石田山から

垂井の新桜橋から

大垣のアクアブリッジから

三島池から

行程図
伊吹山

 日本百名山。物心ついた新幹線に乗った記憶に、雪で減速してノロノロ運転のこだま号の車窓に飽きた頃に突如現れた雪で真っ白になった伊吹山を見て関西地方に大きな高い山があるのだなぁと思ったことがある。小学校に上がって教材の地図帳に書かれていた伊吹山の標高の数字を見て全然高くないではないかと幻滅した記憶がある。標高の数字だけで山を見るものでないと思ったのは二十歳も過ぎて大部後だったと思う。


 関ヶ原駅からバスに乗って山頂直下のドライブウェイ終点の駐車場まで上がって、山上をぐるっと廻ってきただけの登山。

 バスが標高を上げて1100mを超えると道路脇谷側にずらりと望遠レンズのカメラを北側の虚空に向けて椅子に座っている人々が連なっているのに驚く。イヌワシの撮影をする人々だという。ものすごい人数で中には気分転換かカメラと椅子を離れて道路を横断して山側に立っている人もいて、なんでこの人たちがドライブウェイをぶらぶらするのは良くて北尾根登山道からドライブウェイを横断して山頂に歩いて向かうのはダメなのかと思う。

・西登山道

 サラシナショウマが風になびいている中を登る。1300mを超えるとシモツケソウの赤色が目に付くが、濃い赤色で花はほぼ終わりっぽい。砕石場の上の大きな雪庇防止柵を見て山上台地に上がる。正面登山道の九十九折れを登ってくる人が沢山見える。晩夏ではあるけれどそれほど暑くもなく風の強い日で、朝方は曇りで日差しもなかったので、自分も下から歩いて登ってくればよかったと思う。


登り出し

サラシナショウマ群落

サラシナショウマ

駐車場を
振り返る

シモツケソウ
ネットの向こう

シモツケソウ
小さい株

雪庇防止柵の
向こうに琵琶湖

正面登山道を
見下ろす

山小屋多い
山上台地

 山頂は山小屋が何軒もあり、店先に伊吹もぐさを置いている。山小屋の集まりの北側の高まりが南東側の三角点のある高まりより高いような気もするが地形図に標高点もないからそうでもないのか。ベンチは南斜面の縁に並んでいる。天気は程々良くて眼下に新幹線が走っているのも見えてのんびりしたかったのだけど、南風が強くてどうも落ち着かない。子供の頃は雪で徐行していたから新幹線の中から伊吹山に気が付けたのだと思う。210q/hから285q/hになった新幹線の眼下を通り過ぎる時間は本当に短いけれど、210q/hでも伊吹山が見える時間は短かったと思う。

・東登山道

 下山は東登山道にする。西登山道を戻る人が多いようで、東登山道は人が少し少ない。草原の中を進む。山上台地の東の端に倒れたり斜めになった石柱や石祠が沢山ある所があって、何なのかと思ったのだが、鹿除けの網が登山道沿いに巡らせてあって近寄って見られない。八ツ頭という所だという。遠目で御嶽教の霊神場の雰囲気に似ている。東側に一時見えた御嶽山の遥拝所の跡なのか?

 北尾根登山道の分岐跡から石灰岩地帯らしい白い露岩と擂鉢状の地形を見る。西登山道では見た覚えのないマルバタケブキやトリカブトを見て駐車場に下り着く。


山上台地東側

八ツ頭 御嶽山遥拝所跡?

北尾根方面を見る

白い露岩散在

ドリーネ

マルバタケブキ

★山名考

 近江の坂田郡の伊吹地区の山と言うことであろう。近江の伊吹(いぶき)地区の名は「いひ(楲)・わき(脇)」か、「いひ(楲)・わけ(分)」で、山から出てきた姉川の水を分水する水門の横の辺りか、水門で仕切った水を分水する所の意であったと考える。分水の出雲井は伊夫岐神社の裏手の姉川頭首工横の水門から伊夫岐神社のある平場の裾の地下を姉川に平行して回り込んで神社の前の下で地表に出る。姉川頭首工の前身で水を堰き止めて取水し、大雨時の浸食から守る為に半地下に改良した「うづめ(埋)・ゐ(井)」の転が「いずもゆ」と考える。


伊夫岐神社裏手
伊吹山と姉川頭首工

近江坂田郡の伊吹地図

伊夫岐神社前
出雲井が地表に出た所

 美濃の不破郡の相川縁の伊吹地区も狭い相川の河谷が濃尾平野の一角の広い平坦地に出る所にあり、地形は近江坂田郡の伊吹地区と共通している。不破郡の伊吹集落の所の相川に堰があり用水が相川左岸の岩手方面に分かれており、伊吹集落下手の相川左岸には古い堤防らしき土盛がある。土盛は切れ切れで新しいものとは考えにくい。近江坂田郡の伊吹地区同様に美濃不破郡の伊吹地区の名も「いひ(楲)・わき(脇)」か、「いひ(楲)・わけ(分)」と考える。不破郡の伊吹地区も伊吹山に近く、相川の水源は伊吹山だが、伊吹山は山蔭で見えず伊吹山とつながっている感が坂田郡の伊吹地区に比べて弱いので伊吹山の名の発祥は近江坂田郡の伊吹地区と考える。伊吹の脇の相川左岸に取水する堰の220mほど下手に相川右岸に配水する堰もあるが、相川右岸はこの堰より低い平坦地が相川沿いに直線距離で800mほど狭小で続くので、この下手の堰のことを言ったとは考えない。下手の堰の水は岩手対岸の戸海の辺りを潤しているようである。


伊吹地区
相川の堰と
左岸の取水口

相川からの用水路の一本
伊吹集落の下縁に沿って
高台の岩手方面へ

美濃不破郡の伊吹地図

伊吹集落下手の
相川左岸の土盛

土盛
切れて更に下手に続く

 近江の伊夫岐神社や美濃の伊富岐神社の祭神の説の一つとして八岐大蛇があるが、助数詞のない音で伝わる八岐が八つの岐を指していたとは考えにくい。山から出てくる所からの水路ということの「山処の潤路(やまとのうるち)」といったのが「やまたのおろち」ということでなかったかと考えてみる。坂田郡の伊吹の下手の小田で分水する出雲井も、不破郡の伊吹の脇で取水し更に分流する相川の水も、イメージは八岐大蛇である。規模の大きな水田灌漑技術の導入の心理的なインパクトが八岐大蛇を伊吹に起こしたのではなかったか。

 美濃の各務郡の伊吹地区(蘇原伊吹)は谷間から川が出てくる所でもなく用水も分流されていない。新境川縁の二つの小山(愛宕山と加佐美山)に挟まれた微高地の地区である。二つの小山に続く新境川左岸の微高地の足となる急斜面の撓んだ所ということの「ひよ(撓)・ほき(崖)」の転が「いぶき」と考える。新境川の北側の伊吹の滝の方から用水路の水が伊吹集落対面に新境川へ落ちているが1890(明治23)年に完成した各務用水に平行する権現山からの用水路であり、集落の脇で水を分けているわけではなく伊吹村の名は近世記録にあるのでこの用水の落ち口であることが伊吹地区の名とはならない。伊吹の滝は人工滝で、各務郡の伊吹の発祥地ということではなく、伊吹地区の滝という命名だったのだと思う。


北の新境川右岸から
加佐美山と愛宕山を見る

南西側から愛宕山と
伊吹集落と加佐美山を見る

美濃各務郡の伊吹地図

蘇原伊吹の新境川縁から
加佐美山を見る

新境川縁の
愛宕山北面

 四国の石鎚山系の伊吹山も、高い急斜面上に連なる石鎚山と瓶ヶ森の二つの高山の急斜面の鞍部の辺りの山ということで「ひよ(撓)・ほき(崖)」の転が「いぶき」でないかと思う。石鎚山系の伊吹山の脇のよさこい峠の名は「ひよ(撓)・をせ(峰背)・こへ(越)」の転が「よさこい」でないか。

附 居醒の清水・醒井

 鹿児島県の鰻地区の温泉蒸気による調理スチームをスメという。スメの語源は煙などが燻る意の「すもる」の名詞化などと言われているようだが、「すもる」はラ行五段活用の火の勢いが弱まって燻るなどの意の「すぼる」の方言と考えられ、名詞化する連用形だと「すもり」となるので「すめ」となるかについては疑問がある。何らかの湯気や温泉蒸気などが湧き出すことを指す「すむ」といった音に近い下一段活用か下二段活用の古語の動詞があったと考えてみる。或いは、しみ通らせる意の「浸む」の、名詞化する連用形「しめ」の転がスメでないかと思う。

 その動詞の名詞化で、スメ同様の石の隙間から良い水が湧き出ている所を言った「ゐ(井)・すめ」或いは「ゐ(井)・しめ(浸)」の転が「ゐさめ」、居醒の清水のある醒井(さめがい)も語順を入れ替えた「すめ・が(助詞)・ゐ(井)」或いは「しめ(浸)・が(助詞)・ゐ(井)」の転ではなかったかと考えてみる。

参考文献
深田久弥,日本百名山(新潮文庫ふ-1-2),新潮社,1978.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
樋口好古,平塚正雄,濃州徇行記,一信社,1937.



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(2023年4月16日上梓)