天保山(三角点で453cm)

 日本一低い山として有名になったり、その「タイトル」(笑)は人工の山に相応しくないと批判されたり、人工の山でも更に低い山が現れたり、低山ながら忙しい。でも、そういう争っている他の山々に比べると、この山を中心とする山岳会があったり、山麓は人工ながら賑わいの絶えない観光スポットであったり、すぐ上をこれまた遥かに高い人工物に押さえられている雰囲気もあるけれど幸せそうな山のような気がする。山麓に大きな観光スポットなどがあると言っても山そのものは比較的静かだ。

 大阪湾の安治川河口に位置する埋立地にある山。

天保山の地図


★登山(大阪港駅から)

 大阪駅から山麓直行のバスも運行されているが、大阪港駅や桜島駅から登るのが、低山だけに歩く距離がどうしても少ないので満足感が得られるのではないかと思う。

 大阪港駅から北に向かう大きな通りを進むと、ちょっとした門前町のような賑わいである。おいしそうな飲食店が多い。正面に徳島や小豆島への高速船の乗り場が見えてくる。高速船ターミナルには入らず、右に曲がると緑の高台がマンションの陰から現れる。これが天保山の山麓である。

 この高台には階段があり、階段を登り、少し下がると天保山の山頂の標識と三角点がある。天保山で三角点へ下ってしまうのは、三角点の標高が山の最高点の標高とは限らないことの好例だ。海が近い。上方には阪神高速湾岸線がのしかかるように聳えている。山頂からは安治川河口を往来する数々の船が眺められる。のんびりした風景だ。近所のおじいさんが子供を連れて散歩したりしている。

 国土地理院には高台の最高点を天保山の山頂として標高を計測しなおして欲しい。


最高点から
三角点峰を見下ろす

山頂標識と三角点
三角点は埋まっている

三角点

最高点を振り返る

★桜島駅から

 JR桜島線(夢咲線)桜島駅前(USJ の反対側)を左に進み、線路の端を回りこんでからT字路を左に入って、阪神高速湾岸線の下の辺りで南側に折れると住宅もあるが、工場の中に小さな居酒屋が幾つか並ぶような昼間は静か過ぎる雰囲気の町並みである。

 防潮堤に突き当たる辺りに天保山の渡しの待合室がある。昼間は30分間隔の渡し船は無料で椅子もないが自転車もそのまま乗れる。防潮堤の隙間から桟橋を経て乗船する。

 航海は5分程度だが行き交う大きな船を眺めてのなかなかの船旅である。手すりにもたれて海風を浴びると気持ち良い。しかし向かう天保山山頂の指呼は難しい。USJ に通勤する異人さんも利用しているのを目にする。

 渡船の天保山乗り場から直接山頂へは向かえない。一旦、定期船乗り場の方へ回りこむ。


天保山渡船
(手前)

★山麓の様子(お中道)

 築港そのものが天保山の一つの山体とみなすことも出来る。築港地区はそれ自体が小さな島のようだが、やはり埋立地であった本土(?)から天保山運河が掘られることで島となったので「築港洲」と呼ばないのかもしれない。海岸線に沿って歩けば海底から聳え立つ天保山のお中道巡りである。

 天保山山頂を後に、島の海岸線を反時計回りに回ると、はじめはマーケットプレースの建物の海側で路上カフェのようなものがある。豪華客船が寄せることもあり、そうした時はラッキーだ。異人の水夫さんが歩いていることもある。角を曲がると水族館「海遊館」や美術館の裏手を回り、雰囲気が観光っぽくなくなると大阪水上署の裏手になり、この沖にコペンハーゲンと姉妹の人魚(リトルマーメイド)がいる。私が訪れた時は野菜屑の浮かぶ海上に佇み、不思議な雰囲気を醸し出していた。

 阪神高速と地下鉄が海底トンネルに入る入口を歩道橋で越えるとしばらく海岸線は立入禁止の雰囲気だ。ちょっと島内の内側に入って東へ移動すると赤レンガの倉庫群が並んでいる。なかなか味のある風景だが、観光スポットとして倉庫群を中まで公開する雰囲気ではなさそうだ。倉庫の東の端は展望台になっている。

 大阪港駅の南側のマンション街の一角に山小屋跡がある。以前はこちらに天保山山岳会も置かれていたような気がした。


リトルマーメイド
野菜屑の海

見てます

赤煉瓦倉庫群

★山名考

 天保年間に安治川を浚渫した土砂を積み上げて山となったから天保山というというが、そんなに単純なことだろうかという気がする。当初は「目印山」、「目標山」と呼ばれていたという。天保年間に浚渫が盛んだったとしても、前後の文政とか弘化の時に浚渫成って山となることもあるかもしれないのに文政山とか弘化山という山名は他所に知らない。

 同名の天保山の地は今治市や鹿児島市にあり、いずれも港湾の海辺の埋立地で、天保年間の築造だという。大阪市此花区にはよく似た音の伝法地区があり、これも港湾である。

 愛知県愛知郡碧海郡の方言で、「てんぽさき」で波止場を意味するという。後半の「ぽさき」が「はしけ(艀)」の転でないかと考えると、前半の「てん」も港湾での行動に因む言葉の転でないかと考えてみる。大阪市北区の「てん」から始まる天満地区は上町台地の北端から大川を渡った先にある。天満は天満宮を祀った所などと言われ、大阪天満宮が天満と呼ばれた域内にある。だが、天満宮や天神でなく、「てんま」だけでは菅原道真を祀っているかどうかは言われても分からない。天満という地名は瀬戸内東部に多いというが、天満宮の菅原道真は瀬戸内を北九州まで行っている。天満宮を祀るから天満という地名なのではなく、「てんま」という地名の所で菅原道真も通ったかもしれないと思ったから天満宮を祀った所もあるのでないか。

 大阪の天満は大川である旧淀川の曲目で、古代難波津の中心地であった上町台地の縁の水路まで入れなかった上代の大型船「つむ(舶)」の停泊地ということの「つむ(舶)・わ(曲)」、瀬戸内東部各地の天満の中にも同様に大船が停泊できた「つむ(舶)・わ(曲)」の転もあるかもしれないと考えてみるが、天保以降の天保山で「つむ(舶)」はありえない。大阪の天満は上町台地の先で船荷を積んでおく「つみ(積)・ば(場)」の転もありうるかと考えてみる。

 天保の頃の「つ」は tu でなく tsu なので、天保山は浚渫した土砂を積み上げて溜めておいた「ため(溜)・ば(場)・せり(迫/山)」、「ため(溜)・ば(場)・を(峰)・せり(迫/山)」、或いは「ため(溜)・ば(場)・をせ(峰背)」の転が「てんぽざん」、「てんぽうざん」でなかったかと考えてみる。今治市と鹿児島市の天保山も蒼社川や甲突川の土砂の溜め場に出来た山ということではなかったか。鹿児島市の天保山は「砂揚場」と呼ばれていたという。

 「てんぽさき」は船を寄せて停めて人荷の扱いをする「とめ(停)・はしけ(艀)」の転で、天保山の名とは無関係だったと思う。

 伝法は淀川最下流の分流の一つである中津川の河口に位置し、大阪湾の最奥にあたる地点である。行き止まりを「ずん」とか「どんづめ」などという時の「どん」で湾が極まった所にある港であることを言った。「どん・ば(場)・わ(曲)」の転が「でんぽう」ではないかと考えてみる。或いは、広大な洲の海際にありながら酒造が盛んに行われた真水の豊富な船を着けられる入江である「でみ(出水)・ば(場)・わ(曲)」の転かと考えてみる。

 大船と陸地の間を差し渡す小舟を伝馬船という。伝馬は律令制の馬継だが、大船と陸地を継ぐにしても一回だけで、陸上の馬と異なる使い方で船を呼ばなくても良い気がする。大船に荷を積む為の船ということの「つみ(積)・まへ(前)」か、大船の「つむ」の手前で使う「つむ(舶)・まへ(前)」の転が「てんま」かもしれないと思う。

参考文献
脇田修 et al.,大阪市,日本歴地名大系28-1 大阪府の地名1,平凡社,1986.
渡辺則文・斉藤正直,今治市,日本歴史地名大系39 愛媛県の地名,平凡社,1980.
安藤保 et al.,鹿児島市,日本歴史地名大系47 鹿児島県の地名,平凡社,1998.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
尚学図書,日本方言辞典 下巻,小学館,1989.
鏡味完二・鏡味明克,地名の語源(角川小辞典13),角川書店,1979.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
橋本進吉,古代国語の音韻に就いて 他二篇(岩波文庫33-151-1),岩波書店,2007.



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(2009年5月14日上梓 2021年8月9日改訂)