石狩岳の位置の地図石狩岳(1967m)石狩沢

 石狩岳に至る登山道は3本あるが、いずれも急登で最終水場から先も長く上級者向きだという。石狩沢は石狩川の源流であるが、その流れはやさしく、水流もかなり上まであり、標高差はどの登山道より少ない。熊の気配があり自然度は濃厚だった。


石狩沢の地図 入渓点から坦々とした沢の中を歩く。作業道跡等は河原になく、流れのすぐ脇は高茎植物のブッシュである。熊の糞が結構落ちている。標高1350m付近で両岸が高く切り立って沢幅が狭まるが、滝や函になったりはしない。

 1540m二股では左の石狩岳直登沢が滝となって合流している。水量は左右同じ位ぐらいだが、谷が開けて明るい右が本流の雰囲気である。

 ヴァリエーションを求める向きは左股に入ると良いという。少し入ってみた。四段程度の登り応えのある水流のきつい滝が連続していた。四段の一番上は放物線を描いており、右からロッククライミングで越えるらしい。その上は何もなくヤブもなく石狩岳山頂まで行けるらしい。私は一番上の高巻きを諦めて、右股の雰囲気本流から登ることにした。

 右股は小石狩岳の支稜のスカイラインが既に見えている。何もないガレ沢を詰めて1740mの二股は左に入る。雑木のトンネルのようになるが標高1800m以上まで細い水流が続いているのは驚いた。上がりきった稜線は1900mを下回っているので石狩岳縦走の水場として使えるかもしれない。

 最後は雑木もなくなり、急な砂礫斜面とカーペット植物のパッチを登っていく。ここのコマクサの量は圧巻だ。踏まないように行くのは不可能なくらい多い。縦走路を登山靴で歩いているだけでは知り得ない石狩岳の秘密の花園であった。稜線に出たら、山頂はすぐである。

 「とっておき北海道の山」は1540m左股の石狩岳直登沢を紹介し、下りには「登攀用具必携」とあるが、本頁の小石狩岳との鞍部に上がる右股では下りでも登攀用具は必要ない。

 沼ノ原に至る縦走路を下って、最低鞍部からペテトク沢に下りて入渓点に戻った。根曲がり廊下の一角であるが稜線を外れると、すぐネマガリタケのヤブはなくなった。ペテトク沢下流部は河原がなく両岸は湿地が多く歩きにくいものの、河床は平らなせせらぎなので川の中は歩き易かった。


★山名考

 石狩川の水源の山といった意味合いである。表大雪を上川盆地から見て「石狩山」などと呼んだこともあったが、「石狩岳」は奥地の水源の調査が進み現在の東大雪の位置の一峰の山の名となった。明治20(1887)年の改正北海道全図に、その位置でその名が見られる。以下、石狩川の名について考えてみる。

 山田秀三(1984)は「語意が忘れられた。旧来説が多いが何とも判断がでない」としている。

 アイヌ語では Iskar だという。アクセントはイにある。

 道内にはイシカリの音を受けたアイヌ語地名が何カ所もあり、多くは石狩川とは無関係のようである。石狩川の名の類例でないか見ていく。

 バチラーのアイヌ語辞典に Ishkari の項があり、自動詞で「閉塞セシ.」/「Stopped up.」の意味が載る。行き止まり・突き当たりの意は、この Ishkari と同じではないかと思われるが、新しいアイヌ語辞典には無い。古語と考えるべきなのか。石狩川は石狩湾という海の行き止まりで海に注ぐ。規模が上記の行き止まりよりかなり大きく、石狩川の河口に立ってもそこが海の行き止まりとは感じにくいが、手稲山や群別岳や積丹岳に晴れの日に登れば行き止まりである様は見える。だが、言語学者ではないバチラーの Ishkari がアイヌ語の自動詞 iskar だとして、上に挙げた「行き止まりである某」という地形に適用出来たとしても、自動詞の名詞的用法と考えても行き止まりなのは石狩湾の方で石狩川ではない。

 同じくバチラーのアイヌ語辞典に Ush の項があり「湾」とされている。これも新しいアイヌ語辞典に無いが、知里真志保の地名アイヌ語小辞典には us[湾]の項があり、函館や潮路や忍路や有珠の地名考で山田秀三が適用している。行き止まりである湾の所の川ということの〔us -ke〕or[湾・の所・の所(川)]と呼ばれたのが訛ったのが Iskar でないか、us-kar(湾・をつくる)が行き止まりであることをいうバチラーの辞典に Ishkari と書かれたアイヌ語の合成自動詞の語源ではなかったかと考えてみる。moy[入江]も海の入江だけでなく陸上の湾状の地形を指すのに用いられる。moy はアイヌ語沙流方言辞典では「水のうずまき、うず」とされ、袋のように縦に行き止まりなのではなく弓なりというか輪のようというか横にぐるっと回っているのが入江の意にもなったかと考えてみる。

 山田秀三(1984)が上原熊次郎の説の解説で「ishikari(ふさがる)と解したのであった。」とし、この「ふさがる」説は Iskar と音が違うとしているが、バチラーのアイヌ語辞典の4版には Ishikari と Ishkari の項があり、Ishikari は名詞で「閉塞,便秘(病ノ)」とされている。だが、Ishkari の方が言語学者でないバチラーの第二音節の語や時によって聞こえ方が違うという閉音節末の r を「(小文字)」のように聞いたのを第三音節としてしまっていたのだとしたら、Ishkari と Iskar は音が違うとは言い切れない気がする。


弁慶岬付近地図

 地名アイヌ語小辞典で巨大な神様の尻餅の跡などとされる osor-kot も行き止まりの窪みである。(us+or)+kot で osor-kot なのではないかと考えてみる。

 寿都町の石政泊と砂政泊は弁慶岬の南西側の小岬の両脇の入江で南側の砂政泊が大きく昔は人家も多く集まっていた。松浦武四郎の安政3年の記録では砂政泊がシナマサトマリと、石政泊がイシマサトマリとあった。マサトマリの部分の永田地名解にあるアイヌ語マタトマリ説は頷けないが、対案は思いつかない。ここではマサトマリの前に付いている部分だけについて考える。シナ/スナはアイヌ語の sino[本当の]で、イシは os[後]ということではないかと思う。

 先に us が is に訛って Iskar に、us が os に訛って osor-kot なのでないかと考えてみたが、os が is に訛るのもあるのでないかとすると、石狩川が河口からしばらく幅広の浜堤の後ろを流れている oske or[中・の所(川)]の転が Iskar というのもありうるか。更に考えたい。

参考文献
三和裕佶,とっておき北海道の山,東京新聞出版局,1995.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 上,北海道出版企画センター,1985.
永田方正,初版 北海道蝦夷語地名解,草風館,1984.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1985.
松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 下,北海道出版企画センター,1978.
松浦武四郎,秋葉實,戊午 東西蝦夷山川地理取調日誌 中,北海道出版企画センター,1985.
榊原正文,データベースアイヌ語地名5 胆振中東部,北海道出版企画センター,2011.
知里真志保,上川郡アイヌ語地名解,旭川市史 第4巻,旭川市史編集委員会,旭川市役所,1960.
ジョン・バチラー,アイヌ・英・和辞典,岩波書店,1995.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
松浦武四郎,高倉新一郎,竹四郎廻浦日記 上,北海道出版企画センター,1978.



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(2002年7月12日上梓 2022年2月9日地図書き直し 2022年10月27日山名考追加 2023年7月13日改訂)