壁トラバースの所か。

 白水ノ頭は白水沢の源頭ということではなく、有明荘からの道が、たる沢の滝の道と合流する手前から平坦となって少しの平場がある所であることを言った「ひらみ(平)・ど(処)」で、その平場のすぐ上の長い梯子の所を言った「ひらみどのあたま」の転が「しらみずのあたま」で、梯子が無かった時もあって急斜面に注意すべき所だったのではないかと考えてみる。中房登山道で注意を要する所というと大凡この三ヶ所なので、合流点上の長い梯子の所が白水ノ頭、水場下手の鎖場トラバースが六兵衛、2200mの鎖場下がりが地獄、その鎖場を下がりきった曲り沢源頭の谷間が地獄谷と考えておく。

 志村烏嶺(1907)の記録では「垂沢の滝」が出てくるが「三段の滝」が出てこない。垂沢の滝が三段で、「一ノ滝はこれ百練の素?(そけん/「けん」は糸偏に兼/かとりぎぬ)、二ノ滝はこれ瀲?(れんえん/「えん」はサンズイに艶/水が豊かでピチピチしている様)として珠簾の如く、三ノ滝の碧潭に落つるところ大沫激して狂雹となり、小沫?然(おうぜん/「おう」はサンズイに翁/水や水煙が荒れ狂う様)として雲霧を為す。」という。たる沢の滝の上段はカトリギヌのように見え、中段は玉簾のように見えると思うのだが、下段に飛沫の上がる碧潭を見た覚えがない。滝壺が後に埋まったのか。滝壺があったとしても下段の分流して岩の表面を滑る水の落ち方はあまり飛沫が上がらないのでないかと思う。近接する今の、たる沢の滝と三段の滝が合わせて垂沢の滝なのかとも考えてみたが、三段の滝は三段ともカトリギヌのようである。

参考文献
穂高町誌編纂委員会,穂高町誌 第2巻 歴史編上・民俗編,穂高町誌刊行会,1991.
市川平八,有明山東面 忘れられたプレ・アルプ,pp72-74,220,岳人,中部日本新聞社,1966.
志村烏嶺・前田曙山,やま,岳書房,1980.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.



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(2015年9月13日上梓 2020年6月20日改訂 2023年1月22日URL変更)