小楽古(1365m)と広尾JPの間の1269.3mの三角点のピーク。三角点の名前は「広尾岳」で、地元の山岳会ではピロロ岳と呼んでいる1)ようなのでそれに従った。三角点の名は1231mの広尾岳と同じ名前なので明治26年の北海道実測切図にある広尾岳の古名、「ピロロヌプリ」を引き継いで「ピロロ岳」と呼んだのだろうかと考えてみる。この古い地図では「ピロロヌプリ」が日高主稜線上の山として描かれているので、ピロロの音をこのピークが、「広尾岳」の名を現在の広尾岳が受け継いでも、それほど違和感はない。
日高主稜線では岩尾根が続くが山容にそれほど特徴はない。「この沢が面白い」と言う話を聞いて行ってみたが、「面白い」と薦めるほどは面白くなかったような気もする。深い期待をせずに行くのだったら拾いもののようで満足できるかもしれない。
作業道跡が広尾岳登山口の先にも左岸に延びているが、崩れたりヨモギやハンゴンソウが茂っていたりでわかりにくい。ネマガリタケはまだかぶっていない。下の方は水流に半分以上崩されている。岩は真っ黒で剥離面のある堆積岩。石同士を当てるとチンチンと鳴るような岩もあったがホルンフェルスだろうか。左に入る沢が砂防ダムになっている所で一旦左折して、作業道跡はさらに460mの大きな三又まで延びている。
直登沢に入るとすぐナメのチャラ瀬や、跨いで登ると面白い小ゴルジュが現れて期待と共に緊張もしたが浅く短く、その後は大きな滝は3つか4つ、登りは直登出来て下りはヤブ絡みで下りられるものがあるだけだ。
沢型が山頂直下まであって、水もずいぶん高いところまであった。ヤブ漕ぎはほとんどネマガリタケだが短い。山頂は登りきった所から少しハイマツを漕いで北方に移動する。こんな所の稜線にも比較的新しいハイマツの切り口と弱い踏み跡がある。沢の中や源頭のヤブ漕ぎ部分には合わせて10程度の目印赤テープが見られた。
天気は小雨で山頂に着いて10分くらいは待望の楽古岳が見えていたが、その後はガスになった。楽古岳は南から見ても北から見てもそれほど姿が変わらないのがわかった。
登りはフェルト渓流足袋だったが、下りは滝がヤブで降りられることが登りでわかっていたので全部スパイク足袋にしてみた。時々スリップしたが慣れれば結構行けるものだ。
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西広尾川で見られた捕獲岩 |
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沢の中から 広尾岳を望む |
ピロロ岳から見た 楽古岳(右)と小楽古(左) |
日高山脈の縦走中に北側から踏んだ。1365m通称「小楽古」からの下りは広い尾根だが、ピロロ岳の登りに入ると岩場が目立つが尾根は広い。午後の雪が緩んでくる時間帯でスノーシューでは登れず、キックステップに切り替えた箇所もあった。しかし小楽古から見る険しい姿よりは楽な印象で山頂に到達した。山頂は広く、西側の窪地にハイマツが広く顔を出していた。東寄りは広く樹木がなく、大きな雪堤となっていた。
主稜線の南側も岩場が続く。岩は全て乾いていたが、斜面の傾斜がきつく、すぐ下が服を引っ掛けそうなブッシュになっているので、へつりのように通過したりした。1188への登りにかかると岩場はなくなり、再び広い尾根となった。
西の稜線 |
西の稜線の岩 |
南の稜線 |
小楽古付近から見た ピロロ岳 |
ピロロ岳付近から見た 楽古岳 |
参考文献
1)志村征一,広尾岳(1230m),p70,13,北の山脈,北海道撮影社,1974.
2)北海道庁地理課,北海道実測切図「襟裳」図幅,北海道庁,1893.
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