由布岳の位置の地図由布岳(1584m)

 祖母山〜傾山縦走の翌日に、「九州の軽井沢」と称される由布院を観光するついでに登ってきた。縦走装備から開放されたこともあって、軽やかに登ることが出来た。豊後富士だなぁと思った。


由布岳の地図

 バス停「由布登山口」に下りて、草原の中を由布岳を眺めながら歩く。登山道は整備されすぎの感もあって、頭の中を空っぽにしていると、あっという間に山頂に到着した。飯盛ヶ城には踏み跡があって、登ってこなかったのは後悔している。東峰の山頂は大岩が多く、休憩に適と見たが、もう12月で少し寒かった。

 お鉢巡りも行ってみた。日向岳からの登山道をあわせて、北東方に下がってゆく。それほどの難路ではないが、東峰までの登山道で「山なんてこんなもんか」と思った初心者が入ると少し危ないかも。小さな岩場が連続する。最後に霜柱が解けて泥濘になった斜面を登って西峰につく。

 西峰山頂は東峰と違って北西の自衛隊の砲撃音と大分自動車道の自動車音がかなりうるさい。由布院の街も眼下遥か下に広がるが、何となく街の喧噪が伝わってくるような気がした。東峰と違って岩がなく座る所が少ない。岩場を少し降りて、登山道に戻り、下山する。よく整備されていて歩きやすい。合野越で右に折れ、由布院の町に直接下りることにした。


由布登山口から見た由布岳

 しばらくずっと牧草地の中を歩いていく。あまり山歩きと言う雰囲気ではない。途中水の出ているところがあった。牛の為の井戸の様なものも点在している。牛の踏み跡も錯綜したりしていたりする。

 最後に斜面が急になってくると杉の植林の中に入る。地図上では溶岩の末端と思われるところだ。風倒木が多くやや歩きにくい。そしていきなり人家の横に出て山は終わった。混浴だが誰も入ってない下ん湯に入って汗を流した。


★山名考

 豊後国風土記にある「凡そ柚富郷は此の峰に近し。因りて峰の名とす。」が妥当と考える。由布地区の山という意味での由布岳の名と考える。

 由布は、湯量豊富な湯布院温泉には温泉の池である金鱗湖もあるので、湯を生ずる由布院の盆地と言う場所を指した「ゆ(湯)・ふ(生)」かと考えてみたが、湯量の多さならすぐ近くの別府温泉の方が多い。「生(ふ)」は植物の生えるところを指すようである。湯生ではないのだろう。

 ユフのユを「斎」として神聖な所かとする説があるようだが、神聖な所で普通の生活は営めない。普通の生活には神聖でないことが沢山あるからである。由布院の盆地でなく由布岳が神聖との見方もあるようだが、神聖なら麓で牛などが自由に糞をする放牧もするべきではないだろう。神聖な所というのは、地名を付けながら普段の生活圏を拡げた後で、その内側に普段の生活を損なわない範囲で設けられるものである。「斎」の地名が、由布の辺りのような普通の所で郷名のような広域名になるのは考えにくい。「生(ふ)」が、植物でもモノでもない言葉に接尾するのも疑問である。斎を「聖なるもの」と捉えている語源説もあるが、斎は接頭語のように冠して神聖なことを指す言葉である。斎だけで「聖なるもの」まで指しうるのか疑問である。また、「聖なるもの」といった漠然とした必ずしも他者の同意を得られるとは限らない言い方で、即物的な理解と他者の諾了が求められる地名となるのかも疑問である。

 豊後国風土記の木綿(ゆふ)説はユフの音によった付会であろう。木綿の材料は栽培できるので、名産地にはなるかもしれないが特産地にはならない。木綿の名産地になることがあったとしても、居住に適した小さな盆地というひとまとまりのその土地は木綿だけの土地ではないのだから、木綿生産が盛んになる前からその土地を指す名があったはずだ。コウゾなどを専門に加工している建物の辺りなら木綿の地名もあるかもしれないが、それでも「木綿」だけでなる地名はありえない。恐らく加工は専門の加工場ではなく他の作業にも使われる民家の土間や別棟の小屋で行われただろう。コウゾなどの採取地は、材料のコウゾなどはまだ木綿でないのだから木綿で呼ばない。コウゾなどの採取地を木綿と呼ぶのは、田んぼを御飯と呼ぶようなものだ。

 山容の秀麗な由布岳もランドマークたり得るが、由布院盆地もまたランドマークたり得る。由布郷の中心は由布院盆地である。由布院盆地はそれほど大きくないが海岸沿いの別府から山越えで短距離に奥に入った所にある生活しやすい平野と緩傾斜地である。山に入った奥の所の小さな凹んだ所(節)であることを言う、「いり(入)・ふ(節)」の前半が訛ったのがユフと考える。r は y と相通がある。或いは連体形で修飾した「いる(入)・ふ(節)」か。

 由布院盆地の底が水田になる前の、「ゆぶゆぶだ」などと言う時の「ゆぶ(揺)」かとも考えてみたが、ゆぶゆぶだったとしてもゆぶゆぶなのは足を踏み入れてみるまで分からない地面の性質であって、一目見て分かる形状ではない。全部ゆぶゆぶなら宅地に出来ないが、由布院盆地には昔から人が住んでいるから柚富が郷名になる。狭い谷間のまとまった宅地をとれないような小湿地が「ゆぶ」で名づけられることはあるかもしれないが、湿地でなかった水田以外の部分も含む凹み全体という地形を指した「節」で、その位置を「入り」で修飾した「入り節」の転訛が「ゆふ」であったと考える。

 豊後国志は「号曰筑紫富士」としているが、筑紫島(九州島)の富士山に似た山と言っても似具合は開聞岳に及ばず、筑前筑後にあるわけでもないのだから「豊後富士」が無難でないかという気がする。

参考文献
沖森卓也・佐藤信・矢嶋泉,豊後国風土記・肥前国風土記,山川出版社,2008.
楠原佑介・溝手理太郎,地名用語語源辞典,東京堂出版,1983.
東犀川三四郎,湯平とその周辺地域の地名の由来<<夢泉庵.(2017年8月21日閲覧)
古国府歴史研究会,大分県古地名の語源と地誌.(2017年8月21日閲覧)
中田祝夫・和田利政・北原保雄,古語大辞典,小学館,1983.
金田一京助,増補 国語音韻論,刀江書院,1935.
唐橋世済,豊後国志,二豊文献刊行会・朋文堂,1931.



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(2003年8月7日上梓 2017年8月21日山名考追加)