明神山(39m)

 山上に赤いヤグラが見えたので展望台があるのかと行ってみた。展望台ではなく市内放送のスピーカーだった。専光寺前の歩道から階段を上がっていくと登山道(?)があるがあまり登る人はいないようだ。鬱蒼とした樹林だが東側・北側は荒れた雰囲気だった。かつて明神山城が築かれたという。大正時代の地図では西峰が明神山、東峰が子守山と書かれていた。西側は削られていると言う話もある。本当は子守山なのだろうか。

明神山と新宮の地図

明神山
丹鶴山から

蓬莱山
宮井戸遺跡から

★新宮市内その他の小山

蓬莱山(約30m)正式標高不詳。ネット上では40mとも50mとも書かれているが数値地図では30mに満たない(29m)。昭文社の都市地図で47.7m。新宮城址の丹鶴山より低い。熊野川河口近く、まちの海際。中国から不死の薬を求めて仙人の住む蓬莱山を目指してやってきた徐福が役目を果たせず(というか予想された始皇帝の弾圧を逃れる口実として)、この丘で良いことにしたらしいという、昔から中国人の漂着のあったというこの地方らしい噂。上右の写真の防潮堤の高さが約8mである。


ボッツリ山
丹鶴山から

浮島

夜の徐福公園の門

西村伊作記念館

丹鶴山(約44m)・・新宮城址(丹鶴城址)のある山。城山とも呼ぶ。蓬莱山よりは高い。公園になっていて駐車場もあるし展望も良い。

ボッツリ山(約35m)・・登坂(とさか)を挟んで丹鶴山に向かい合うヤブ山。紀勢線が掘割を掘って少し遠くなったと言う。ボッツリとは球形の竹篭の張りぼてを彩色したもので、ラジオも無かった頃に熊野川の出船や沖の海上安全の為、気象観測所によって雨天や荒天が予想された時、この山の頂の高い柱にボッツリが掲げられたことが山名の由来と、佐藤春夫の自伝的小説「わんぱく時代」に舞台として城山(丹鶴山)などと共に出てくる。基本的に虚構とみなすべき小説の記述を山名の由来として引用することは不適切であるが、わんぱく時代と同時代の永廣柴雪著「新宮あれこれ」にも同じようなことが書かれている。ボッツリは昭和の初め頃に姿を消したと言う。

橋本山(約30m)・・・水野家墓所のある山。山と言うよりは尾根。

日和山・臥龍山・・・過去の山。日和山は上の地図のオークワの辺り、臥龍山は市役所の辺りにあったらしいが、昭和40年代に市街地の平地を増やすために取り崩されてしまったという。江戸時代の紀伊続風土記は日和山について「永山」とも書く。昔の浜堤で崩しやすかったのだろうか。明神山や丹鶴山は岩(熊野酸性火成岩類)の山だったから残ったのかも。日和山などは海岸から2km近くも離れているのにこの名前であるとは、地名としても化石のようで、なくなってしまって残念だ。東仙寺山喜三郎山というのもあったらしいが、どこにあったのか分からない。東仙寺山は今は広角にある東仙寺が元は丹鶴山に在ったとのことだから丹鶴山のことだろうか。熊野発祥の熊野地はこうした砂丘に隈取りされた野であるから熊野との命名であったのだと思う。熊野地の海側にも砂丘の跡のような微高地がある。


★個人的その他新宮見所

浮島の森(新宮藺沢浮島植物群落)・・・新宮駅から徒歩6分、市街中央の湧き水の池に植物遺体の浮島がある。湧水の低温で保存された寒地性の遺存種と、人の手の影響の少ない熊野地方本来の自然に近い温帯植物が混生する。ジャンプすると揺れる。日和山や臥龍山を砂州とした潟湖の跡。但し、この池から流れ出す小川は生活廃水で泡立ち、ずいぶん汚れている上、鉄板で護岸されている。入場料は100円でボランティアの人が説明してくれる。天台烏薬茶のお接待があったけれど、浮島にも生えていたっけかな?

徐福の墓(徐福公園)・・・駅前からすぐ。実は徐福さんは中国から出なかったのかもしれないけれど、漂流中国人がいて、徐福さんの行動志向が熊野三山を含めた修験道と相性が良かった(信者の健康や長寿と言った現世利益を山野を冒険することで得る)から伝説が定説化したとかしないとか。ここに徐福のお墓を整備したのはずいぶん後の時代の江戸時代のお殿様。公園内では徐福の探した天台烏薬が植えられているのが見られる上、お土産商品(お茶等)も買える。天台烏薬茶のお接待があることもある。たまに中国語を喋っている人もいるのは楽しい。

西村伊作記念館・・・新宮駅から歩いて5分の洋館。ボッツリ山の麓。大正3年に西村伊作の自宅・芸術家サロンとして建てられたもので、洋館でありながらツマには熊野地方などの伝統的家屋に見られるガンギ(霧除け)と呼ばれる幕板が配されて独特の雰囲気。敷地に巡らされた石垣も南欧風でありながらどこか熊野的。内装も細部に亘ってオシャレが追求されている。洋室もおしゃれだが和室も数寄の極み。近所の家もオシャレな家が多い気がする。

千穂ヶ峰登山・・速玉大社と神倉神社を両方参拝するつもりなら、山麓の町並みを歩くのも良いけれど、山の稜線と言うプチ修行コースも悪くない。山上からは新宮市街が一望。神倉神社の石段の登り返しが必要ない。

参考文献
新宮市史編さん委員会,新宮市史,新宮市役所,1972.
新宮市史編さん委員会,新宮市史 史料編 下,新宮市役所,1986.
佐藤春夫,わんぱく時代,講談社,1958.
永廣柴雪,新宮あれこれ,木田泰夫,国書刊行会,1981.
仁井田好古,和歌山県神職取締所,紀伊続風土記 第3輯 牟婁 物産 古文書 神社考定,帝国地方行政学会出版部,1910.



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(2009年7月22日上梓)