遊楽部岳の位置の地図

春先の遊楽部岳
岩子岳から
遊楽部岳(1277m)

 沢の美しい山である。花崗岩の磨かれた岩は美しい模様と共にフェルト底のフリクションを最大に効かせ、ブナの森と共に水をもまた磨く。玉砂利の川底は水が無いかの如く透き通り、明るく青い淵を連ねる。


★太櫓川北西面直登沢

 入渓点までの林道は荒れている。雨裂もあり草もやや茂り始めている。所要時間は距離なりである。

 沢に下りると巨岩が多い。水が澄み明るい色の石とあいまって美しい。巨岩が多いが歩きにくいと言うほどではない。460m付近の右岸の崖記号は細くて感じの良い滝になっている。


沢の様子

460m支流の滝

 510m二股を右に入ってまもなく核心部が始まる。はじめは小滝でその後に現れる3段の釜持ちの滝が最も大変だろうか。下段は30cmほどの落差だが深い釜を腰まで浸かってよじ登る。上中段は右岸から登れる。その後も楽しく登れる滝が続く。


3段釜持ち滝

直登 明るい小滝

直登

左岸の枝沢を登り
上部を横断した

 次第に沢が狭くなり、両岸が切り立ってくると核心部も終盤に近づく。中が函になったりはしないがどんづまりに5mほどの登れない直瀑があるので、これは少し戻って左岸から巻いた。


両岸が
切り立ってくる

切り立った奥の滝
左岸から巻いた

 最後の滝が終わると谷は再び開けてくる。710m二股は見送って、すぐに730m二股。710mでは見えなかった山頂稜線が730mで初めて望める。ここで左を採ると三角点のある旧山頂へ直登する北北西面沢だが、スタート時間が遅かったのでヤブ漕ぎがひどくなったら登山道へ逃げられそうな右の北西面沢を登ることにする。水量は右の方が多い。

 北西面沢に入ると両岸は切り立っているがしばらくは何もない。臼別岳方面への支流を二度分けると水流はずいぶん細くなる。900mからが本日2回目のお楽しみである。細いチムニーやナメ滝が連続する。


これは下の方の滝

高いナメ滝

チムニー状

 空が次第に開けてきて、両岸の様子が樹林から草原やネマガリタケのヤブになる。小さな湿原をつけて樋状の部分を流れることもある。中には高くて急なナメ滝もあるが岩とフェルト底のフリクションが良くて、他の沢ならずり落ちているかもしれないと思う場面でもスイスイと登れる。

 最後に岩屑のガリーに引っかかったような、壁のとても薄い滝壺を持つ5mほどの直瀑を左岸の細尾根から草付にしがみついて登ると、まもなく源頭である。後方には臼別岳の姿が見えるようになる。

 1100mで水がなくなるが、まだしばらく沢型が続いている。途中、稜線へ突き上げる枝沢型があった。これを登ってしまえば良かったのかもしれない。1160m付近でネマガリタケが急に濃くなり、ヤブ漕ぎに突入する。1180mあたりから上はダケカンバの樹林になっている様子が見えるのだが、登りのネマガリタケの海がイヤで日和って右へトラバースして登山道へ出ることにした。しかしこのトラバースも40分も掛かってしまった。がんばって直接山頂を目指しても良かった。

 後はクマの糞の多い登山道を10分も掛らぬ内に新山頂の頂上である。新山頂はブッシュに囲まれていて展望が得られない。少し戻って、冷水岳・白水岳方面への分岐が南方と西方の展望が得られるが狭くてあまり寛ぐ雰囲気でない。旧山頂(三角点のある山頂)も昔より木々が成長したようで、そこそこの展望だがイマイチすっきりとはいかない。

 登山道登山より沢登り登山の方が、ヒグマとの遭遇は少ないような気がした。



岩子岳北西面

★見市川白水沢旧山頂直登沢

 下降したので下降しながらの紹介である。

 旧山頂と新山頂を結ぶ登山道は両脇とも背丈を越えるハイマツのヤブである。適当にハイマツの少なそうなところを選んでヤブに突入する。ハイマツの区間は意外と短いが、その下ではすぐ高く濃いネマガリタケが続いている。南方のヤブが下手になるので、山頂ではあまり見えない南東方の岩子岳がよく見える。

 旧山頂寄りから下降したが、新山頂のすぐ東が、谷地形がはっきりしているようだ(だからといってヤブが薄いというわけではなさそうだが)。1150mくらいで沢型が現れ、枯葉の降りしきるネマガリタケのトンネルをくぐって岩盤の涸れた沢を下っていくと、時折高い涸れ滝もあったりするがヤブから巻くことは出来る。1050m付近で細い水流が現れるが1020m二股を経て1000mにもいかないうちに再び地中に潜ってしまう。伏流になった後はゴロゴロした河原で800m二股まで伏流である。

 800m二股は谷が急に明るく開けて、下ってきた沢は涸れ滝になっているが水が滝の中ほどから細々と復活する。右岸から下りられる。この滝の左岸側はガレ場、右岸側は山崩れが止まった様な不安定そうな疎林である。滝の頭からこれから下る白水沢の白い沢の様子が見渡せる。

 800m二股から470m二股までが核心部で、白い巨岩に落差のある滝が連続する。どれも登りも下りもロープは必要なさそうな感じだ。クライムダウンの出来る滝もあるが、岩の隙間や疎らな草付を巻く滝もある。


白水沢の様子

最初は小滝から

次第に雰囲気が大きく

700m二股の下の滝

クライムダウン

これもクライムダウン

左岸から巻いた

右岸を歩ける

右岸から巻いた

最後はやや落差がなくなる

 470m二股より下では河原が現れ、幕営跡や焚き火跡も見られるようになる。470mの左岸に荒地の高台があり、そこで幕営。420mで右岸から合わさる谷は山抜けになっていて、茶色のそれまでとは異なる尖った岩を崖垂になって押し出している。これより下の河原ではこの茶色の岩の崩れた細かい泥のような砂が堆積している部分が見られるようになる。チャートだろうか。素人目には凝灰岩にも見えた。

 360m前後では420mの山抜けで流路が変わったためではあるまいか、河原の中にブナの立ち枯れが多く見られる。

 280m二股は右岸の樹林の中に「北海道の山と谷」にある良いテン場があるが、細い流れとはいえ、正確には中州になっている。280m二股より下では流路は直線的となり、地図上の移動が早くなる。


ブナの立ち枯れた
河原

熊追沢出合の
美しい水

 240mの熊追沢出合では両股で、何となく水の色が違う気がする。おそらく川底の石の色を受けているのだと思うが、熊追沢の方が黄色っぽく見えた。熊追沢の上流域は地質図を見ると、白水沢が殆ど花崗岩であるのとは異なって、粘板岩・砂岩・チャート・及びホルンフェルス、安山岩となっている。


大体は楽に通過できる

赤い岩は赤色チャート?

 熊追沢出合からは両岸の岩がむき出しになる部分があるが、大抵は中は玉砂利である。200mの屈曲点は巨岩が川の真ん中に鎮座していて、巨岩の後ろ側が小さな淵になっていたので、少しへつった後、木の根をよじ登って通過した。190mの屈曲点は大規模な函になっており、「北海道の山と谷」では「右岸の明瞭な巻き道」があるとしているが、それが見つけられず、右岸の薄いヤブを70mほどよじ登ってネマガリタケの茂る小平坦地に達し、右の枝沢に入って下るとこの沢の合流点は滝になっており、もう少々函が続いているので、もう少し山葡萄の蔓の絡まるネマガリタケを分けて函の下流に下り立てた。函を巻くのに50分も掛ってしまった。巻いている途中で古い目印テープを見つけたりしたのだが踏み跡は見つけられなかった。もっと大きく巻いたら踏み跡があったのだろうか。踏み跡を見つけられると20分で通過できるらしい。


函への落ち口

函の淵

函の出口

見市川の函の
辺りの地図

 すぐにイワナ沢出合を経て、大きく広がった河原に2度、砂防ダムがある。上のものは普通の砂防ダムで、下のものは骨組みだけのものである。いずれも簡単に越えられる。

 下の砂防ダムを過ぎるとまもなく重機の音が響くようになる。国道277号線の付け替え工事をしていた。まもなく国道277号線が高い崖の上に張り付いているのが見えるようになり、流れが南西へと曲がり、水の流れが砂防ダムの止水域に入って止まる寸前に、水の流れる黒いコルゲートパイプが国道から下りてきているので、これに沿って国道に上がる。ヤブは薄い。


コシオガマ

見市川から
国道に上がる辺りの地図

 国道に上がりきった地点のやや下手には道路の両側に駐車できるスペースがあった。


★山名考

 遊楽部川の水源(と目されて)の岳の意と思われる。「遊楽部(ゆうらっぷ)」について考える。

 yu rap[温泉・下る(複数形)]との説があるが、遊楽部川の流域に温泉はあるが、温泉が何度も下ってくると言うことはあり得ないように思われる。一度でも無いように思われる。動詞句で終わるというのも地名の解釈としてどうなのかと思う。「温泉が何度も下る」というのは、今の音に縛られた不適切な解釈と思われる。或いは自動詞の名詞的用法で各地にあるルーランなどと同様に yu e- rap[温泉・そこに・下る(複数形)こと]で、「温泉に何度も下る川」と考えても、下るのが川なら温泉は押し流されてしまうし、人が下るにしても遊楽部川の下流域に温泉は無い。日本海側のアイヌの人が鉛川温泉に入りに何度も下ったと考えるにしても、その名を鉛川温泉より下流の河口まで使うことに、流域に住んでいる地元の太平洋側のアイヌの人が付き合うことは無いだろう。

 yu or o p[温泉・の所・にある・もの]かと考えてみたが、遊楽部川流域で知られている温泉は、支流の鉛川の更に支流の、流域の南隅に位置する鉛川温泉の一箇所であり、本流筋がトワルベツ川やセイヨウベツ川で大きく北に広がるのに、鉛川温泉のことで遊楽部川と名づけるとは考えにくい気がする。松浦武四郎が安政4年に丁巳日誌で「ユウランベツの訛りなるなり。ユウは温泉、ランは流れ下る、ベツは川也。此川源処々に温泉有るが故に此名有るなり」としたが、アイヌの人からの聞き書きに鉛川上流で温泉に関することは出てこず、鉛鉱山跡は崩れて何も見えないとかなどとされているので、鉛川温泉が鉛鉱山の開かれる前から自然湧出してアイヌの人に知られていたとは考えにくい気がする。ユウランベツはユーラップの音からずいぶん離れている。

 遊楽部(ゆうらっぷ)は、噴火湾沿いから見て熊石・瀬棚へ向かう、日本海側から見て瀬棚から来る道の所にある川だとアイヌ語で言った ru or o p[道・の所・にある・もの(川)]の転訛であったと考える。瀬棚から来る時に通るセイヨウベツ川が〔si- ru〕o pet[本当の・道・ついている・川]ではなかったかと考えてみる。鉛川は panke〔ru pes pe〕[下の・道・それに沿って下る・もの]である。

 見市岳とも呼ばれる。「見市(けんいち)」について考える。

 見市岳とは見市川の水源の岳の意と思われる。見市川支流白水沢が見市岳に突き上げている。川名と山名では見市だが、里の名は「見日(けんにち)」である。同じアイヌ語に宛てられた文字と、訛りか日本語への聞きなしの違いであろう。遊楽部が太平洋側の地名に依るのに対して、見市は日本海側の地名による。

 山田秀三(1984)は見日について「たぶん、ケネウシ『kene-ush-i はんの木・群生する・者(川)』であったろう」とするが、見市川のような大きな川の名が、はんの木のようなわりとどこにでもあるが一目で分かりにくい木の群生と言うことで呼ばれるのだろうかという気がする。

 kene と関連づけられている似た音の地名として天塩川筋の剣淵川、千歳川筋の嶮淵川が挙げられる。似た音とは言えないが、やはり kene に関連づけられた地名として標津のケネカ・計根別がある。

 剣淵川・嶮淵川・ケネカ川を見ると、いずれも交通路とされていたのではないかと思われる。剣淵川は天塩川筋と旭川盆地を結び、嶮淵川は馬追丘陵の東西を結ぶ。ケネカ川は斜里山道が沿っていた。見市川は渡島半島の一番狭くなる所を流れており、源頭の一つに雲石峠がある。いずれも下りの道で付けられているような気がする。メナが上手とされる中で、剣淵川・嶮淵川・見市川はメナの反対側に下っているように見える。ケネカ川は目梨郡に下っているが、標津川上流域には斜里のアイヌの人が入り込んでいたようである。

 雲石峠に上がる見市川支流の「道路沢」の名の「どうろ」の音は、アイヌ語の ru or[道・の所]の転訛ではなかったかと考える。

 ken か ker のような音で修飾された道(ru)の出口(puci)だったのではないかと考えてみる。地名アイヌ語小辞典で ker の項を見ると「光」とあるので道とは関係しにくそうである。ken の項を見ると「芽;ヒルガオの根」とある。「芽」は木の芽ではなく、地面から出てくる芽だという。ken が「地中から出る芽のようであるということ」で、その一つの形が「芽」であったとすれば、ken-ru puci芽のようであることの・道・の出口]と考えられそうな気がした。ケネカ・計根別は ken-ru -ke芽のようであることの・道・の所]、ken-ru o pet芽のようであることの・道・にある・川]の転訛かと考えてみた。ken の「芽のようであること」が、「地中から出ること」ではなく、「領域外へ出ること」とか「隠れていたものが出ること」のようなニュアンスがあったのではないかと考えてみたが、そう考えても見日もケンブチもケネカ・計根別も地形を説明できない。

 十勝側の呼称だという十勝岳を指すケンルニも ken-ru un -i芽のようであることの・道・にある・もの]かと考えてみた。何らかの道だとすれば十勝側から見てメナの反対の方角への道ということになり、十勝岳の西側のビエイ・ベベツ川筋は、古来からトカチアイヌが住みついていたという。

 kir-ru puci[山の・道・の出口]かとも考えてみたが、嶮淵川を道の出口とする場合には、一応は分水嶺越えであるが山というほどの場所ではない気がする。kir は地名アイヌ語小辞典で美幌方言での「山」とされるが、山を指す sir の方言差のような気もする。「シヌプチ」と言った地名は見たことがない。バチラー辞典にあるという、アイヌ語にそのような意味があったのか疑われている kun ru危うい(?)・道]かとも考えてみたが、剣淵川の道も嶮淵川の道も斜里山道も見市川も危なく無さそうである。rikun ru[高い所の・道]でアクセントの無い狭い母音の第一音節が落ちたと考えると、kun ru は訳ではなく高い所を通るから危ないのだという説明であって、剣淵川は rikun ru puci[高い所の・道・の出口]、十勝岳のケンルニは〔rikun ru〕un -i[高い所の・道・にある・もの(山)]で説明できる気がするが、低平な馬追丘陵の嶮淵川が「高い所の道の出口」と言えるのか疑問は残る。ケネカ川は rikun ru -ke[高い所の・道・の所(川)]、計根別は rikun ru put[高い所の・道・の出口]の転か。

 地名アイヌ語小辞典では horka の項で石狩の嶮淵川が例として説明され、嶮淵川は Kenupchi(ケぬチ)とされアクセントは第二音節である。上で考えた ken-rurikun ru だと、訛るにしてもアクセントは第一要素について「けンヌ」となりそうである。言語学者の知里真志保であるから実際に聞いた上でアクセントを記しているのだろうが、地名は漢字二字での表記が望ましいとはされるが久根別や計根別のような例もある中で、読むと第一音節にアクセントを置きがちになる嶮淵や見市の字が使われるだろうかという気もする。良い宛て字とは思わないが例えば「毛怒淵」の方がアイヌの人から聞いていたら宛てたくなるのではないかと思う。

 見市岳の見市/見日は rikun ru puci[高い所の・道・の出口]でないかと思うのだが、地名に於いて kene などとされるアイヌ語については更に考えたい。

参考文献
北海道の山と谷再刊委員会,北海道の山と谷 上,北海道撮影社,1998.
5万分1地質図「遊楽部岳」図幅,工業技術院地質調査所,1981.
山田秀三,北海道の地名,北海道新聞社,1984.
知里真志保,地名アイヌ語小辞典,北海道出版企画センター,1992.
松浦武四郎,秋葉實,丁巳 東西蝦夷山川地理取調日誌 下,北海道出版企画センター,1982.
山田秀三,アイヌ語地名の三つの東西,アイヌ語地名の研究(山田秀三著作集)1,山田秀三,草風館,1995.
松浦武四郎,秋葉實,松浦武四郎選集3 辰手控,北海道出版企画センター,2001.
田村すず子,アイヌ語沙流方言辞典,草風館,1996.
中川裕,アイヌ語千歳方言辞典,草風館,1995.
西山正吾,北海道鉱床調査報文,北海道第二部,1891.
松浦竹四郎研究会会誌編集部,安政五年の十勝越え足跡図成る,p31,20,松浦竹四郎研究会会誌,松浦竹四郎研究会,1996.
知里真志保,アイヌ語法研究,知里真志保著作集3 生活誌・民族学編,平凡社,1973.



トップページへ

 資料室へ 
(2006年9月21日上梓 2017年7月10日山名考追加)