幾春別岳の位置の地図
夕張山地の地図

幾春別岳
1019m峰((八谷)惣芦別岳)から

幾春別岳(1068m)
幾春別川左股沢

 南北に四つの山列が連なる夕張山地の一番西側の列で最も高い山。西側の列になるに従って険しさや高さを減じて、なるい山頂になるので、幾春別岳もなるい。東を望むと、ちょうど3列目が切れているので2列目や主列の山々がよく見えるはず・・・と思って登ったが霞が濃くて展望は得られなかった。かつて桂沢湖から長大な尾根伝いの登山道が存在したが、クマの目撃が相次ぎ廃道化したという。その長さは現在道内で最も長いと言われる登山道の一つであるペテガリ岳の東尾根コースには及ばないものの、やはり長いと言われるペテガリ岳西尾根コースの2倍はあり、アップダウンは少ないとは言え長過ぎて無理があったのではないかと思う。周囲に林道が巡り、展望も悪くないので、短く登山道を開けば、それなりの入山者は見込めると思うのだが、クマとの摩擦の多い地域でもあるのでそれもないのか。

 今回辿った幾春別川左股沢には「沢コース」と言う名で昭和37(1962)年に国体登山競技の道予選までに登山コースが開かれた1)と言うが、コースの痕跡は見なかった。その頃のインターハイ地区予選でも使われたと言う。

 桂沢湖から幾春別岳・シューパロ岳を経て芦別岳までの縦走路というものが存在した1)時期もあったという。シューパロ岳の岩稜通過がどうなっていたのか、コースがあった頃に歩いてみたかった。


 地形図上では林道は標高400mあたりで終わりで、古い「北海道の山と谷」2)では標高340m付近の「左股橋」から入渓する、と書かれていたが、現在は林道は標高490m辺りまで伸びていて、入渓点付近で土場で終点となり、その先にわずかにもう修復されていない古い作業道を辿って沢に入る。作業道は沢を渡って更に延びているが、渡った先は草がボーボーに茂っている。渡る前までは雨裂で大きく崩壊したりしているが、ヤブ漕ぎではない。

 登りは古い本に従って左股橋から入渓してしまった。林道で通過した場合の倍以上の時間が掛かって途中に面白いことはなく、くたびれもうけであった。帰りの林道上にはクマの糞を多く見た。また、林道沿いですぐに水の汲めるような所はなかった。以下文字の色を茶色に変更している部分の二段落に左股橋から入渓点までの沢の状況を記す。

幾春別岳地図1幾春別岳地図2

 左股沢は非常に勾配の緩い川で、時々見られる土嚢の残骸のブルーシートの切れ端以外には、原始の印象そのままの細かい蛇行を繰り返し、平らな河原ばかりで難所は全くないが時間が掛かる。左股橋から本当の林道終点の入渓点まで2時間掛かった。勾配が緩すぎて水も少ないので自然河川の中なのに水が腐ったような臭いがした。夕張山地によくある細かい泥がナメの瀞場に積もり滑りやすく、遊びで瀞場に足を踏み入れたら滑って転んで、臭い水で水浸しになった。泥さえ積もっていなければ岩とフェルト底との相性は良い。

 小さなナメ床が連続する。殆どの石が踏めば崩れる真っ黒な黒色泥岩で、河原の石が悉く細かい礫となって崩れた小山を為しているのは三途の川の未来を見るようで諸行無常を感じる。また、積もっていた細かい泥はこの辺りが地すべりを起こしやすいことによるという。この辺りを構成する上部蝦夷層群が凝灰岩薄層を多く含み、これが変質しやすく変質すると膨潤性があり、難透水層となって摩擦抵抗が小さくなるのだという3)。数年前、下見に来た際は左股沢は降雨後でもないのに水は茶色く濁っていた。桂沢湖の水が年中濁っているのも地すべりで細かい泥が今でも周囲の川から供給されているから3)だと言う。

 490mの入渓点の、現在の林道終点から上では源頭が近いからか水温も低く、臭いもしなかった。

 岩は真っ黒な泥岩一種類から、日高の山のような花崗岩質の岩やレンガ様のもの、白いもの、礫岩などいろいろ現れるようになる。泥岩に取り込まれた小石なども顔を出している。リップルマークと呼ばれる波模様の化石のようなものを見たような気がするが、勘違いだったかもしれない。

 林道終点から上の左股沢の支流に細かく名前がついていたようなのだが、古いガイドブックなど見ても、どうもどの名前がどの沢なのかはっきりしない。林道終点より下手の標高390mの左岸支流が下二股沢、450mの左岸支流が中二股沢なのは間違いないと思うのだが、次の上二股沢がまず、入渓の標高490mの左岸支流なのかどうかはっきりしない。

 登る前に見ていたのは改訂版の「北海道の山と谷」(1977)で、概念図の白亜沢が520m二股の左股のような印象で、これが白亜沢かと思って見たのだが、岩が白いとかそういうことはない小さな草ボーボーの小沢であった。

 「北海道の山と谷」で4段8mとされる「白亜の滝」は概念図の印象から570m二股の右股の落ち口に懸っていると思って見たのだが、滝とは言えないような気がした。後からよく考えると白亜沢と白亜の滝が離れているというのはどうもおかしい気がする。岩は白くないし、下から見ても周りにボーボーと茂る草に隠されて全体が見えない。写真を撮る気にもならなかった。多分、私が白亜の滝だと思って見た草ボーボーの落差は白亜の滝ではなかったのだと思う。

 「北海道の山と谷」の概念図の印象で570mの、三角点山頂(幾春別岳南峰)に南西面から上がる支流は「ワキノ沢」で、落合のすぐ上でワキノ沢に掛かる滝が8mとあって他に8mの滝が描かれていないのでこの滝を白亜の滝と考えたのだが、昭和40年の幾春別岳〜芦別岳縦走路開削時の雑誌記事では昭和37年に完成した沢コースで520m二股と思われる奥二股から15分で三段7~8mの白亜の滝、ふきの沢ガレ沢分岐まで白亜の滝から35分とある。昭和44年のガイドブックでは奥二股から「まもなく白亜の滝」で5段約10m、「これを登りき」って「まもなく刈分け分岐」で右をフキノ沢、左をガレ沢と呼ぶとある。どうも「北海道の山と谷」の概念図の印象で判断しては良くなかったようなのだが、昭和44年のガイドブックの白亜沢は520m二股の左股の印象で、縦走路開削時の記事の中二股沢から刈分け分岐までの時間配分と距離が地形図に落とせない。

 ワキノ沢はフキノ沢の見誤りか転訛だと思う。上二股沢と奥二股沢と白亜沢が資料で見たけれど見当がつかない。左股沢に森林軌道があった頃や左股沢の出合に飯場があった頃の造材の資料があればわかるだろうかと思う。

 奥二股には長い沢歩きの中で一箇所だけ、沢の真ん中に木が立っており、「青年の樹」と称して4,5張りのテントを張れる幕営適地1)だったと言う。

 帰宅して地形図を見直すと、標高600m辺りの谷筋の等高線が込んでいるので、この辺りに滝だと思わずに通過した落差が白亜の滝だったのかもしれないと思う。

 水を飲もうと沢の中の石を見るとボウフラがウジャウジャと張り付いていた。この沢はボウフラの他、川虫も多かったので、魚の生育には良さそうに感じたが魚は見なかった。ボウフラや川虫は、わずかづつ沢の流れで下っていく。ボウフラや川虫の大人である蚊やカゲロウは源頭を目指してついてくる。蚊やカゲロウも鮭と同じなのだと思った。

 幾春別岳本峰と南峰の間に突き上げる本流は570m二股を左に入り、最後までガレの沢で、ヤチブキを押し分けて登っていく。ガレの沢だからガレ沢というのだと思って登っていたが、帰宅して「北海道の山と谷」より古い資料を見て自分の登ったのは「フキノ沢」で登山中は特に注意を払わなかった730m二股の左股がガレ沢だったのでないかと考え直す。水が切れて標高850m辺りには冷気がそこかしこに出て、靄がかかっているところがあった。足袋を通しても地面が冷たいのが分かった。永久凍土でもあったのだろうか。

 最後のヤブ漕ぎは約1時間。はじめのうちは沢地形でネマガリタケの下をくぐって行けるが山頂に近付くにつれて傾斜が厳しくなる。1068m本峰山頂の南西の稜を目指すと少し楽かも知れない。スパイク足袋必携である。


本峰から見た南峰

 山頂は潅木林とネマガリタケの混合状態で胸の高さまでヤブで覆われて広いので、一ヵ所でどの方面もというわけには見渡せないが、見たい方向に応じて移動すればそれなりの景色が見れそうだ。今回は頭上と西方は晴れていたけれど、芦別岳方面は全く雲の中だった。シューパロ岳の恐竜の背だけでも見たかったのだがダメだった。見えたのはだだっ広い幾春別川流域のみだった。座れるような場所もなかった。

 幾春別岳にはアツモリソウがあるという噂を聞いていたが、左股沢では見なかった。ランの葉のようで目立っていたのはギョウジャニンニクばかりだった。当初は三角点のある南峰も行ってこようかと考えていたけれど、5時間半の片道に参ってやめることにした。

 帰りの林道でキツネが鳴くのを初めて聞いた。 「ウェヘハー」と人間が言うような声だった。追いかけてみると大人のキツネはおらず子狐だけがいた。 親ギツネが子ギツネに注意を促していたのかもしれない。



白亜の滝?
(2005年10月29日補記)

 白亜の滝は「写真を撮る気にもならない」などと書いてしまったが、書き終えて写真が無いのが気になっていた。後に行かれたK氏に写真をいただいた。でもこんな滝があったかな?どうも思い出せない。昔の幾春別岳は最高点ではなく三角点の位置とされていたようである。出来ればもう一度このコースを辿って白亜の滝や730m二股の左股にガレ場がないかや「青年の樹」などを探してみたい。

参考文献
1)梅木和朗,幾春別岳―芦別岳縦走コース,pp43-46,28,北海道の山と旅,北海道出版,1965.
2)大内倫文・堀井克之,改訂版 北海道の山と谷,北海道撮影社,1981.
3)岩見沢地学懇話会,空知の自然を歩く,北海道大学図書刊行会,1986.
4)村本輝夫 他,カラー 北海道 山のガイド,北海道撮影社,1970.
5)八谷和彦,ガイドブックにない北海道の山50,八谷和彦,2002.



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(2004年7月2日上梓 2012年4月22日改訂 2022年2月18日改訂)